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ポシティブに捉えることができる人は「何が」違うのか?


人生には、「いいとき」もあれば

「つらいとき」もある。

それは、気持ちの変化、環境の変化、時代の変化、体調の変化・・・

何かしら身の回りのことに変化が生じた結果に伴い、

「今はいい時だ」
「今はなんて辛い時なんだ」

というように、簡単に心の状態が左右されてしまいます。

コロコロと変化し続ける現状に、常に自分の心の状態がもろに影響を受け、その度に、感情が揺さぶられ過ぎてしまうと、心の不安定が生じ、「うつ」になりやすくなってしまいます。

ですが、自分以外の全ての人やモノに変化があるのは当然です。
むしろ、変化しないと困ることもありますよね。

人生は山あり谷あり。

ですから、良くなったり悪くなったりするのは当たり前といえます。


さて、人生は山あり谷あり。といった当たり前的なことを冒頭から述べてしまいました。

そこで、あなたは、どう感じたでしょうか?

「人生には、いい時もあれば、つらい時があるのは当然だ」

と、当たり前すぎる文章を読まれたわけですが、

どう捉えましたか?

次のAからDのパターンから、あなたに起こった最も近い感情を選んでみてください。


A:
「そんなことわかってんだよ!言われなくても知ってるわ」

B:
「そうなんだ、これからどんなことが起きるか心配でしかたない」

C:
「むしろ変化はあってほしい、だって今の現状ってあまりよくないもん。」

D:
「全くその通りだと思う。変化はいつ何時もするものだと思ってなきゃだめだよね」


いかがでしょうか?

「人生には、いい時もあれば、つらい時があるのは当然だ」

といわれても、人によって捉え方は全然違います。

では、A・B・C・Dは、それぞれどういった感情なのかを順にみてみましょう。


「人生には、いい時もあれば、つらい時があるのは当然だ」
に対して、

【Aの感情】
「そんなことわかってんだよ!言われなくても知ってるわ」

この感情は、「つまらない」です。
何度も聞いたことのあるセリフを改めて言われたことで、
「それがどうなの?」と、くだらない思いの感情になってします。

「人生には、いい時もあれば、つらい時があるのは当然だ」
に対して、

【Bの感情】
「そうなんだ、これからどんなことが起きるか心配でしかたない」

この感情は、「どうしよう」です。
もしかすると、この「どうしよう」という不安の感情を持ってしまう方が最も多いのかもしれません。
誰だって未来の事に不安を感じ、これからどんな変化が起きるのか心配でならない。
「今のままでいいのか・・」「これからどうすりゃいいんだ・・」
などの焦燥感に晒されやすい人は多い。
「人生には、いい時もあれば、つらい時があるのは当然だ」
に対して、

【Cの感情】
「むしろ変化はあってほしい、だって今の現状ってあまりよくないもん。」

この感情は、「もしかすると」です。
この、期待がこめられた感情は、先ほどのBの不安の感情とは全く反対の感情です。
大抵の人は、今の現状に大満足です、という人はそう多くはないはずです。
とはいえ、未来にどんな変化があるかわからないけど、むしろそれは、今の現状よりも「もしかすると」よくなるかもしれない。
不安の感情よりも、期待の感情を抱き、希望や奇跡的な出来事でも起きるんじゃないかという、明るい感情です。
「人生には、いい時もあれば、つらい時があるのは当然だ」
に対して、

【Dの感情】
「全くその通りだと思う。変化はいつ何時もするものだと思ってなきゃだめだよね」

この感情は、「そうだったね」です。
「人生には、いい時もあれば、つらい時があるのは当然だ」と、当たり前のことを改めて言われたことに対して、「感謝」しています。
なかなか人は、分かりきったことを聞かされたところで、「感謝」する人はあまりいません。
知ってる事を聞かされても、やはり「そうだね」といいつつも、
(そんな知ってるよ)って思ってしまいます。


さて、AからDのように、同じことを言われても、
捉え方はさまざまでした。

同じことがでも、それを「ポジティブ」に感じる人もいれば、
「ネガティブ」に感じる人もいます。

この違いが起こってくるのはなぜでしょうか?

それは、まわりの環境や起こっていることに対しての

 “ とらえ方 ” が違う

ということですね。

物事をどう見るか、どうとらえるか、つまり、起きていることは同じでも、認知の仕方次第で出てくる “ 感情が変わってくる ” ということ。

「世の中はよいもの」ととらえる人と、「世の中はよくないもの」ととらえる人では、目の前に同じことが起こっても出てくる感情は違ってきます。

例えば、環境の変化を表すものとして、「景気」という経済状況があります。

世の中が不景気でも、よいものととらえることができる人は、明るい気持ちを保ちやすくなります。いかにもポシティブな人って感じですね。

一方で、よくないものととらえる人は、自然と暗い気持ちが強くなるでしょう。
こういう人は、たとえ景気が良いときでも、わざわざネガティブなポイントをわざわざ見つけ、わざわざ暗い気持ちになったりするのです。

つまり、

「現状がどうであるか」よりも「現状をどうとらえるか」の方が、
人生の良い時、悪い時を決める決定要因だったりするのです。


ABC理論



臨床心理学者に、アルバート・エリスさんという方がいらっしゃいまして、

『人は見えている世界をどう受けとっているか、その受けとり方で見ている世界は違う』

とおっしゃっています。

まったく同じ場所で同じ経験をしても、人はそれぞれ異なった受け取り方や感じ方をしているため、
ある人は喜び、ある人は悲しむといった違いが生まれると名言されております。

そこで、アルバート・エリスさんは、
1955年に「ABC理論」という論理療法の概念を提唱します。

「ABC理論」のABCは、

Activating event(起こっている事)
Belief(価値観や信念)
Consequence(結果による行動)

それぞれの頭文字をとってものです。

ある出来事(A)に対して、こういう行動(C)をした。
それは、その出来事(A)に対する価値観や信念(B)を持っているからである、

という考え方です。

もう少しわかりやすくしてみると、こういう事です。

A = あるきっかけとなる出来事が発生!
B = その出来事をどう解釈するかによって
C = それに続く行動が導きだされる

世の中で起こっている事象に対して、自分がどういったとらえ方をするかで、気分や感情が起き、それに見合った行動をとってしまう。

ということです。

どうでしょうか?
自分の感情や行動の要因は、周りに影響されたからだと思っている人も少なくないはずです。

ですが、

人の気分や感情は、起こっている出来事に影響されるが、

 “ 自分の持っている信念や価値観というものの方が、
さらに強い決定要因となっている ” 

ということです。

つまり、自分の気分や感情は、自分自身の「とらえ方」
つくり上げている

ということ。

これはまわりの状況や変化による影響よりもはるかに大きなものだったりするのです。


心の矢印は自分か、それとも周りに誰かか?



冒頭の、「人生には、いい時もあれば、つらい時があるのは当然だ」に対するA~Dの異なる感情について、もう一度見てみましょう。

A:
「そんなことわかってんだよ!言われなくても知ってるわ」

B:
「そうなんだ、これからどんなことが起きるか心配でしかたない」

C:
「むしろ変化はあってほしい、だって今の現状ってあまりよくないもん。」

D:
「全くその通りだと思う。変化はいつ何時もするものだと思ってなきゃだめだよね」

Aは「つまらない」
Bは「どうしよう」
Cは「もしかすると」
Dは「そうだったね」

という捉え方が異なるというものでした。

CとDのポシティブなとらえ方をする人達の場合、
AとかBのようなネガティブなとらえ方をすることに、

「どうしてそんな考え方しかできないのだろうか?」

と、ネガティブになってしまうことが信じられないかもしれません。

反対に、AとかBのようなネガティブなとらえ方をする人達は、
CとDのようにポシティブになれるのかが、
理解できなかったりするかもです。

あるいは「無理してそう考えようとしているのでは?」
と、思うかもしれない。

さてここで、

AやBのような負の感情が起こりやすいとらえ方(信念や価値観)を
「消極的なとらえ方」とします。

この場合の「消極的」とは、まわりや状況や変化に対し、ネガティブでマイナス的な感情になり、人生を創り上げていくために消極的なとらえ方をしてしまう、

ということです。

CやDのような豊かな感情が起こりやすいとらえ方(信念や価値観)を
「積極的なとらえ方」とします。

この場合の「積極的」とは、人生を創り上げていくために積極的なとらえ方かどうか

ということです。

どうでしょうか。
誰がどう考えても、後者の「積極的なとらえ方」のほうがいいって思いますよね。

また、そうありたいとも思ったりするはずです。

何が違うのでしょうか?

積極的な感情になれる人と、消極的な感情を起こしてしまうこの違いはどこにあるのでしょうか?

AやBの「消極的なとらえ方」をしてしまう最大の特徴は、

「自分だけに心の矢印が向いている」

という点にあります。

自分が上手くやるとか、自分のメンツを保ちたいとか、意識が自分のことに集中しています。

一方、CやDの「積極的なとらえ方」ができる最大の特徴は、

「自分以外にも心の矢印が向いている」

という点にあるのです。

ポジティブで柔軟性があり、自分自身やまわりへの信頼感が感じられ、未来への明るい視点を持っているということです。

とはいえ、AやBの人達からすると、


「そんなことを言われても、そういう風にとらえてしまうことが染み付いてんだから、どーしようもねー!」

とか、

「フツーはこういう風にとらえるよね」

ってなるかもしれません。

ですが、AやBの人達がいう「こういう風に捉えてしまう」というのは、「ABC理論」のBelief(価値観や信念)です。

「ABC理論」忘れていましたか(笑)

Activating event(起こっている事)
Belief(価値観や信念)
Consequence(結果による行動)

ある出来事(Activating event)は、
あなたの価値観や信念(Belief)によって、
あなたの考え方や行動という結果(Consequence)を生み出す。

でしたね。

つまりは、

あなたの価値観や信念を、
あなた自身が変えない限りは、
希望ある明るい未来を創り出すことはできない

といえるのです。

信念や価値観は、これまでの経験によって生み出されたもので、
いってみれば、あなたのこれまで根付いてきた「過去の自分」です。

つまり、これまでの経験則で物事を考えてしまうので、
心の矢印は、過去の自分の経験による考え方にばかり向けてしまうのです。

どういった価値観をもち、
どういった信念をもっているかによって、
物事の捉え方は大きく違ってくるのです。


心の習慣



信念や価値観は、これまでの経験によって生み出されたものですが、
環境や携わってきた人達の影響などによる、後天的につくられたものだから、後天的につくり変えることもできるということです。

「心の習慣」によって、より望ましい形にしていくことが可能なのです。

心の習慣というのは、
過去の経験にしがみついている自分に気づき、
心のベクトルを未来に向けるということです。

消極的なとらえ方をしてしまうのは、
あなた自身の勝手な「思い込み」なのです。

「現状がどうであるか」よりも
「現状をどうとらえるか」の方が重要
です。

世の中の事象をまともに受け止め、自分にばかり矢印を向けるということは、自分の心に鋭い矢を刺しているようなものです。

「社会がこうなってくれたら」とか、
「あの人がもっと変わってくれたら」とか、
「身の回りの人間がこういう考え方を持ってくれたら」

などと思う気持ちは、

「どうぞ、自分に攻撃してください」

といっているようなもので、自らを被害者にしてしまっているのです。

なので、

「現状がどうであるか」よりも
「現状をどうとらえるか」

そして、その前向きにとらえた自分軸を未来に向けて矢を放つのです。

そのためにはまずは、

自分ができることからやってみる。

それは、自分自身のとらえ方、考え方を事が上手く運ぶ方向に
積極的に変えてみることです。

起きた出来事に対して、「つまらない」「どうしよう」と捉えてしまうのは、自分だけに心の矢印を向けてしまっているので、
起きた出来事をまともに受け止める体制を自らが作っているのです。

受け身である以上は、何も生み出せません。

消極的な感情になり、人生を創り上げるだけの考え方や発想がなく、ちょっとした変化にもネガティブになってしまいます。

一方で、起きた出来事に対して、

「もしかすると」(Cの感情)
「そうだったね」(Dの感情)

と捉えられることは、

自分以外の他の誰かに対して心の矢印が向いているため、
他の誰かに、希望や明るい未来を積極的に提供している
のです。

Dの「そうだったね」は、「人生には、良い時と辛い時があるのは当然だ」と、当たり前すぎる事を書いた僕に対して心の矢印を向けてくれているのです。

Dのような「そうだったね」という捉え方をしてくれた人は、

他の誰かを「信頼」していることです。

そして、

未来に「希望」をあたえてくれているのです。

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