28・フランソワーズ・アルディの ような顔に生まれたかった娘
娘は、フランソワーズ・アルディの 写真を見て
「私もこんな顔に生まれたかった」とつぶやいた。
こんな顔(私)とあんな顔(夫)から、そりゃ無理だろ。
ユーミンの歌にもあるフランソワーズ・アルディ。
あの時代には憧れの存在だった。
娘は 中学のとき、父親や兄に習って遊びまわっていたが
中学3年になったとき、父親や兄と違って多少は受験の現実がわかる娘は 私にこう言った。
「あたしも受験だからさ 真面目にやろうって思うんだ。
だから、おかあさんも ここはひとつ PTA役員でも引き受けて
いっしょに真面目になったってことアピールしよう!」
「何で私が?!」って思ったけど、娘に
「あの時、おかあさんが協力してくれなかったから受験失敗した」
なんて言われても何だからと思い、私もPTAのクラス役員に。(息子のときはPTAに顔を出すのもイヤだったが)
これでもう落ちても私のせいじゃないよ!
そして 娘は突然「難関私立校を受験する」と言い出した。
そもそも娘は 「都心の高校へ行ってはじけたい!」と思ったらしい。
地元の中学でも十分はじけてたくせに。
娘は「そうだ! すごく難しい高校に受かれば、親も喜んで金出してくれるに違いない」と思ったのだ。
「ちょっといい高校くらいじゃダメだ。すごく難しい高校じゃなければ
あの親は金出してくれない」と思い詰めた娘は
「これに受かれば親も喜んで金出してくれるだろう」と思われる都心の難関私立校を選び出した。
「あたし、ここ受ける!」
先生に、親子で平気な顔で「ここ受験します」。
驚いたのは先生である。
こんな難しいとこ受かるわけないだろうに 親もやめろとも言わないで
何考えてるんだ、この親子は・・・と思ったに違いない。
先生、思わず本音が
「記念受験ですか?」
誰も娘が受かるなんて思ってない。
本人だけが受かる気で、父親相手に猛勉強を始めた。
だんだん勉強がわかるようになってきた娘、
「すべり止めの私立も受けさせてもらえるんなら もういっこランク上の
都立ねらえるんだけど」
父親「難関校ならともかく、何ですべり止めの私立なんかにオレが金出さなきゃなんないんだ?」 やっぱり。
これを聞いて娘「ダメだ、こりゃ。安全な都立一本に絞らなきゃ」
結果は、残念ながら(いや当然というべきか)難関私立校は落ちたのだが、入った都立高で、中3の猛勉強が生きた。
たいした努力しなくても 勉強が出来るようになっていたのだ。
夫の持論の「受験失敗したほうがいい人生待ってるかもしれないぞ(本人の実体験)」のごとく この高校で、親友に恵まれ 勉強もOK遊びもOKの楽しい高校生活を送れたのだった。
娘「ホント 私立落ちてよかった。この都立に来れて」
上位をキープして気分をよくした娘 大学を目指す。
そして、落ちた高校の大学へ リベンジを果たして無事現役合格したのだった。
この顔にだけは、努力しても無理だけどね。