愛憎芸 #39 『航空障害灯がある街/ない街』
キックボードというほどキックしていない。どちらかというと突っ立ったままサーフィンでもしているかのよう。そう、この街はきっと荒波。そう思えばこうやって平然と移動しているわたしの体幹は強い。さいきん、寒空の下LUUPに乗ることが増えた。愛憎芸を始めたばかりの頃にLUUPでツーリングをしたことがあったが、その頃は15km/hが最高速度だったのに対して今は20km/hまで出せるようになっている。たしかに若干速いが、大通りで立派な乗用車たちと並走すると相対的に遅く感じてしまう。一方下り坂だとしれっと20km/hを超えられるのでさすがにブレーキに手をかけてしまう。振り回されてるなあ。そうこうしている間に自転車に追い抜かれたり追い抜いたりと、当たり前のことだけれど人はそれぞれのペースで自転車を漕いでいることを知った。こちとらキックボードの上で等速移動だ。それでもやはり、坂が怖い!と思ったその瞬間に見えた航空障害灯の群れは中野の工事現場なのか、少し遠い池袋のものなのか。方向的に新宿ではない。東京に限って坂は好きだ。それは一瞬。空を切り開いてビルを描くのが坂の役目だ。そして夜は航空障害灯が見えるわけである。わたしはあの赤色の点滅が群れを成していると心躍る。いつのまにか航空障害灯のとりこになっている自分がいる。
King Gnuの東京ドーム公演で、彼らの背後にあったのは「ビル群」のセットで、わたしが感心したのはそれらに航空障害灯が象られていたことだった。ところで航空障害灯と言われてピンとくる人はどれくらいいるだろうか。わたしはKing Gnuのライブの時にようやく調べました。それまではずっと「赤いチカチカ」などと呼んでいた。
そもそも、航空障害灯は都市の飾り物ではなく、その名の通り航空機が安全に飛行するために取り付けられているものである。牛久大仏や仙台大観音にも取り付けられているらしい。夜になると発光する大仏。文明と歴史の共存みたいで良い(建てられたのは最近なわけであるが)。
わたしが航空障害灯の存在をきちんと認識したのは、砧のNHK技術研究所がはじめてだったと思う。あの建物はやけに大きく、そしていくつもの航空障害灯が取り付けられていた。不思議と覚えている景色のひとつである。それ以来、遠くにそれらを見つけると喜ぶようになるが、逆にわたしの故郷である京都は航空障害灯が少ない街だった(※航空障害灯は60m以上の建物に設置することが義務付けられているが、京都市はそもそも25mくらいまでしか建ててはいけない)。それも相まって、わたしにとって都市の象徴たりえたのだと思う。
寒空の下わたしは懲りずにLUUPで駆けていた。チケットのマークがついたポートと同じくチケットのマークがついたポートで発着すれば50%オフの支払いでよく、30分以内なら100円だった。安い。LUUPで高円寺に到達できる喜びを感じつつ小杉湯へ行った。そういえば、引っ越してから来ていなかった。そもそも高円寺にさえ。
ほんとうは住むかもしれなかった街——つくづく可能性の取捨選択が生きるということだな。2022年の末に小杉湯へ行ってエリックサウスに行ってから帰省したことを思い出した。思い出せるくらいの記憶が近くにあるのに一年が経っていて、生活が変わりすぎていて恐ろしい。なんでもやってしまえば瞬間になる、と思えば辛いこともちょっと億劫なこともしょせん瞬間を過ごすまでと思えてほな生きますか、ということになる。
小杉湯のことは少し心配していて(小杉湯 豚骨ラーメンでググってください)、でも絶対大丈夫だと思っていた。今はコラボ湯をお休みされていて、もしかするとはじめて、小杉湯で白湯に入ったかもしれない。熱い方の湯でみっっっちりと体をあっためて水風呂で肩まで浸かってしまう。以前は、体の芯から何か出るものが~とか言っていたけど、正直ふつうにさぶいぼが立つ。そのうえでカラン浴を挟んでもう一度熱湯へ、そしてビリビリビリ!としびれて、これは正しいのか正しくないのかよくわからない。それでもミルク風呂に入ってお肌すべすべになって、おしまいにする。
こんなこと、小杉湯に行けばみんなやっていることで、わたしももう何十回とやったことだ。それでも愛おしい、失ってはいけない行動。そう思いながら畳に腰を下ろしたときに、やはり誰かと来ている人が多いことに気づいた。最近は、なんだか少しさみしい。ここに誰かと来ることを今年の小さめの目標に決めた。小さめだけど大きい気がする。
漫画へと手を伸ばす。『海が走るエンドロール』があまりにもよく、購入を決意し、またLUUPで駆けていった。赤い点滅の瞬きのことをきちんと覚えている。
■MAGAZINE:BUTLOVESONLY Vol. 5
■星野源『光の跡』
土井善晴さんが書かせた曲でもあると知って、味噌汁を作り続けた日々に間違いはなかったのだとなぜか肯定されている気持ちになりました。とてつもない、曲。
■『Lost In Translation』
リバイバル上映で鑑賞。美しかった…もうずいぶん前の東京だけれど東京の本質は孤独と無口な群衆だと思う。でも、心のどこかで孤独というレッテルを覆す瞬間を期待してもいて、なんかそういう思いが映像という結晶になっているようで、わたしは大好きでした。