張りぼて
わたしの、わたしの文章のほとんどは言い訳です。
言いたいことが2割、言い訳が8割といったところでしょうか。
今回のこの文章は、言いたいことすら言い訳なので10割が言い訳ということになるのです。
思えば初めて文章を絶賛された、中学三年の頃課題で書いた文章も、言い訳のような文章でした。分かりやすくて非の打ち所のない文章と言われました。褒められ、素直に受け取っていましたが、今思えば……わたしの文才はわたしの言い訳がましさが生み出した副産物のような才能でした。
わたしが極力わかりやすい文章を書くのは当たり前なのかもしれない。言い訳が分かりづらい文章では意味が無いでしょう。わたしはわたしが如何に罪を犯していないか、惨めな存在でないか、無能でないかを文章の中で分かりやすくあなたに説明しているだけなのです。説明は分かりやすく書くべきなのです。だからこんなに思い返して虚しくなるのです。
難解で、本能のままに書かれた文章を読むと羨ましくなる。わたしが剥き出しの文章を書いたとしてもそんなに格好がつくことはないから。
本来のわたしの文章は、ダサくて、つまらなくて、わたしの人格と重ねればとんだお笑い草。
羨ましい。嫉妬です、悲しい、惨めな嫉妬。
なんでこんなに、嫉妬と言い訳を繰り返すんでしょうね。
悲しい。悲しいです。