〈居場所づくり〉が可視化したもの――「東北の春」に向けて(22)
山形市緑町に拠点を置いて活動していた若者支援NPO「ぷらっとほーむ」(以下、「ぷらほ」と略記)を解散して半年がたつ。筆者はこの半年間、その後継団体である学びの場づくりNPO「よりみち文庫」を立ち上げ運営しながら、解散した「ぷらほ」の後片づけに従事してきた。
その中で筆者は、2003年にスタートし19年に幕を閉じるまでの16年間の諸活動の痕跡を「年表」の形式にまとめる作業に現在とりくんでいる。諸活動の記録は、毎月発信していた会員向けの『ぷらほ通信』にまとめられている。それを一冊ずつ読み込み、「年表」形式にデータ化していくのである。
このアーカイブ化は「ぷらほ」共同代表としての最後の残務だが、そこにはもうひとつの意味がある。筆者は現在、「ぷらほ」を対象とする居場所づくり研究をまとめた博士論文の執筆にとりくんでおり、これはそのデータセット作成にあたる。そこで今回は、筆者の研究の一端をご紹介させていただければと思う。
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そもそも「居場所づくり」とは何か。「居場所」とは、1980年代以降に生成した日本語だが、もとは「不登校の子ども」を支援する人びとの界隈で生まれたもの。それが、「ひきこもり」「ニート」など、隣接するカテゴリーに徐々に適応されるようになっていき、気づけば幅広く普及するようになった概念である。
「居場所づくり」とは、「不登校」「ひきこもり」の人びとなどに顕著であるような無所属や孤立(=「居場所」のなさ)に対し、人為的に所属やつながりを提供していくとりくみのことで、「不登校」「ひきこもり」などの広がりに呼応するように、各地でとりくまれるようになっていった市民活動実践である。
「ぷらほ」もまたそうした「居場所づくり」の実践だが、他の諸実践と比べてユニークとされる点がある。それは、通常の「居場所づくり」が特定のカテゴリーに限定して行われるのが一般的となっているのに対し、「ぷらほ」ではそうした制限を設けず、雑多な人びとによってその場が構成されている点である。
例えば「ぷらほ」には、不登校の子もいれば、登校している子もやってくる。ひきこもりの若者もいれば、そうでない者も訪れる。セクシュアル・マイノリティの若者や非正規労働の若者、障がいをもった若者もやってくるし、そもそも若者だけが利用しているわけでもない。親子もいるし、お年寄りもいる。
こうした雑多な場を、私たちは16年にわたって運営してきた。しかし、当初からそうした雑多さが備わっていたわけでは決してない。「来たい人はどうぞ」と場を開き、人びとを迎え入れながら、私たち自身が自分たちの地域の多様性に改めて気づかされ、少しずつ寛容さを育てつつ、ここまでやってきた。
つまり、ここにある雑多さは私たちが人為的に生み出したものではない。それは、(それらが引き寄せられやすい状況をつくって待ち構えていたのが私たちではあるにせよ)地域の人びとが抱えるニーズが結晶化され可視化されたものである。では、こうしたニーズを生み出す現代日本とはいかなる社会か。
筆者が「居場所づくり」を研究する理由の一つはそこにある。「居場所」を必要とする社会とは、いろんな形で社会から排除され、漂流する人びとが大量に生まれ続ける社会である。「居場所づくり」というミクロな世界をのぞき込むことで、それを必要とするマクロな社会の排除構造を理解することができる。
一方で、「居場所づくり」というのはそうやって排除され孤立する人びとと再びつながりなおし、社会に包摂しなおしていく実践でもある。とすれば、「居場所づくり」を注視することは、排除にあらがうための包摂の技法をミクロのレベルで観察し、そこから実践のためのヒントを得る作業でもあることになる。
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筆者の議論は「若者の居場所づくり」実践をめぐるものだが、「居場所づくり」を必要としているのは若者に限定されるわけではない。当研究の成果は、若者以外の幅広い人々にとっても意味をもちうるだろう。とはいえ先はまだまだ長い。まずは完成を目指して再び「年表」整理に戻るとしよう。
(『みちのく春秋』2020年春号 所収)