ひきこもり調査をめぐって――「東北の春」に向けて(20)
2018年春に山形県が行った「困難を有する若者等に関するアンケート調査」の結果が先日発表された。県内に相当数の「引きこもり」等の該当者が存在していることが明らかになった調査なのだが、実はその手法と結果を受けての展開とが非常にユニークである。今回は、この調査とその後についてあれこれ綴ってみたい。
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まずは、この調査そのものの面白さから。対象として主に想定されているのは「ひきこもり」状態の若者である。調査は、「ひきこもり」状態に陥っている人々――調査では若者以外についても質問がなされている――が、山形県内のどこにどの程度いるか、その属性や状況は、といったことを把握するためのものだ。
ユニークなのは、その調査方法である。「ひきこもり」とは社会的な諸関係から切断され孤立しているということであり、当人との接点が社会的に喪われているということである。質問したいその当の相手の所在がわからないため、質問のしようがない。「ひきこもり」の実態把握がなかなか進まないのも、これがその理由の一端である。このアポリアを県はどうクリアしたのだろうか。
本調査では、県内すべての民生児童委員・主任児童委員を対象にアンケートが実施された。つまり、地域生活の実情に通じているとされる民生児童委員等に「あなたの地域に該当する若者はいますか?」と尋ねたかたちである。こうしたユニークな方法のゆえに、5年前の第1回調査(2013年)以来、この調査それ自体が全国の自治体や支援関係者からの注目を浴びているという。
しかし、課題がないわけではない。本調査が明らかにしたのはあくまで「民生児童委員等の把握」にすぎない。たとえその地域で「0」という数値があがってきたとして、それは該当者がその地域にいないからなのか、それとも回答者が把握できていないだけなのかは確かめようがない。該当者が「10人」だったとしても同様だ。もしかしたら、回答者がその偏見から実際には該当していない人を「ひきこもり」と見なしているだけかもしれない。
こうした調査手法そのものがもつ限界も踏まえ、この調査が苦しんでいる人々の支援に確実につながるよう、データの分析・検討は、さまざまな研究者や支援者、当事者等も交えながら慎重に進めてもらえたらと思う。他の自治体でも同様の調査が行われているというから、それらとの比較検討なども可能かもしれない。「引きこもり」の実態把握の新しいフェイズが、そこから始まっていくだろう。
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一方で、調査により「引きこもり」者の存在が発覚した以上、彼/彼女らにどう対処していくかという問いが続いて生成する。こちらについてはどうなっていったのだろうか。
「困難を有する若者等に関するアンケート調査」報告書(2018年)によると、「引きこもり」等の該当者は県内に1429人(5年前の前回調査では1607人)、前回同様、市部にも町村部にもいるという。要するに「引きこもり」は都市部にも農山村にも偏在しているということだ。
問題は、この現実をどのように支援のしくみにつなげていくかにある。従来の通例なら、県庁所在地に相談窓口を設置し、それを以て「適切に対応している」とお茶を濁すのが一般的であった。「引きこもり」といえば都市的な現象であろう、という通念がなんとなくあったからかもしれない。
しかしこれだけではもはや、市部以外でも偏在が発覚した「困難を有する若者等」に適切に対処したことにはならない。調査はその意味で、自治体側の逃げ道を封じる機能をも果たしたことになろうか。山形県はこれにどう対応したのだろう。
実はここからが山形ならではのユニークな展開なのだが、県は第一回調査の結果を受け、5年前、相談支援の窓口を県内4地域6か所に開設、しかもそれを各地にすでに存在し支援活動を展開していたNPOなどと協働で運営していくしくみを創設した。「若者相談支援拠点」制度である。
この制度の特徴は、すでに存在している支援活動の生態系を破壊せず、それをそのまま維持・活用できる柔軟性がその中に組みこまれている点にある。制度化の後押しを受けた各NPOのもとでその後さらに活動が活発化しているのもユニークだ(現在は、市部の各拠点から周辺地域へと支援の手が触手のようにのびていきつつあるという)。
こうした展開には、今のところあまり着目がされていない。これは、本来それを発見し可視化する仕事を果たすべき研究者やメディア――筆者を含む――の不調や怠慢にその一端があろう。現場の奮闘は、学者たちの机上の議論をはるかに超えて進んでいる。早く追いつかねばなるまい。
(『みちのく春秋』2019年春号 所収)
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