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「休むこと」を “ サボらない ”


あなたのスケジュール帳に「休暇」はどのくらいあるだろうか?

もし、ほとんどない、いつ休みなのかわからない、といった状況は今すぐ改善するべきです。

一方で、「休んでなんていられない!」「私に休みなんて必要ない!」と思っている人。

それは危険信号です。

会社勤務の人、自営業の人、兼業主婦の人、どんな立場にあろうが

「休むこと」は必要。

そんなことは当にわかっているにもかかわらず、「休めない状況」から脱することができないのでしょうか?

あなたには、「休むスキル」がどのくらいあるでしょうか?

“ 休む使命 ” を、サボってはいないだろうか?


休めない人、休まない人


まず最初にお尋ねします。

あなたに「休みが足りてない」と思っているとするなら、それは、

「休めない」のか、それとも「休まない」のかどちらでしょうか?

この両者の心境を僕なりにこう解釈しておきます。


休めない = 休む理由が見つからない

休まない = 休むことが怖い


前者の「休めない」人は、疲れもたまり本当は、休みたいけど休めない。そんな状況におかれた人。

本当に忙しくて休む暇がなかったり、もしくは、会社が休めない雰囲気だったりなど、休む理由が見つからないため休めない、などがほとんどの理由かもしれません。

この「休めない」解決方法は意外と簡単で、

「休む理由をつくればいい」。その理由が、正当なものであろうがなかろうが、です。

一見、それは「サボり」だと思われるでしょう、「休む理由がないと休めないのはおかしい」と思うかもしれません。

ですが、「休めない」と言っている人が「休む」にはどうすればいいですか?

「休めない理由」がある事に対して人は敏感だが、「休む理由」がある事に対しては鈍感だとはおもいませんか?

「休めない」理由がちゃんとあるならば、「休む」理由もちゃんとあるようにすればいい。

その理由が、正当なものであろうが、「サボり」であろうが、「ウソ」であろうが、休める理由が成り立つなら、それに罪悪感を感じるのは非合理的ではないですか?

朝から晩まで巧みにウソをついている人だらけなのに、「サボらない」「ウソをつかない」という誰も守れない原則を後生大事に保存しているのは不思議と言うよりほかにありません。

人間は、進化のプロセスで、高度な嘘をつけるようにもなりましたが、同時に、相手を思いやる心や本質を見抜く力も磨いてきました。

ある程度の嘘は「あるもの」として、時には思いやりをもってやり過ごし、時には厳しく追及する、そのような判断ができる高度な力も、人間には備わっている。

もしも、人間全員が全く嘘をつけなくなってしまったら、おそらく社会は混乱するか、ぎすぎすとしたものになってしまうとは思いませんか?

「サボること」や「ウソをつく」は、怠けることではなく、抜け出せない危険な状況から自分を守るための一つの作戦であり、自分を守るための護身術の一つであり、なくてはならないスキルといえます。

「休みたいけど休めない人」を救うには、休みを故意に作ることが最も簡単な解決方法です。

然もや、その行為によって、会社の人に迷惑がかかるとか、イヤミをいわれるとか、罪悪感を感じたりするでしょうが、そんなリスクは「誰もが同様に思っている事」です。

あの人も、その人も、暗黙のルールに支配され口を閉ざしているにすぎません。

それに案外、他人は、あなたが思っているほどに、

「あなたが休む事に対してそんなに気にしてはいない」

もし仮に、イヤミったらしく言ってくる人がいるなら、その人は、「休まずに頑張る自分を認めてほしい」という欲望がある反面、「本当は自分も休みたい」、です。

結局その人も休みたくて仕方がないわけなのですね。


さて、「休めない」状況で休みが足りていないという方はまだ大丈夫です。

やっかいなのは、「休なまい人」。

先ほどの「休めない状況で休めない人」とは逆で、休めない状況を自ら作ってしまうのです。

比較してみると、


休めない状況 → 休めない(休みたい)

休まない(休みたくない) → 休めない状況


前者は、休めない状況にあるため、休めない。しかし休みたいのがホンネ。

後者は、休みたくないため休まない。そのため休めない状況を自ら作ってしまっているのです。

なぜ、休まないのでしょうか?

休まない理由、それは、

「不安」だから ────── 。

自ら「休む」ことをしない、出来ない。「休むなんてとんでもない!」という、休みに対する恐怖心さえ感じてしまっているようです。

仕事が楽しいから、今、ノリにノッテいるから、などの理由もありますが、それは一時的な事であり、すぐに「休みたい」という前者の類に位置します。

厄介なのは、休むことが「恐い」と思っている人です。
いわゆる「休暇恐怖症」

「うかうか休んでいられない!」

「もっともっと稼がないと!」

「まだまだスキルを磨かなきゃ!」

「周りのみんなはもっとがんばってる!」

・・・・

など、何をそんなにあせってしまうのか?休みなしにひたすら突っ走ることしかできなくなってしまう人は意外に多いようです。

この「休まない」人は、頑張っているわけではなく、休む行為に何らかの「不安」を感じ、得体のしれない恐怖心を感じているようです。

休んだ分だけ収入が減るかもという恐怖

休んだ分だけ周りの人に置いてけぼりにされる恐怖

・・・

自分に対して自信がなく、否定的に見ている。

他人から評価されることでしか、自分の存在意義を感じられない。

そのためついつい100%以上の力を出そうとしてしまうことが主な原因だと考えられます。

つまり、自分に対する自己効力感が低く、頑張りさえすればどうにかなる、結果がでると思い込んでしまっている人に多いようです。

大切なのは、未来の自分に辿りつけるかどうかです。早々に失速してしまっては、辿りつく前に力尽きてしまいます。積極的な休暇はあなたの使命。


休まない文化を是正しなくては


「上手な休み方ってどうするの?」

、と子供に尋ねられたらどう答えますか?

おそらくですが、「夜更かししないでちゃんと早く寝なさい。」とか、「しっかり体を休める方法」的な事を述べるはずです。

では、同世代の友人に、「上手な休み方ってどうする?」

、と尋ねられたらどう返答しますか?

もしかしたら、「会社(仕事)を休みたい時に使える最適な理由」や「言い訳にはならないサンプル事例」などの「ズル休みの仕方」などを答えてしまいそうではないですか?

子供の頃は睡眠に対してそれほど気に留めはしなかったかもしれないが、大人になって会社勤めをすると睡眠はその人の「体調管理」という責務が紐ついてきます。

では、あなたにとっての「体調管理」とはどういう事を差しますか?
「体調管理ができている人」とはどんな人を思い浮かべますか?

それは、「滅多に病気しない、やむを得ない用事でない限りは休まない人」ではないでしょうか?

子供の頃、学校を一日も遅刻しない、休まない子には「皆勤賞」として表彰されていました。残念ながら僕は一度も受賞したことはありませんが・・。

生徒に時間厳守と体調管理を身につけさせる絶好の方法であることに間違いありません。時間を守ることで授業がスムーズに始まり、学力向上につながります。

学校を休まなければ授業内容の遅れはありません、友達と話す機会が出来、コミュニケーション能力も身につきます。無欠席を推奨することは、生徒にとって有益だからこそ推奨するものなのでしょう。

しかし、この皆勤賞に学力向上やコミュニケーション能力など本来の価値観を知っているのは大人だからです。

子供がそこまで理解しているとは思えません。子供が感じ取るのは、単純にこうではないでしょうか?


「学校を休まないこと=善」と教わる

「学校を休む = 悪」だと感じる


少なくとも私はそう思っていました。

「あの子は一日も休まないからかしこい」と。

確かに子供にあえて「休み方」を教育するのは、かえって「サボり癖」を根付かせてしまう恐れがあるかもしれません。

いえそれどころか、むしろ学校の先生方が「休み方」を教えることができないのかもしれませんが・・・。

休み方の教科書を一度も読んだことないまま、成人になった途端、「体調管理は自分で責任もってやりなさい」という。

「学校を休まないこと=善」と教わった子供がそのまま成人すると、


「体調管理できる人」= 皆勤賞で表彰される人

「体調管理できる人」= 休まない人


休むことの大切さに気付くまで、「休まない = 善」だと認識してしまっているのはないだろうか?

少なくとも私が新入社員として入社した時はこう教わった。「学校と違って仕事(会社)は何があっても休めないものだ」「やり直しはできない、それが社会人だ」と。

さすがに今ではここまで言い切る人はいないかもしれませんが、実際「休めない雰囲気」が漂う職場は今でも根強く在しているようです。

さらに、日本国内にはなぜか「休むことも仕事の一貫である」という文化があるが、私はこの文化がなくならない限り本当の「休む大切さ」を見いだせないと思っている。

なぜなら、「休む目的が、(会社)仕事のため」だといっているようなものだからだ。

本来、休むとは、私たちが生きていくうえでもっと重要な役割に位置するものであり、仕事の一環だと定義していしまうと、その価値観の認識は、極論「休まずに働け」といっているようなもの。

休むことは仕事の一貫という圧力ではなく、「休暇を満喫するために、仕事を頑張る」「休暇で成長するために、日々努力をする」「休暇のために」という休暇中心の考えもありではなかろうか。


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