さようなら
こんにちは、小瀧ひとりです。
自己紹介をします。絵を描くことと歌うことが好きです。いろいろあって学生もしましたが休学中です。バイトもしてないし働いてもいません。責任感が欠如しています。感情の昂りが激しくて、悲しいことがあるとすぐ怒りに変換して吐露してしまいます。自分のことばかり考えていて、可愛げがないです。幸せで、その事をよく忘れては思い出した時に罪悪感に駆られるのです。それはわたしの性格が悪いからなのです。
最近はご時世的に出来ていませんが、1人でラーメン屋に入ったり映画を見に行くことが好きです。それは「そういう自分かっこよくてかわいい」と勘違いしているからです。ラーメンは美味しいし映画は面白いです。
休日の朝の、まだリビングで電気をつけてない薄く明るい空間に流れる緩やかな時間が好きで、未就学児の頃にそれがないことに腹を立て母親に泣いて怒ったことがあります。
悲しいと泣いてしまいます。怒ると、泣いてしまいます。
小学校一年生の時の担任に「泣けば許されると思ってるんでしょ」と叱られたことがあります。毎日、許されたいと思っています。保育園で保育士さんにいじめられていた時からそう思っています。でもずっと泣くのを我慢していました。怒られて怖くても自分を責めても人が憎くてもずっと我慢していました。我慢していても泣いてしまいます。
小瀧ひとりという名前をつけた時のことを思い出すと小っ恥ずかしくなって嫌になります。自分は評価されるべき存在だと信じていました。子供だったわたしは大人になってしまいました。まあいっかって諦めることが多くなりました。子供時代だけじゃなくて若さだってもうすぐ終わっちゃうのかもしれないですね。
母も父も姉も好きです。友達も大好きです。通ってる心療内科の先生も好きです。好きだと思わせてくれる人達にわたしはなにか返せているのでしょうか。「どうでもいいよそんなの」ってみんなに思われたら少し寂しいです。
「なんで他の人が頑張った分をわたしが無駄遣いしてしまうの?」ドキドキ文芸部のサヨリちゃんのセリフです。持続可能性という言葉がありますが、人と人とを結ぶ関係にもそういう考え方を適用できると思っています。優しい人は優しくされるから優しくいられるんだと思います。一方で優しくされても優しくいれない人も存在します、わたしのように。
なんでわたしは人がくれた幸せを無駄使いしてしまうのかな。空回る音がしています。滝のようにわたしに流れる幸せが、水車を回します。その水車はどこにも繋がっていないことが多い。そんな自分なんていなければ、と思うのは優しくしてもらってることに対して無責任かな。
小瀧ひとりは終わります。欲しい地位を得られないならその名義は必要ないから。
人生もTwitterみたいにアカウントを切り替えられたらいいのにな。そしたら間違いなくこんな人生3ヶ月くらい放置してやるのに。でも、放置した3ヶ月間にもみんなの言葉は刻まれてタイムラインを流れていきます。それが人生でも起こると思ったらやっぱり怖いので人生のアカウントはひとつでいいです。
わたしは親指の先をちょちょいと動かすだけで切り替えられる名義がいくつかあります。だからわたしはちゃんとインターネットに存在しています。だから安心して小瀧ひとりのことは忘れてね。
自分が幸せに生きられる毎日をつくっていきます。
あなたが幸せに生きられる毎日を祈っています。
さようなら