瀧本の映画感想 第十回「フォレスト・ガンプ」
私はフォレスト・ガンプです。いやいや、違う違う瀧本だ。ここ数週間アベンジャーズやレディプレイヤー1によりアクション映画を観てきた人は大きく分けて二つに分類される。アクション欲があふれたものとそうでないものだ。特にアクション欲があふれた人なんて過去のMCUをみかえしてるんじゃないかな。私はインフニティーウォーでその欲が満たされてしまい、後者となってしまった(まあ、熱しやすく冷めやすい性格のせいかもしれないが・・・)。そんなわけで目に優しいこの「フォレスト・ガンプ」を選んだというわけだ。多くの映画ファンやそうでもない人もこの作品を知ってる人は多いんじゃないだろうか。名作中の名作、そんな肩書でレンタルショップに並んでいることだって少なくない。それゆえか、いつでも借りて観れることができるだろうと思い、恥ずかしながら申し上げますと・・・私は一度もこの作品を観たことがなかったのだ。アクションでさんざんぐるぐるさせられた目を癒すには今がちょうどいいと思い視聴に踏み切ったわけだ。
※以下、ネタバレを含みます
”人生はチョコレート箱のようなものだ。食べてみるまではわからない”そんな意味ありげなセリフをぎこちない青年が念仏を覚えているかのように発言するところから話が始まる。WW2後の激動の時代の駆け巡った青年の生き様を我々は追体験させられる。終わった時のはかなさは自分のこれまでの人生、これからの人生を考えさせられ小一時間ほどだまってしまう作品だった。目の疲れを癒すどころか泣いてしまって余計に疲れがたまってしまったじゃないか!(訴訟)
大きく揺れ動く時代の中で自分を見失うことはない変わらない男性、自分を見失い変わりゆく女性。その対比が作中において目が離せなかった。特に大きく場面展開があるわけではなくただただたんたんと進んでいくストーリーに居心地の良さ、一瞬一瞬のできごとに喜びや悲しみがあり、私たち人間が一人では生きていくことができないこと、そして運命とはなんなのか、名作と言わしめる理由が分かったような気がした。たしかにこうした他の人の人生を追体験させられる作品は多いだろうが、主演のトム・ハンクスの他とは逸している人柄の演技が我々を退屈させることはなく、笑いや涙を提供してくれたのも名作たるゆえんの一つだろう。
主人公のフォレストだけでなく、軍の気さくなダン小隊長、そしてフォレストの母は特に目を引くものがあり、フォレストにより運命を変えられてしまったダン小隊長の変わりよう、最後には救ってくれたフォレストに感謝を示すシーンなどはダン小隊長にフォレストだけではく我々も敬意をはらいたくなってしまう。フォレストの母はなんでもわかるように説明してくれる優しさ、名言しか言わない装置だった(ほんとうにそうなため)。
さて、この作品の魅力はこの辺にして感想を書いていこうかなと思うが、正直メッセージ性がある映画の感想をどういえばいいかわからないんだな(何なんだこのアホ)。しかし、自分たちは他とは絶対にどこか違う、それは肉体的にかも精神的にかもしれない、しかしそれだからこそ我々は互いに影響しあい、時には自分の中の信念を貫き通すことが必要だ。自分にないものをみつけるよりもなにかやってみるそれだけで人生は変わる。それこそ”人生はチョコレート箱のようなものだ。食べてみるまではわからない。”
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