近況報告 外伝 〜青春は続いている〜
前書き
自分もまだ20代で若いと言えばそうなのだが、1日が経つスピードが早かったり、筋肉痛が遅れてきたり、運動をしないとなと意識させられるシーンが増えてきた。老いたとまではいかないが、やはり年齢を重ねたと感じることはしばしばある。
しかし、これから先の未来、肉体的老いは克服するのではと考えている。それこそ、いつか漫画や小説で見た機械化・サイボーグなんて夢ではないほどに。だが、アニメ「PSYCHO-PASS」で槙島聖護が全身サイボーグ化した泉宮寺との会話でも触れたように、心の老いと向き合う必要が出てくる。
それこそ、アメリカの実業家にして詩人のサミュエル・ウルマンはこう言っている。
肉体的老いは否応なしに我々に降りかかるが、心の老いはありようによっては防ぐことができる。「青春」という心の様相を持ち続けることによって・・・そして、私もその「青春」が心にあることをついこの間再認識した。
本文
去る8/13(土)、コミックマーケット100の1日目、私はそこにいた。一般参加ではなくサークル初参加としてその場にいたのだった。サークル側から見える光景はどれひとつとして同じものは無く、大荷物を抱える青年やコスプレをした華やかな女性などが変わる変わる往来していた。
参加申し込みから今日まで、正直感動と呼べるものはなかった。以前から創作をしていたこともあってか、作品を生み出した感動は薄かった。自分の作品が初めて製本されるシーンですら、嬉しさはあったが揺れ動く何かは抱かなかった。大学時代の頃の先輩が、よく私に言っていた「自分から生まれるものは、結局自分の想像の範囲を出ない」という言葉を思い出していた。
当日、軽い挨拶を交わし「1部ください」と言われたとき、私の手は震えていた。自分の作品に金銭というやりとりが発生したせいか、それとも見知らぬ誰に求められるのが初めてだったせいか、とにかく緊張していたのは確かで、イーゼルに立てたホワイトボードを読んで立ち止まってくれたり、見本誌をまじまじと読んでいただいているときなどは、首にナイフを突きつけられている心持ちだった。
結果、8部売れた。どう考えても赤字だが、そんなこと分かりきっていたし、仮に全部売れたとしても赤字であることは変わりなかった。サークル初参加やジャンルとしての規模からも1部でも売れればいいと思っていたが、その8倍となった。嬉しいと言われればそうだが、より多くの人の手に渡って欲しかったという悔しい気持ちもあった。これは想像できた。でも、終わってホテルに戻り、呆然と窓の外を眺めたときの形容し難い達成感は心地よかった。それを達成感という言葉で語ってはいるが、本当のところこれを表す言葉を持っていないだけのような気がする。
私から生まれた感情は、私の想像を越えていた。いや、私が生み出した感情ではなく、多くの人が生み出した感情なのだろう。サークルメンバーの友人、表紙を描いてくれた人、製本を依頼した印刷所、そして買ってくださった方、そういった人たちが紡いで自分に返ってきたのだと。
私は「青春しているな」と思った。新しいことに邁進し、多くの人に助けられて、そして最後に得たのがまだ知らぬ感情。この感情は希望であり、心の活力であった。そして、前書きのサミュエルの言葉を思い出した。私はあの感情をまた味わいたいと思うし、何よりまた新たな作品を書きたいと思った。こうした日々を重ねていき、心は若くみずみずしくありたい。
最後に、ともに参加したメンバーも「青春」を感じているなら嬉しく思うし、購入してくれた人が少しでも面白かったと思ってくれることを願っている。