観た人全員もれなく古参 YOASOBI 『KEEP OUT THE THEATER』
はじめに:配信ライブとの距離感
私にとって、2度目の配信ライブ視聴。1回目は昨年7月に行われた星野源の10周年記念ライブで、それ以来となった。大学生の頃は、つまるところコロナ禍以前はライブに行くことは日常で、アリーナ、ライブハウスは愚かドームにだって足繁く通ったのだけれど、配信ライブへのモチベーションは妙に上がらず、今までライブに行っていたバンドの配信ライブは、就職というタイミングが重なったこともあってことごとく機を逃してきた。
それでも、YOASOBIの配信ライブは絶対に観たいと思った。その理由は大きく分けて2つ。1つは、YOASOBIがストリーミングの世界から飛び出したユニットであり、そのYOASOBIの配信ライブなら、デジタルのメリットを最大限利用した、紛うことなく「ここでしか観られない」特別なコンテンツになるだろうと思ったから。もう1つは、これがYOASOBIの「ファーストライブ」だということだ。特にこの後者の理由が、私を配信視聴へと掻き立てた。私はKing Gnuもback numberも星野源、その他アーティストの誰も、「1番最初に行われたライブ」は観たことがないのだ。
YOASOBIのユニットとしての特異性と、みんなが古参になれる大チャンス
そもそもYOASOBIには、「小説を音楽にする」という確固たるコンセプトがある。そのコンセプトは、思いの外揺るぐことがなかった。例えばアニメ『BEASTARS』の主題歌を担当する時、私は「原作を曲にするのかな」と思っていたけれど、この曲のために原作者が小説を書き下ろしていた。めざましテレビのテーマソングだって、投稿サイト「monogatary」で原作を募集。たとえタイアップがつこうが、YOASOBIと発注元の間には必ず「小説」が挟まることになっている。その徹底ぶりが、紅白歌合戦における、YOASOBIの本邦初出演場所である武蔵野ミュージアムに彼女らを導いたことは言うまでもない。
そしてYOASOBIは、あくまでプロジェクトなのである。Ayaseの本業はボーカロイドプロデューサーであり、ikuraの本業は「シンガーソングライター・幾田りら」なのだ。発端がプロジェクトであり、小説を音楽にするという性質上、1stLIVEを行うより早く、2020年ストリーミング界の覇者となったのだ。誰もに開かれた、デビューライブ。これは画期的なことだ。
どんなバンド、アーティストにも大抵「下積み時代のライブ」が存在するものだ。ドームクラスを悠然と埋めるアーティストも、かつては一桁しかお客さんがいないライブというものを経験していたりする。しかし、YOASOBIの初ライブは、「同時に」「4万人が」見守った。初ライブから参戦しているなんて、古参ファンに違いない。YOASOBIには4万人という、ドームでライブができるほど、膨大な数の古参ファンが生まれたことになる。
古参であることは、時に揶揄の対象にすらなる。「古参ぶるな」「古参のせいで新規ファンが...」言わんとすることはわかる。けれど、心のどこかで「このバンド、あの時から知っていた」という思いは、独占欲をいい具合に刺激し、嬉しさと親しみをもたらす。私はKing Gnuを3桁前半のキャパシティのライブハウス最前列で観られたことを今も時々嬉しんでいる。古参って、暴れ回らなければそんなに悪いことではない。健康すら、もたらすかもしれない。ストリーミング再生1億超えのアーティストに何を言っているんだという話だが、音楽は何より、ライブという場で、誰かの前で鳴らされ、心を揺らした瞬間に生まれるものだと、思うのである。
開演
18時ちょっとすぎ、いよいよ開演である。この「ちょっとすぎ」が重要だ。ライブというのは基本的に開演時間ちょうどには始まらないものだ。そこも含めて、ああ、そうかここ1年の日々に足りなかったのは明らかにこれだ...と、飲み始めたスーパードライが体を巡ると同時に、失われた感覚までもが萌芽し、体が熱を帯びていく。
YOASOBIのメンバーがエレベーターのようなもので上昇し、ステージへ向かっていく。これはライブハウスでもアリーナでもない、どこだ!?そう思っているうちに、初歌唱となる『あの夢をなぞって』が始まる。ikuraの歌声が響く。表情から自信がみなぎっているのを感じる。ああ、やっぱり歌い手の顔が見えるのはいい。YOASOBIの人気が爆発したのは『夜に駆ける』をTHE HOME TAKEにて歌唱したことも一因であるが、やはりお米も歌も、誰が作っているのか、歌っているのかが見えればどこか安心感を覚えるのかもしれない。そんなことを思っていたらこの曲はゴリゴリのバンドサウンドであることを思い出される。AssHがギターをかき鳴らす。すごい迫力。これがライブだよなあ。
『ハルジオン』はまさしくストリーミング時代の楽曲——歌唱の難易度が高いであろう楽曲の一つ。しかし『夜に駆ける』ですでに魅せているように、ikuraの歌唱力は20歳にして抜きん出ている。小刻みに揺れながら短い小節に言葉を詰め込んでいくその姿は、トラップビートやHipHopをゆうに歌いこなす、現代の歌姫の片鱗をみせるものだった。またAyaseを中心としたバンドメンバーも、ライブ初演奏の楽曲ながら鮮やかに仕上げ、この時点ですでに「現地でライブ観たい...」と思わせるものになっていた。
全曲が「タイアップソング」
MCで、会場が新宿ミラノ座跡地の工事現場であることが明かされる。どこまでこだわり抜くんだこのグループは。私がここまでYOASOBIというグループに魅せられた理由の一つがその徹底的にこだわり抜く姿勢にある。紅白のステージだってそうだ。ストリーミングという電子の世界から飛び出したことのメタファーとして、夜の工事現場における演奏というのはぴったりではなかろうか。新宿の夜、発光する謎の光に新時代を感じる。
『たぶん』『ハルカ』とミドルテンポの楽曲が続けて披露される。『たぶん』は私とYOASOBIをグッと近づけた楽曲である。別れの朝、原作小説を読むとありふれた場面が描かれていることがわかる(楽曲からもわかるが)。『タナトスの誘惑』がセンセーショナルな世界観を描いているのに対し、こちらは誰の身にも起こる話だ。『ハルカ』は放送作家の鈴木おさむ氏が書き下ろした作品が原作で、マグカップが鍵になっている。その後の飲み物についてのMC、可愛らしくて1stライブみがあってよかった。『ハルカ』あたりから、ikuraの音ノリがことさらによくなっていく。先述した通り小刻みに言葉を詰め込みつつも、伸びやかな声が本のページを開くように世界を広げていく。
どれも小説が原作だから当たり前ではあるが、楽曲の描く世界観の幅が広い。小説が原作であるということは全曲がタイアップソングということになるので、一曲一曲の力も強い。YOASOBIというプロジェクトはそうなるようにできているのである。
インターネットから飛び出すということ
みんなで乾杯するMCを挟み後半戦。『怪物』ではスモークが焚かれた。この辺りで稀に配信がショートしかけるようになる。人気が爆発している。もはや喜ばしい。スモークと、目まぐるしく変わる照明が、『BEASTARS』の主人公、レゴシの揺れ動く気持ちを象徴するように感じる。
『Epilogue』でikuraが世界の現状を憂きつつも、これからも音楽が鳴り続けることへの祈りを捧げる。形こそ変わっても、永遠に続く愛、生きることに希望を見出す、幾田りらのソロ曲『ロマンスの約束』が思い起こされる。しかし、ここはYOASOBIのライブである。「明日世界が終わるんだって」——『THE BOOK』のリード曲『アンコール』が鳴らされる。「終わり」を誰もがどこかで感じざるを得ない時代。それでも、希望を見出したい。叶うなら、音楽で——この曲はあくまで、希望の歌である。
そして、MCの雰囲気から、ああいよいよ『夜に駆ける』が鳴らされるんだな、と察する。ikuraはこの日を迎える怖さがあったという。Ayaseはおそらく『夜に駆ける』のことだろう、「こたつの上で作った曲」と言っている。かつて星野源が "自分の部屋と世界がつながっているよう" とインターネットで楽曲を発表することについて述べていたが、YOASOBIのふたりはそれをこの国の誰よりも、実感しているはずだ。こたつの上で作った曲があれよあれよというまに1億回再生され、コロナ禍でライブもままならないまま、途方もないブームメントを巻き起こしていった。このライブだってインターネット越しであり、彼らは今もインターネットの中にいるかもしれないけれど、その「いつか」を歓迎する人は、前述した通り膨大な数になっているのである。「二人だけの空が広がる夜に」というフレーズが、今夜は格別な意味を持って、新宿の夜に響き渡った。
『夜に駆ける』のパフォーマンスは、紅白、CDTV、Mステのどれよりも素晴らしいものになっていた。何よりも、何かikuraの話ばっかりしている気がするが、歌唱が力強い。ikuraのボーカルの何がすごいって、力んだような歌唱をしても声が裏返るどころか、ひたすらに音に彩りを与える効果を得ていくところである。「それでもきっと/いつかはきっと/僕らはきっと/分かり合えるさ/信じてるよ」このパートの畳み掛けにいつも魅せられるのだ。ともかく『夜に駆ける』はすごい。私は毎朝、『夜に駆ける出勤』をしている。会社最寄駅の、ホームから改札まで、そして地上までの階段を『夜に駆ける』を聴きながら上がるだけ。そもそもそういう曲ではないし明らかに『群青』のほうが向いているのだけれど、この曲には人の内なる何かを駆り立てる力がある。きっとヒットの要因は、そういう曖昧なところに存在している。
ライブに来てよかった〜! 『群青』〜エンディング
『夜に駆ける』演奏後にメンバー紹介だ。ああ、ライブだ!最高!リアルのライブでワンマン観たい!サマソニ、ロッキン、レディクレ、その他もろもろ全部のヘッドライナーになってる姿も観たい!やばい!そう思っていたら『群青』が始まった。これで最後だ。この曲、誰かの心に寄り添う力を持った曲だ。大スターの条件は、こういう曲をしっかり持っていること。
印象的だったのは、ikuraがバンドメンバーそれぞれの隣で歌い、それに笑顔で応えるバンドメンバーたちの姿だ。未曾有のプロジェクトを共に成し遂げてきた仲間たちの友情が垣間見える瞬間はひとしおであり、「あー本気で応援しよ」という思いを催すものである。「大丈夫/行こう/あとは楽しむだけだ」丁寧に綴られたAyaseの歌詞が、演奏されることでどれも説得力を獲得していく。やっぱりライブって、最高だ。「確かにそこに/君の中に」——合唱パートが胸をうつ。ライブが終わり、スタッフクレジットは2人の手書きサインから始まり全て手作り。余念がない。チームYOASOBI、最高...
想像が現実になる喜び
ライブが終わった。ライブが終わったと思えた。配信ライブも悪くないのかもしれない。もっと他のライブも観ておくべきだった。これからは時間とお金を確保しておこう。そして何より、YOASOBIの今後が楽しみである。『群青』を観ながら、ああこの合唱パートはみんなで歌うんだろうな、とか『夜に駆ける』で躍り狂う自分とか、『あの夢をなぞって』でバンドライブ然として会場が一体になる姿とかがゆうに想像できるのである。今の人気なら、武道館とか横アリとかそういう規模感も想像できたりする。
そう、想像。本の世界は元来、フィクションである限りは想像上の世界でしかない。それが現実になっていく、快感。虚構なのに常に現実と隣り合わせ、そういうところが、私が小説や物語を愛する理由なのである。
デジタルの中の、各々のSpotifyやApple Music、YouTubeの中の存在であったYOASOBIが実体を持った今日、彼女らはまさしく「小説から飛び出した」ユニットとなったのではないか。私は1/40000の古参ファンとして、この古参という思いは胸にしまいにししと笑いつつ、YOASOBIをこれからもガンガン応援していく所存である。
※画像は公式さんよりOKの出ていた、スクリーンショットにて撮影。
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