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やってはいけない!報われない努力がある!?


努力は必ず実る瞬間が来る。

努力は必ずしもすぐには成果として表れることはないかもしれない。

しかし、努力は普通、忘れかけた遠い未来でその成果が表れる瞬間が来るもの。

そして、そのままの形ではなく、姿を変えて知らず知らずの間に結果として何かしらに貢献している。

なので、決して努力にムダな事は一切ありません

断言します。

ですが、ムダな努力はなくとも、必ずしも報われるとは限らない。

という事を知っておかなくてはいけない。

ここでいう、「報われる」とは、「人に与えた恩恵や、目標や希望を叶えるための労に対して、それに見合うだけのものが返ってくる」という意味です。

つまり、努力が報われるとは、レベルが上がり上達することではなく、ちゃんと成果として表す結果を生み出すことをいいます。

あなたの努力は報われる権利がある。ちゃんと、自分にとっても、他者にとっても、ちゃんと報われ幸せになるだけの結果を受け入れる権利があるのです。

そのためには、努力する頑張るあなたは、ある決断をしなくてはいけない。

それは、 “ 苦手はことを徹底的にやらない ” ことを決断すること。

報われない努力とは、すなわち「苦手分野を克服しようとする努力」なのです。


苦手を克服する努力は選択ミス?!

では、報われない努力とは何か?

圧倒的な努力をしても、普通レベルか、またはそれ以下に辿りつく程度のことで、人に与えた恩恵や、目標や希望を叶えるための労に対して、それに見合うだけのものが返ってくることを実感できないことをいいます。

自分の中では苦手な事をどうにかなくしたいがために必死になって努力し上達したと実感できても、ようやく普通レベルになるのがやっとか、もしくはその平均レベルにさえ到達していないかもしれません。

「労多くして功少なし」ということわざがありますが、苦労した割には効果が少ないことをいい、苦手を克服しようとする努力は決してムダではないが、本心から報われたと実感できるほどの成果は得られないという事です。

努力とは、反復と継続が必須で、時間をかけて「量」を重ねることをいう。

ですが、量を重ねる事は絶対ですが、「選択」を間違っては本末転倒と言わざるを得ない。

つまり、努力をするにも、その方向性に誤りがあると、成果が出にくいのです。

例えば、私は左利きで、字を書くのも左手で書いています。そんな私が、なんとしても習字の先生になりたいと思っているとします。

通常「書道」とは右手で書くものなので、書道の指導をするためには、今から右手で書く練習をしなくてはいけません。

今から、右手で「きれいな字」を書けるように圧倒的な練習をしたとしても、ようやく普通レベルに到達するかしないかでしょう。

ようやく普通レベルの読める程度の字がかけるようになったとしても、その程度では習字の先生にもなれないし、代筆屋などの職に就くことも出来かねます。

一方で、元々右利きの人が習字の先生になろうと圧倒的な努力をすれば、立派な書道家になることも十分可能です。

左利きの私がする努力の量の方が、右利きの人がする努力の量よりも多かったとしても、結果的には報われるのはやはり、右利きの人。

努力をすることはムダにはならないが、「報われない努力」というものがある。

それは、あなたの苦手分野の努力は、既にスタートラインからハンディを背負っているという不利な状態にあるのです。

100メートル走のかけっこで、一人だけが遅れてスタートするようなもので、出発時からすでに大きなハンディがあるのです。

自分の苦手は事、欠点を克服しようと努力をするのは、がんばるあなたにとって “ やってはいけない ”

極論をいってしまうと、“ 苦手な事は克服しない努力をする ” ことを今すぐ「決断」しなくてはいけない

でないと、虚しいというか、努力に見合うだけのものが返ってこないと何となく悔しいじゃないですか?


「何をするか」よりも「何をしないか」

よく、やりたい事を言語化してリストにしよう。といわれることがあります。50個とか、100個とか。

確かに、言葉として言語化することで、自分が何を実現していきたいのかがハッキリしてくる効果があり、潜在意識に刷り込む効果をあるでしょう。

ですが、その前にやらなくてはいけない大切な事があります。

それは、自分の「やらないこと」をハッキリと明確にしておくことです。

やりたいことリストは、確かに効果的ですが、実はその中には、単にやりたいことをリスト化しているため、「苦手分野も含まれている」可能性があったりします。

よくあるのが、他人に影響されたことに憧れて「やりたい」「そうなりたい」ということが、実は自分にとって苦手分野だった。とか。

やりたいことリストに書き込むことが全て自分にとっての得意分野ではないため、中には苦手でも憧れや、かっこいいからとか、あの人みたいになりたいからなど、うわべだけで影響されていることも含まれている。

「何をするか」よりも先に、「何をしないか」を決めるべき。

これだけはやらない(苦手な事)を決めた上で、やりたいことリストを作成することをおすすめします。

なぜなら、苦手分野のやりたいことに努力をしても、平均レベルの成果しか出せないからです。


得意分野を伸ばす努力をしよう

あなたの努力は、苦手の克服ではありません。努力に見合った「報われる努力」を選択するべきなのです。

下図をご覧ください。

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同じ努力の量を重ねても、苦手な事の成果は「普通レベル」になる程度ですが、元々普通にできる事の成果は「上級レベル」になり、さらに、得意な事は「一流レベル」に達することも十分に可能性はあるのです。

単純に考えて、苦手分野から上級レベルになるには、2倍の努力が、一流レベルになるには3倍の努力が必要。

俗に、普通にできる事を一流レベルになるためには、1万時間が必要だといわれています。1万時間という数値はあくまで目安にすぎませんが、普通にできる事でさえも、それだけ時間と量をこなさないと一流レベルにはなれないという事です。

そうなると、苦手分野を一流レベルになるにはどれだけの時間と努力が必要でしょうか?それだけの気力と体力をもって反復と継続は可能でしょうか?

もちろん、「いくら時間がかかっても、苦手なことを克服しよう」という強い意志がもてる人は努力すればいいのです。

何度も言うように、努力に無駄な事は一切ありません。苦手を克服し、努力によって普通レベルになれることの成果は、それは自分の人生の中で大きな価値のあることだと思います。

ですが、あなたが少しでも普通レベルを超えた成果を出したいのであるならば、努力の選択を見極めなくはいけません。

時間は有限。苦手とすることに努力を向けることを一切しないと決断をしなくてはならないのです。

苦手なことはどれだけ努力しても多少は改善されるが、実際はあまり伸びないのが現実です。

逆に、得意なことは努力すればするほど、信じられないくらい伸びる可能性がある。

つまり、努力に無駄はない。ならば、同じ努力をするならば、苦手を克服する努力をするよりも、得意を伸ばす努力をした方が、あなたにとっても、周りに人にとっても、幸せを導く可能性が高いという事です。

自分の苦手分野を克服しようと考えるのは、自分で自分をいじめているようなもの。それが「自信をなくす」最大の原因になりかねません。

自分の欠点が「努力次第でどうにかなるもの」であるならば、努力するべきかどうか。

結論から言いますと、努力している場合じゃありません。むしろやっちゃいけません。

人生は一度きり。限られた時間で同じ努力をするなら「得意分野のレベルを上げる」事に努力するべきではないでしょうか。

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