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36・信仰心の篤い母

*写真は、三味線のようにギターをつまびく母

現在97才の母は 小6で自分の父親をなくし
自分の母親が 薪割りのような男の仕事などして朝から晩まで働いていたが
妹弟が多く貧しかった。
母親が夜11時になっても帰らないときは、妹弟は寝てても 長女の母は心配で眠れず 神仏に手を合わせて帰りを祈ったそうだ。

女学校には通えず(自分の母親が、試験の日に 担任に試験を受けさせないよう頼みに行った。一人だけ学校に行かせて 下の子供を食べさせないわけにはいかないと言って)何とか家政女学校に通わしてもらった。

17才でそこを卒業したあとは、家政女学校で働きながら、専攻科にも通わせてもらえることになった。月給20円。それでも家の助けになる。

10月に小学校の校長先生が「代用教員にならないか」と声をかけてくれた。戦争で男の人が少なくなっていたのだ。
月給28円。もちろん、すぐOK。
次の年の5月に教員採用試験の1次があって 母は必死に勉強。

もともと信心深い母は、少女クラブという雑誌を断ち
近くの虚空蔵さまと大日如来に、毎朝6時に百日参りをして合格を祈った。そのかいあってか一発合格。
8月に1週間の泊まりこみの研修があり 
さらに次の年の2月に2次試験。これも合格。
晴れて教員になれた。

17才で先生になった母は、授業中、5年生の子供を押さえきれず 校長先生によく助けてもらったそうだ。
その最初の生徒たちは、その後も 野菜を届けてくれたり 同級会に呼んでくれたりした。 
同級会では「先生をよく泣かしたなあ」などと言われるらしい。

信仰心の篤い母は、生まれ変わるなら 次はお寺に生まれたいそうだ。
毎日お経を上げる母は
「お経を上げてるときに死にたい」などと、
どっかの高僧でも言わないような大それた望みを持っている。

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