瀧本の映画感想 第五回「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー・リミックス」

どうどう、瀧本です。さて、今回も仲間いや”家族”とバカ騒ぎしてきたぜ、と言いたいところなんだが、以外にもシリアスなストーリーでまたまた楽しませてもらった。世間は「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」で盛り上がっているがそんなことはどうでもいい。まだ、観ていない作品を面白いや楽しんだなんて言えそうにもないんでね。

※以下、ネタバレを含みます

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(以下、GOGと略)と銘打っているが実際は難ありまくりの人(?)たちで構成されておりチグハグだらけだ。開幕から繰り広げられる戦闘がもっともそれを象徴しているだろう。しかし、前作から延長のようでどこかあのバカ騒ぎたちが戻ってきてくれたことに安堵する。前作はスター・ウォーズなどとは違うスペースアクション、つまりMARVELが作り出す世界観に圧倒されたが、今回は中身を重視していた。前作で我々を虜にした世界観は損なわれることなく、ストーリーとしての面白さが詰まっており、いかにもVOL.2と言わしめる出来だった。

今回のテーマは「家族」でその在り方を前作に散らばめた伏線から見事に回収し形作っていた。主人公ことピーター・クイルとその父エゴ、ガモーラとネビュラの関係性がまさにそれだ。前作でピーターは地球人であることにもかかわらずオーブを制御したことで、自分ははるか古代宇宙人の血を引いていることを知る。そのときピーターはあまり気に留めていなかったが、VOL.2ではその血を中心に話が進んでいく。ピーターの実の父であるエゴはそのままの意味であるように実に利己的である。最初はおお!ピーターの父はすごい存在なんだなと思っていたが、ガモーラたちが洞窟で他の生物の亡骸を見つけてから話が急転していく。彼はピーターの母以外にも他の生命たちと交配しており、全宇宙を拡張によって事実的な支配をもくろんでいた。母に向けた愛が不確かな物だと知るといっさい躊躇せずブラスターを撃ちまくる姿にはしてやったという気持ちにすらさせられた。

次にガモーラとネビュラだ。彼女たちはあのサノスの娘として育てられていたが、自分たちに酷いことをしたサノスを倒そうとしている。彼女たちは毎日のように戦わされいつも妹のネビュラが負け、体の一部をどんどん機械に変えられていった。それゆえ、姉のガモーラに勝って自分という存在を確立させたかったんですね。しかし、ガモーラに助けられ自分が姉を倒しても何もおきも得られもしないと気づくと姉妹としての関係性が芽生えていく。

また、ヨンドゥが実の息子のようにピーターを育ててきたこと、前作になんども出てきた「食われるぞ」の真の意味がわかりましたね(前作では小ネタぐらいのノリで聞いてんだけどな・・・)。ヨンドゥがエゴの子どもたちをさらい、そのこどもたちは光を使えず文字通り星であるエゴに食われていたんですね。それを知ったヨンドゥは大きくなってもピーターをエゴに引き渡さなかったのには父親の優しさを感じます。奴隷として生まれ育った愛を知らない彼に愛を心の穴をピーターが埋めていたんですね・・・。そして、今度はその家族としての愛はロケットの心の穴を埋めるために受け継がれたんですよね。

最後にピーターが真の父がヨンドゥであることに気づき感謝することで男として、いや人として大きく成長したなと感じました。前作のたまたま宇宙の危機を救っちまったぜ!みたいなノリではなく、自分の意志で宇宙を救うという結論にたどり着き、結果は同じだが非常に中身がともった作品であった。前書いたナポリ号だっけ?そんな機体に乗って一緒にバカ騒ぎしたいなんて言った自分をまた殴りたくなってしまった。前作で植えつけられた映画感(この表現怪しいけど)を見事にぶち壊す作品はそうそうないと思っているのでこの作品を観れたことをありがたく思う。しかし、GOGに入りたいかと言われたら入りたいと言っていたが、あの”家族”の愛や絆を見守りたくなってしまう気持ちの方が勝ってしまい、僕がGOGメンバーになるのはまだ先のようだ・・・また、どこかで会いましょう~~

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