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『潮騒』に駆られて・・・

前書き

 『潮騒』とは、戦後を代表する文豪 三島由紀夫の小説のことである。
ある島をモデルにした、男女の純愛を描く作品である。淡白なストーリー構成だが、そこに含まれるは美しい言葉で彩られた風景や人情、自然と人間との見事なまでの調和であり、一種の芸術さを感じずにはいられないほどである。

 思想を多く含む三島作品の中で、ここまで真っ直ぐで腹持ちの良い作品は彼の作家としての才能を再認識させる。人に勧めると言った点でも非常に優れているので、まだ読んだことのない人は一度手に取ってもらいたい。

きっかけ

 『潮騒』の解説には、作品の背景が書かれており、そこには作中に出てくる島が実在している島をモデルにしてあることが書かれていた。その島は三重県鳥羽市に属する「神島」で、島の要所も忠実に写生しているとのことだった。幸いなことに、私は日帰りで行ける距離に住んでいることもあって、いつか訪れてみて、美しい日本語で表現されたあの風景を見てみたいと思った。しかし、日帰りで行けると言っても仕事が忙しく、行くという心の余裕が無かった。いつかは行けるだろうと思って頭の片隅に置いておいた。

 それから数ヶ月後の11月初頭、ご縁により転職を考えるようになった。そして、転職がうまくいけば東京に行くことになることも分かった。東京に行くことは非常に魅力的だったが、それを考えると今住んでいる場所に妙に愛着を感じた。それと同時に、頭の片隅にあった「神島」を思い出した。もし、転職活動がうまくいき、東京に行くことになったら「神島」に行く気が薄れるような気がした。多分一生行かないかもしれない・・・そんなことが頭をよぎった。だからこそ、行けるうちに行こう、それも早くと思った。

いざ行かん

 行くと言っても一人で行く気にはなれなかったので、名古屋の友人を誘った。彼には以前「潮騒」を勧め、中々に好評をもらっていたので、一緒に楽しめるだろうと思って誘った次第である。私のスケジュールが空いている日が12月26日しかなかったので、日曜なのに悪いなと思いつつも誘って、OKをもらった。しかし、自分も友人もクリスマス直後であることを当日まで失念していた・・・

 そして、来たる26日。私は前日に会社仲間とのクリスマス会があり、21時で解散だったのに、面白いからという理由だけで二次会に強制参加させられ、3時まで酒盛りをしていた。当初の自分の予定では、日付が変わる前には帰宅して、万全の状態で向かうはずだったのに、なかなか思うようにことは運ばなかった。結局、会社仲間の家で7時まで仮眠を取り、眠い目を擦りながら帰路に着くと、雪が降り始めていた。疲労感たっぷりの体でなんとか帰宅し、シャワーを浴びると鳥羽行き電車の時間が迫っていた。

 プラットホームで朝飯がてらにおにぎりを貪っていると、雪がさらに強まり、島に行けるのかという不安と同時に雪も積もっていった。前日に慣れない酒をかなり飲んでいたが、二日酔いでは無いのが唯一の救いだった。

 もちろん、車内では寝た。マスクが涎と鼻水でベチャベチャになった不快感で起きると、もう五十鈴川駅を過ぎており、外は曇りとも晴れとも言い難い天気だったが、雪は降っていなく、定期船も通常通り運行しているとのことで安堵した。友人は私よりも先に到着しており、無事合流できると「あれ?こんな場所で偶然〜」みたいな小芝居を挨拶がわりにし、私たちは鳥羽マリンターミナルに向かった。友人も昨日まではクリスマス関連の宴会で、疲労しているらしく、こんな時期に行くなんてバカだよな〜などと言い合った。

 マリンターミナルに向かう途中で、みぞれが降ったり強風が吹くなど、ままますこんな時期に行くなんてバカだとは思いつつも、定期船は問題なく出航した。実は移動用の中型船に乗るのは初めてだった。席数もそれなりにあり、天気や波が穏やかであればデッキの方に出ることもできた。だが、天気も天気だし、友人は船酔い持ちだったので、我々は大人しく中央の席に座った。

 沖合に出ると、波は強くなり、船は時折上下横に大きく揺れた。自分は海無し県出身だったので、船独特の浮遊感に新鮮さがあったが、同時に不快感もあった。途中、答志島に立ち寄る40分の船旅のすえ、我々は遂に神島に到着した。

神島上陸

 船から降りると、陸のありがたみを足裏で強く感じた。桟橋から島の入り口に足を運ぶと、「三島文学 潮騒の地」と書かれた記念碑が目に着き、ここがあの神島であることを鮮明にさせた。

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 記念碑にもある「潮騒」の冒頭五行は淡白に見えるが、後にくるなんともいえない味わい深さが、島が神秘的で美しい世界であることを暗示しているようであった。

 島に上陸後、ちょうど昼時だったので島内の食堂に入った。こんな話はいやらしいかと思うが、値段は特に高くもなく本土と同じだった。食事中には子連れの親子が店に入ってくるなど、良くも悪くも島らしさを我々は感じなかった。そこに生きる人々のありありとした生活がただそこにあるだけだった。

 昼食後は、この旅のメインである神島散策を始めた。三島文学の舞台として有名になったこともあり、島を一周する遊歩道が整備されていた。また、小説に出てくる要所には説明書きがあるなど、観光に力を入れていたことがわかった。

 まず最初に、訪れたのは八代神社。とは言っても急な階段が200段以上も続いており、自分も友人もデスクワーカーなので途中途中でヒイヒイ言いながら登った。こうしたことで歳を感じるようになったなあと・・・
島唯一の神社ということもあり、古めかしさもあったが定期的に人の手が入っているのも伺え、島民の心の拠り所として重要であるがわかった。

 また神社は、綿津見神だけでなく天照皇大神や須佐之男命なども祀っており、我々は旅の安全を祈った。賽銭箱の横には、島の小学生が我々のような観光客に向けて作った「子どもみくじ」なるものがあったので、一ついただいた。中には島の渡鳥や蝶のことや、「誰かを想った分だけ自分に幸せが渡ってくる」というありがたい教えが生き生きとした字で書いてあった。

 次に向かったのは神島灯台。日本三大海門の一つである伊良湖水道にある暗礁のために作られた灯台で、伊勢湾の玄関口としていかに重要であるか説明書きの立て看板に書かれていた。灯台横からは文字で見たことしかなかった伊良湖水道と伊良湖岬がくっきりとこの目で見ることができた。目と鼻先にある伊良湖岬は愛知県に属するが、この神島は三重県に属しており、歴史的背景を語っていた。(神島は距離的に愛知の方が近い)

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 神島灯台を後にし、登りと下りを数回繰り返し疲労を感じると、次の目的である監的哨(かんてきしょう)が現れた。崖沿いに建てられたコンクリートのこの建物は、旧陸軍時代に伊良湖岬から飛んできた試着弾の飛距離を確認する目的で建てられ、「潮騒」の作中では重要な舞台として出てきている。

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「その火を飛び越えて来い、この火を飛び越えてきたら・・・」

 「潮騒」で一番?有名な言葉が出てくるのもこの監的哨のシーンで、神秘的な島の風景に鬱蒼と佇む人工物の対比が個人的には好きです。

 監的哨は中に入り、建物にも登ることができた。屋上からは伊良子岬や水道を行き交う大小の船を望むことができた。真下は黒々とした岩に波が当たり、飛沫を上げていた。よくこんな場所に建物を作ったなと昔の人に思いを馳せながら、監的哨に別れを告げた。

 さらに遊歩道を下る形で島の南部に向かうと、島の象徴であるカルスト地形が顔を出した。崖沿いの石灰岩は長年の波の侵食によって、穴が開いたり切り立っており、自然の雄大さを表していた。「潮騒」では海人たちや子どもたちの遊び場面でこの地形について触れられており、雄大な自然の中に生きる人々を描いている。だが、実際のカルスト地形はそれを忘れてしまうほど、人間の生活圏では無いような無情さがあり、みぞれまじりの雨だったせいか、人を拒んでいるようなそんな趣があった。

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 だが、このカルスト地形の横には小中学校が建てられていて、自分の感性が島民たちとは違うことを示していた。

 そして、そのまま小中学校横の遊歩道を進み、古里の浜の黒松と波を砕く岩の姿を横目に、山道に向かった。道なりに進むと民家が見え始め、島を一周したことを知った。

さらば神島

 一周一時間半、これが島の小ささを示していた。しかし、東は伊良湖岬、西は鳥羽の離島たち、南は太平洋の水平線、北は伊勢湾を囲う本土と東西南北それぞれ違う風景が見てとれた。こうした「潮騒」の風景を実際に見れたことは非常に満足感があったし、食堂で島民たちの息づかいに触れることもでき、来てよかったと思う。欲を言うなれば、みぞれや雨が降り頻る悪天候ではなく、快晴でこの島を味わいたかったが仕方ない。

 島に到着してから二時間ちょっとで観光が終わったが、次の船便まで一時間以上もあった。天候は荒れ始め、前日からの疲労もあったので、自分も友人も船の待合所で眠った。目が覚めるともう乗船できたので、我々は再び中央の席に座った。相変わらず波は荒れていたが、揺れに身を任せてしまうと穏やかな心地よさがあり、自分は荒れゆく波飛沫を気にも止めず、目を閉じた。

 鳥羽マリンターミナルに着くと、天候が回復していた。しかし、海からくる潮風は凍てつくような冷たさがあった。我々は鳥羽駅の近くにある足湯で旅の疲れを癒すと、そのまま観光どころで早めの夕食を済ませた。駅に向かう途中チラリと見えた鳥羽湾は、大小様々な島々が夕陽を浴び始めていた。しかし、その島々のさらに奥は雲に覆われ、その島の姿を見ることはできなかった。

 本当にあの島に訪れたのだろうか・・・そんな神秘的な夢想感だけが心を満たしていった。だけど、島で聞いたあの潮騒だけは現実味を帯び、耳に残っていた。

後書き

 というわけで「潮騒」の地、神島に行ってきました。弾丸特急の旅でしたが、非常に楽しめ満足でした。作中に出てきた風景を、あれほどまでに精緻に表現していた三島由紀夫は、さすがだなと再認識させられました。始終悪天候でしたが、船も止まらず、無事帰宅することができ本当に良かったです。また、一緒に行ってくれた友人に感謝です。
 最後ですが、神島に行くときは夏がいいぞ!!!絶対夏だ! 以上



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