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マイレビュー 逃亡小説集

吉田修一の「逃亡小説集」を読んだ。
ついこの間、「湖の女たち」も読んだが、最近小説というものを全然読まなくなったものの、吉田修一だけは新しい文庫本が出れば、買って読んでいる。
中学のころは東野圭吾に傾倒し、授業中ずっと読んでいた。高校に入ると、村上春樹や村上龍。音楽もそうだが、特定の作家をずっと追いかける読み方(聴き方)をする中で、吉田修一は、その究極といってよかった。
芥川賞を受賞した「パークライフ」をひょんなことで手にして、「最後の息子」や「熱帯魚」でファンになった。
当時、関東の地方都市に住んでいて、吉田修一の描く東京の若者たちの生活に憧れと冷ややかな目をもっていた。そして、対極的に描かれる地方の汗臭い労働者たちの生活には、これもまた大阪のニュータウン出身のサラリーマン中流家庭育ちの自分にとって、強烈な畏れと憧れを抱かせた。
たぶん、吉田修一に関しては、デビュー作からぜんぶ(文庫化されたものは)読んでいる。
小説は、音楽に近く、文体やその背景にある世界観・価値観が馴染むかどうかが大きい。そういう意味では、他の作家と吉田修一では、私の中ではまったく異質だった。たぶん彼の書くものなら、なんでも読める。
その中でも、もちろん好き嫌いはある。良し悪しも感じる。
一番好きな小説は、「横道世之介」一択だが(誰かに聞かれたらそう答えることにしている)、この「逃亡小説集」も好きな類のものだった。
描かれているのは、何かから逃げる人の話だ。どれも、悪人ではないが、ほんの少し法から逸れている。自分ではどうしようもなくなって、結果的に逃げ出した。交通違反から、未成年との恋への追及から、薬物とマスコミから、郵便配達の仕事中のトラブルから。だが、それは表面でしかなく、みな人生そのものから一時の逃亡を選んだのだ。
それは起こり得る世界だ。
私自身にだって、これまで何度も起こり得たし、この先何度も起こり得る。それをやってしまった人の顛末が描かれている。決して他人事ではない。
先の「湖の女たち」も映画化されるらしく、やたらと映画化の多い作家だが、これもあとがきの解説に書いてあったように、映画化されてもおかしくない。吉田修一の場合、ヒットしそうという理由からではなく、映画化したくなるのだ。無性に。分かる気がする。実際とくにヒットせずに、うまくいかないこともあるけど。

でもこれ、酒井法子で映画化したら、エグいな。

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