わたしがミスiD以外に行けない理由ってな~んだ?

わたしは友達が多い。特に高校からの友達が多い。それはわたしが極度の寂しがり屋だからだ。
寂しがり屋でありながら寂しいからそばに居ろと言うことを恐れないのだ。寂しくなれば遊ぶことを企画しそちら側からは誘ってこない友達をひっぱりだした。よく嫌われてないな。しかし、人間は自分を好いてくる者を邪険にできないことを知っている。

わたしは好きなものを好きだとアピールすることを恐れない。
恐れはしない、が、たまに自分ばかりが好きだと言っていることを恥じ、惨めに思うことはある。
そしてここ数年のわたしは排他を恐れている。それ故に初対面の相手がどんな人でもにこやかに対応しているのだ。気持ちオーバーなくらい天真爛漫に。わたしは声が低く表情筋がかたいので、オーバーに動かすくらいがちょうどよくなる。みんなには天真爛漫には見えていないと思う。

そんなある種社交的なわたしがミスiDに縋り付くのは何故か。

ひとつ。わたしが社会不適合者であるという点。
わたしはメンタルがヤバいので2級の精神障害者保健福祉手帳を所持している。これを持っていると横浜市内のバスが乗り放題で最高だったりする。
そして事実、障害者手帳に恥じることなく立派なニートの状態で暮らしている。通信制の大学に在籍してはいるが、勝手がわからず課題が全然出来ていない。
就職?したくない。
わたしはもうストレス社会に耐えられない。
ミスiDは進路相談所みたいなところがあるので、いろんな人に出会っていろんな可能性を見つけようという目論見である。最終的に就職はいつかしなきゃいけないという結論を出すとしても。

もうひとつ。わたしが成功体験を求めているから。
わたしの機嫌を保つ燃料はなんだと思う?それは過去の成功体験だ。わたしは人生の中で大小問わず数々の成功体験をしてきた。たまに……足りなくなることがある。燃料って、どんどん燃えかすになって、だんだん燃えなくなる。過去の栄光に何度も縋るうちに馬鹿馬鹿しくなる。所詮そんなことで何を喜んでいるんだろう、惨めだ。そんなわたしには新しい承認が必要だった。それが永遠に誇れるものなら尚良い。
わたしの言う成功体験は全部他人から得られた評価なのだけれど、本当はそんなものに頼らず機嫌のいい人間でいられたらいいのに、と思う。でもこれはもう誰にどれだけ説得されようと出来ないことだ。たくさんの人に認められないとわたしはわたしを認められないんだ。
成功体験ってただのニート(天才)では得られにくい。ただのニート(天才)でも承認してくれるのってミスiDくらいだ。物好きである。

わたしって、拒絶が怖い。不可逆が怖い。自分が怖がりなのを忘れていつも調子に乗って傷付いてしまう。人間は自分を好いてくる者を邪険にできないとわたしは思い込んでいる、そうでない人もいることを忘れている。良かれと思ってやったことが相手を不快にさせてしまうことってたまにある。わたしは間違えるのが怖い。

わたしは社交的なんかじゃない。怖がりで、結局本当に仲のいい友達にしか心の奥の気持ちを話そうとしないし、お調子者ぶって、実際に調子に乗って、表面上のわたしは当たり障りのないことを言うつまらないやつだ。でも本音ばかり言って腫れ物のように扱われるのはもう御免だ。やっぱりわたしって怖がりだ。

丁寧に取り繕って、機嫌よく、快く相手と接して好かれるのはわたしも嬉しい。基本的に人間は大好きだから。相手も機嫌がよくてわたしも機嫌がよければ、その空間に辛いことってなにもないから。だからそうしている。ネガティブなことは考えてなくて、いつも上機嫌なやつ。それがいつかわたしのなりたい姿。なれるわけないのに。

わたしはきっと、ずっとただのニートでいることが耐えられない。ミスiDという文化の中にいれば、ただのニートじゃなくなる方法もわかる気がする。
まあそんな目的は二の次で、結局やっぱりちやほやされたいだけだ。わたしって安直だ。
怖がりなくせに。

ミスiD以外に目的が果たせる場所があるなら教えてくださいよ。

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