小瀧ひとり

わたしはインターネットで小瀧ひとりという名前を持っています。自分でつけた名前です。
今日はこの名前のことを書こうと思っています。

小瀧ひとりの名前の由来は実に単純で、可愛いから、それだけです。
わたしは本名の名字が瀧と言いまして、友人からもたき、たきちゃんと呼ばれます。瀧をそのまま採用しても良かったのですが、あまりにも堅い印象が強かったので、トムヤムクンヌードルに牛乳を足して食べやすくするのと同じように、『小』を付けて可愛らしい印象にしました。それが小瀧の由来です。

ひとりは、小瀧に付けた時に可愛くて響きのいい名前を探していた時に思いついたものです。
(ちなみに画数も良いです)

可愛らしいという理由だけで、この名前を使ってインターネットをしようと決めたのでした。

ほとんど意味など無いはずだったこの名前が、意味を持ったように感じたのは1年ほど前だったと思います。

インターネットをしているうちに自分が如何に小心者であるか知りました。傲慢故に大口を叩き、その後他の人がそれを見てどう感じたかなどを考えて、自分はなんてことをしてしまったんだと苦しい気持ちになる。学ばないからそれを繰り返す。わたしは本当に馬鹿で小心者でした。いつもいつも他人の心まで考えが至らない。
そして、人を傷つけてしまった後すぐに泣いてしまう。わたしは呪われていました。
自分の名前についている“小”という漢字の呪いでした。

わたしは孤独でした。わたしは人との繋がりを求めます。いろんな人と関わろうとします。しかしわたしは決してできた人間じゃない。時折なんだかみんなが、わたしを冷たい目で見ているように感じてしまうのです。失望しているような、もう関わりたくないとすら思われているような気持ちになるのです。わかっています、わかっています。自意識過剰であることは理解しています。ですが、自意識過剰が染み付いた人間に「それって自意識過剰だよ」と言ったところで「なんだそっか」となって気にしない人間になれると思いますか。何度わたしが自らの孤独感を自意識過剰という言葉を使ってかき消そうとしたか知らないでしょう。
実際にそうかどうかは関係ない。わたしは心が孤独でした。誰かと一時心が繋がろうと、ふとした時に自分は疎まれる存在なのではないか、と考えてしまうのでした。それなのに独りが嫌いで独りで動けない。人がいないと何も出来ない。わたしは呪われていました。
“ひとり”という名前の呪いでした。

わたしが自らに与えた名前は、呪いでした。わたしを映す鏡でした。『可愛らしい』といってつけたはずの言葉は、あまりにも惨めな自分をしかと表しているのでした。

これが、小瀧ひとりの持つ意味です。

ある時この名前がひどく恥ずかしいもののように感じたことがあり、改名を何度か考えたことがあります。しかしいつだってこれ以上に自分らしい名前が思いつかなかった。それに、この名前を捨ててしまったら、自分は小瀧ひとりだった自分をなかったことにしてしまうのではないかと恐れました。みんなが小瀧ひとりだったわたしを忘れてしまうのではないかと恐れました。小瀧ひとりを死なせたくなかったのです。
恥ずかしくても、小瀧ひとりの名は捨てないことにしました。そして今も小瀧ひとりをしています。

孤独だの、心の小ささだのと言いましたが、やはり響きは可愛らしい。それに孤独だろうが器の小さい人間だろうが、それこそがわたしであることには変わらないから、恥じる必要は無い。今ではそう思えています。

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