完全居場所マニュアル?
■前回は、居場所づくりのハードウェアとも言うべき、財政運営に関して詳述した。いつでも誰でも気軽に立ち寄れる居場所をつくるためには、そのための空間を物理的に常時確保しておかねばならず、それゆえ諸々のコスト負担が求められるということだった。だが空間の確保だけでは、そこは、子ども・若者たちがいつでも気軽に立ち寄れる敷居の低い居場所にはなりはしない。そこで今回は、私たちがどのようにして敷居が低く居心地のよい空間(フリースペース)を設計・運営しているのか、言わば、居場所づくりのソフトウェアとも言うべき側面について、私たちなりの考えをまとめてみようと思う。
■ぷらっとほーむでは、それぞれのペース、それぞれの「遅さ」を尊重し、受け容れるのだとかつて述べた。自分のありのままが無条件に肯定され受容されてこそ、安心や休息を得て再び自らの欲望や動機づけを回復できるという人間観が、その根拠である。居場所(フリースペース)は、そうした肯定と受容の供給装置だ。だが、誰もが「ありのまま」にベタに振舞うなら、その空間は「居心地のよさ」を失ってしまうだろう(正確に言うなら、「居心地のよさ」が一部の者だけに専有されてしまうだろう)。ここにあるのは、フリースペース版「共有地(コモンズ)の悲劇」問題なのだ。
■この「悲劇」を回避するため、ぷらっとほーむでは、居場所の責任者としてスタッフを置いている。スタッフが行うのは、個別的な指導/治療/支援ではなく、居場所の空気づくり――居心地のよい雰囲気づくり――だ。具体的に言うなら、第一にそれは、初めてフリースペースを訪れた者に対しては、その存在(その想いや意志)それ自体をありのまま受け容れ、彼(彼女)が望むなら他の仲間たちの環へと橋渡しをするなど、初期段階でのコミュニケーションの敷居を可能な限り低くするための手助けである。こうしてまずは新参者が馴染みやすい雰囲気づくりを意識的に、メタ・レヴェルで行っているわけだ。
■居場所の空気づくりの第一が、上記のような仲間たちの環への「参加の自由」の保証だとすれば、空気づくりの第二は、その環からの「離脱の自由」の保証である。ぷらっとほーむは、その活動に加わるも抜けるも完全に任意の、自由意志に立脚した居場所である。とはいえ、「離脱」の意思表明(言い換えるなら、別の選択肢を選ぶということ)を、既存の雰囲気にさからって行うのは(日本のような社会にあっては)とりわけ困難だ。そこでスタッフは、常に、複数の選択肢(表面化しているものとは異なる潜在的な選択肢)を顕在化させ、それらがいつでも誰にでも選択可能であるよう配慮している。
■以上まとめると、スタッフの関与とは、「逃げ道」を常に確保しておきながら「参加」を促進するということになる。だが、ぷらっとほーむの「居心地のよさ」はそうしたスタッフの努力だけで成り立っているわけでは決してない。それは、当然ながら、居場所に集う子ども・若者たちの(意識的かつ無意識的な)努力にも大きく依っている。彼(彼女)らは、自分だけの「居心地のよさ」を享受するのではなく、他者の「居心地のよさ」に対する配慮や想像力をも充分に働かせている。それが結局のところ、居場所を持続可能にするための必要経費だということが、彼(彼女)らにはちゃんと理解されているということなのだろう。とすれば尚のこと私たちは、スタッフから利用者への一方的なケアあるいはその非対称性ではなく、両者が対等に向き合える居場所をこそ目指して歩んでいきたいと思うのだ。
※『ぷらっとほーむ通信』005号(2003年9月号) 所収
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