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なめくじ(ランダムワード小説)

四十を過ぎたあたりから、突然オトコに誘われることが増えた。特に女磨きに励んでいたわけではない。むしろ仕事の役職が上がり、身体も心もくたびれていたくらいだ。だけども、例えば出張先で、あるいは古い付き合いの友だちに、マッサージ店の若い施術師に、誘われる。露骨な言葉ではなく、むしろ紳士的な言い回しで、だけども、いやらしい熱量と声色で。
婚期を逃したせいかもしれない。どんどん周りが結婚していった頃に、私は海外赴任をしていた。ニューヨーク、シアトル、メルボルン。仕事と遊びに追われて、まるで一人で映画でも作っているような勘違いな日々を駆け抜けて、帰国したら、もう三十代も半ばだった。
唯一シングルだった友人のワカは、バツイチの男とひっそりと結婚した。それなりに幸せ、と会うたびに言うのだから、相当幸せなのだろう。
そして、私は残された。世の中には似たような境遇の中年女は掃いて捨てるほどいるのだが、孤独は強めにやってきた。スタバで江國香織の本を読み、カウンターでスープを飲んで休みを凌いだ。そして、思い出すことが一つもない年月を過ぎて、気づいたら四十になっていた。
スーパーマーケットの惣菜売場で、半額のシールが貼られた途端に、どこからか客が寄ってきてカゴに入れていく。私は誰かに半額のシールを貼られたのだ。そして、安くて、まだマシなうちに手に取られようとしているだけだ。
ある男は言った。色気が出てきたのさ。違う男は、そんな歳には見えないからさ、と。年齢なんてただの数字だと言う男もいた。誰も半額シールについて言及しなかった。
一人だけ心に残った、胸をえぐった男がいた。匂いがしたんだよ、と。なんだって腐りかけが一番美味いのさ。そして、首筋に鼻を突きつけ、頸動脈のあたりをネットリと舐めた。
まるで、なめくじが首筋を這いずり回るように、その舌は唾液の跡を残しながら、ゆっくりとじっとりと、私の汗を飲み込んでいった。
暗い天井を見上げながら、私は腐っていく。腐りかけのすえた匂いを放ちながら、柔らかくなっていく。激しくされれば、変色していくし、一度傷ついたらもう治らない。
明日のこととか、今日のこととか、色々と考えて誤魔化そうとするけれど無理だ。

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