小説を執筆する際の頭の中~そのはち~

お久しぶりです、しばらくリアルの生活と仕事で忙殺され、趣味に割く時間と精神的余裕が無かった滝彦です。

と言う訳で、今回の話題は、小説を執筆する際の頭の中ではありますが、コンディションについてもお話ししていきたいと思います。

以下、センシティブな内容になっていますので、嫌な予感がしたら、すぐにブラウザバックをして、記憶の彼方へ消し去って下さい。

…良いですか…???







唐突ですが、私は鬱病持ちです。

毒家族のおかげで人生が嫌になり、小学6年生の頃に、死ぬ為に準備と実行をした辺りか、その数年前から病んでいたと思います。

子どもの精神疾患は、体調不良や睡眠の乱れ、登校を渋る、口数が大幅に増減するなど、大人の精神疾患より見分けにくいと聞き及んでいますが、当時の私を鑑みるに、ほとんど当てはまっていました。

しかし、死ぬ為に実行したものの、同級生に見つかってしまい、担任教師から母親に連絡が回り、母親が迎えに来て私を罵ったことだけはハッキリ覚えています。

『馬鹿な真似をするなんて!そんな風に育てた覚えは無い!なんて親不孝者だ!』

当時の私は、実行する何日か前、母に『抱きしめて欲しい』と、伝えていました。少しでも愛情が欲しかったのでしょう。それは母から軽く拒絶されましたので、一線を越えたのでしょう。私が欲しかった分の愛情は、質、量、共に足りていなかったと思います。

また、その数日前の国語の授業で発表した詩の内容も、私が小学5年生に亡くなった母方の祖母に会いたい、という意味合いで、『鳥になって、あなたに会いたい。』と言った作品を生みだしていました。しかし、その作品は、当時好きだった男子の事を想っての作品だ、と周囲から揶揄され、かなり馬鹿にされた記憶があります。弁明するのもアホらしいと思っていたので無言を貫き通していましたが。

さて、話を戻します。自死を実行しても、軽い怪我しかしていなかった為か、私は特に病院にかかることもなく、翌日も普通に登校した記憶があります。発見した同級生経由で学年中に噂が流れ、当時好きだった男子のことが好きで噂になっていたこともあり、『アイツは振られたから、自分で死のうとしたんだぜ』と、周りが勝手に盛り上がっていて、『憶測で勝手な噂を流すなんて人間は浅ましいな』と、妙に冷静だったのも記憶しています。

と、そんなこんなで、その後も3回くらいは自死の実行をしています。心療内科に通って今はそんな気は起きていませんが、渦中の精神は大荒れで、衝動と怒涛で自死を望んでしまいます。この衝動があったから、今まだ生きているのかも知れません。

感情の揺れ幅が、私の創作意欲の根源だからです。

悲しい時は悲しい作品が、多幸感に満ちている時はあらゆる作品が、頭の中から映画のような映像が、流れ込んでくる。

感情が負の時は、それに流されてしまうので、作品の幅が狭まってしまいますが、満ち足りている時は、多くの感情が生き生きとしている為か、わりと色々な作品が出てきます。

精神状態が私の作品を左右しているといっても過言ではありません。

その為か、私生活が忙殺されていると、余裕が無くなり、頭の中に映画の様な映像が流れてこなくなる、と言う状態も発生します。

仕事だったり、家族の行事だったり。純粋に忙しいと、回復しようと身体がストップをかけてしまうようです。私はロングスリーパーなので、精神的にも体力的にもキャパオーバーしてしまうと、ひたすら眠ってしまいます。特に精神的な負荷が大きすぎると、鬱病特有の現実逃避欲求もあり、脳をシャットダウンさせてしまいます。

鬱病は不眠や食欲不振が症状として出てきますが、私の場合は、逆に、過剰睡眠と過剰食欲になってしまいます。睡眠は脳をシャットダウンさせたいのだと思います。食欲は、食べることで足りていない愛情を満たそうとしていた幼少期の名残だと思っています。母が食事を用意するのは、愛情だと思っていたからです。

まぁ、母からは再三、『子育ては義務。死なせたら駄目だから。』と言い放たれていたので、愛情は微塵も感じなかった私ですが、生き延びる為には食うしかなく。

…よくよく考えたら、死ななかっただけマシなのかもしれません。虐待が進行すると餓死や暴力による死亡がありますからね。食わされていただけマシであったと思うようにしましょう。精神的には死んでましたが。

長々と書き連ねてしまいましたが、私の精神的・体力的な余裕の有無が、作品の内容を左右するという、頭の中を曝け出してみました。



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