「居場所づくり」の財政学。
■「(不登校・ひきこもり等をも含む)子ども・若者たちの居場所づくり」などと言うと、その柔らかい語感のためか、どうしてもそうした居場所(フリースペース)におけるコミュニケーション特性の方面にばかり関心が集中しがちで、居場所を社会的・物理的に準備するための様々なコスト(具体的に言うなら、「資金」や「労働力」のことだ)の問題について見過ごされがちになる。もちろん居場所づくりには、ハードウェアとソフトウェアの二つの側面があるわけで、その両方について考察してみないことには、居場所(フリースペース)の成立条件の記述としては不十分である。そこで今回は、居場所づくりの財政・運営に関して、私なりの考えをまとめてみたいと思う。
■当然ながら、いつでも誰でも気軽に立ち寄れる拠点としての居場所(フリースペース)をつくる場合、そのための空間を物理的に確保しなくてはならない。「ぷらっとほーむ」では山形市内の借家がそのスペースにあたり、そのための家屋使用料がまずは必要だ。またそこが居心地の良い空間として機能するためには、さまざまな備品・消耗品等が必要となる。当然、そうした空間の恒常的な維持・整備のための諸々の事務作業に専従するスタッフの確保のためにもコスト(事務職員の人件費)が必要だ。ではそうした活動に必要な「資金」をどうやって調達するか。方法は三つある。すなわち、①行政・財団等からの援助助成、②受益者からの利用料収入、③支援者からの寄付。順に説明しよう。
■まずは、①行政・財団等からの援助助成。こうした公的な援助助成とは、ほんらい公的機関が担うべき機能・権限の一部が、現場のNPO活動に委譲されたもの。つまり、公的資金の再配分である。このような再配分にあずかるということは、公的なお金の使いみちを問い直す過程(つまり、政治の過程だ)に参画するということでもあるため、「ぷらっとほーむ」でもこの方向は模索していきたいと考えている(7月時点で、複数の財団からの援助助成が内定している)。しかしながら、そこを主な資金調達先にしてしまうと、活動それ自体のフリー・ハンドが損なわれてしまう可能性が伴う。つまりは、資金調達先(行政・財団等)の思惑・思想への依存の危険性だ。ではどうするか。
■次は、②受益者からの利用料収入について見てみよう。資金調達先としてそこに依拠するということは、フリースペースの利用者(当事者)自らが居場所開設に必要なコストを分担する(自分たちが必要としているものは、自分たち自身で負担する)という、当事者主義を意味している。「ぷらっとほーむ」のコンセプトは「子ども・若者(当事者)自身による、子ども・若者(当事者)自身のための居場所づくり」であるゆえ、ある程度のコスト負担はむしろ必要だというのが私たちの発想だ。しかしながら、そうしたコスト負担が大きすぎるものになってしまえば、居場所の敷居それ自体が高くなってしまう。富裕者のためだけの居場所。そんなものは、フリースペースとはとうてい呼べない。ではどうするか。
■これら(①、②)の代わりに私たちが積極的に採用したいと考えている(そして実際に採用している)のが、③支援者からの寄付という方法だ。「ぷらっとほーむ」には、団体の活動理念に賛同する個人・団体からの定期的な支援資金供給の仕組みとして、「後援会員/賛助会員」制度が存在する。そこにあるのは、理念に共鳴した(当事者ならざる)人々が、少しずつ、幅広く、お金を出し合うことで居場所を支えていくという発想だ。この方法は、私たち自身が自らの理念・目的を、当事者ならざる人々に理解してもらうことと不可分。ゆえに、活動理念の普及と財政基盤の整備とが正の相関関係にあるというメリットがある。決して当事者ではないものの、当事者の痛みや苦しみを理解し共感することができるという「想像力」や「寛容さ」の回復(あるいは、寄付文化の創出)。私たちの財政活動が結果的にそうした可能性へとつながっていけるなら、これに優る喜びはない。