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26.決戦の日


 秋晴れの太陽に照らされてマイクロバスは光り輝いていた。

 晴れていた。

 暑かった。

 僕の不安は見事に的中して、今日は夏のような気温らしい。

 競技場の国旗と県旗がバタバタ揺れてる。風が強い。せめて追い風でありますように。

「じゃあな新藤。頑張れよ」

 キャプテンが言った。新藤を残して、僕らはこれから中継所に向かう。

 新藤が爽やかな笑顔で僕らに手を振ってきた。ワクワクしているような顔だった。何であんな顔ができるんだろう。本当に羨ましい。

 新藤と盛男さんと椿を残して、友利先生が運転するバスは走り出した。

 バスの中は静かだった。エンジン音が聞こえるぐらいだった。その静かな空間が落ち着かなかった。深呼吸をしないと耐えられなかった。

「哲哉、大丈夫?」

 前の座席から大志先輩が顔を出していた。

「気持ち悪くない?顔色悪いよ」

 笑って見せたけど自分でもぎこちないと分かるぐらい口角が動かなかった。

「大丈夫だから。哲哉のいつもの走りをしたら絶対に余裕だからな」

 そう言って大志先輩は席に戻った。

「哲哉」

 左を向くとキャプテンがいる。

「いつもの自分でな」

 キャプテンが拳を出してきた。僕も拳を作ってキャプテンの拳に当てた。

 亮先輩も僕の席に来た。

「大丈夫だって。俺みたいに今日の焼肉の事ばっかり考えてろ」

 そう言う亮先輩の顔は強張っていた。

 まず最終区の中継所でバスは停まった。

 強張った顔の亮先輩が席を立った。ガチガチした動きで進みながら、僕らとハイタッチをしてバスを降りた。亮先輩の手は汗で濡れていた。

 その次の10㎞地点でバスが停まる。ここで僕と省吾がバスを降りた。

「いつもの自分だぞ」

 バスの窓からキャプテンが顔を出している。僕と省吾は手を上げて応えた。バスが見えなくなると、僕と省吾は中継所のあるコンビニの駐車場へと向かった。

 広い駐車場には既にたくさんの選手がいた。

 脚を叩いている人に、ストレッチをしている人に、何度も駐車場を往復している人、歩道に出て走っている人。みんな緊張した顔つきだった。

 僕らの方に向かって手を振っている人達がいた。

 父がいた。隣には省吾の家族もいた。母と千紗は三区の中継所で待っているとの事だった。

「哲哉、大丈夫か?」

 僕を見た父が開口一番にそう言った。大丈夫、と言っても父はしつこかった。心配する父に荷物を預けて、僕は省吾と準備運動をした。

 身体が重い。手足の関節が硬い。うまく回ってくれなかった。

 溜息が止まらなかった。不安しかない。

「わ、もう始まるよ」

 省吾が言った。

 腕時計を見ると、もうスタートの時間だった。

 浮かんできたのは、スタートが待ちきれなくてうずうずしている新藤の姿だった。

 時計を見ながら省吾が言う。

「スタートした」


 一斉に選手が走り出した。

 いきなり新藤が飛び出す。

 数人の選手が追い駆ける。

 その人達を追い払っていくように、新藤はどんどん駆け抜けていく・・・・・。


 その場にいないのに何故かそんな映像が頭に浮かんでた。

「はああ、やばい。心臓がやばいよ」

 省吾が胸を押さえて蹲った。一回深呼吸をしてから省吾は立ち上がった。手足を動かして首も回す。

「早く終わらないかな・・・」

 省吾はよく喋った。落ち着きがなかった。何回も深呼吸をして何回も首を回した。何回も腕時計をチェックしては予想した地点を言ってきた。

「あと20分くらいで新藤が来るよ。はあ、もう嫌だなあ」

 鬱陶しかった。僕は無言でひたすら準備運動をした。手足がいつもの動きになるまで、しつこく、念入りにした。それでも手足はスムーズに動いてくれない。ガチガチに硬かった。

 省吾が僕を呼びながら走ってきた。詰め寄ってきた省吾の鼻の穴がかなり広かった。

「新藤が一位で通過したって」

 亮先輩からのメッセージが届いたみたいだ。一区の中間地点の5㎞に、亮先輩のいる最終区の中継所がある。

 スマホを見た省吾が目を剥いた。

「一分は離しているらしいよ。さすがだよね」

 省吾に頷いてからまた走り始める。

 身体が冷たく感じた。額を触ると汗で濡れている。なのに、身体はどこも冷たい。相変わらず関節は硬い。

 僕は闇雲に身体を動かした。いつもの自分の身体に戻す為に。でも身体は冷たくて硬いままだった。

 省吾が手を振って近づいてくる。

「20分だよ。もう準備をしないと」

 唾を飲んだ。ごくり、とよく聞こえた。心臓が激しく騒いでいるのに今頃になって気づいた。胸に手を当ててみる。心拍がびっくりするぐらい速かった。苦しくなってきた。

「哲哉、水を飲んで」

 省吾からペットボトルを受け取った。腹に溜めたくないので一口だけ含んでペットボトルを返した。

「もういいの?もうちょっと飲んだら?」

 省吾を無視してテントに向かった。向こうから父が来るのが分かった。

「哲哉、大丈夫か?」

 父は僕の顔を見るなりそう言った。

「深呼吸をしよう。ちゃんと水は飲んだか?」

 心配そうに寄ってくる父が鬱陶しい。もう新藤はすぐそこまで来ている。僕の出番はもうすぐだ。頼むから集中させてほしい。何でそんな事が分からない。

 父がペットボトルを差し出してきた。

 もう我慢の限界だった。

「大丈夫だから!集中したいから邪魔しないでよ!」

 気がつくと大声を張り上げていた。

 周りの視線を感じた。

 父は驚いた顔して固まっている。その顔を見て後ろめたくなった。父から顔を逸らしてそのまま早足で待機所のテントに移動した。

「哲哉、ジャージ脱いで。預かるから」

 すぐ後ろに省吾がいた。ジャージを脱いで省吾に渡す。

「落ち着いて。いつもの自分で」

 省吾の声は震えていた。今から自分の出番だと言わんばかりに顔が青ざめている。頷いてテントの近くに立った。テントの下は人でごった返していた。係の人達が忙しそうに動いている。選手達は、パチパチ、と一心に脚を叩いている。僕も真似をして叩いた。

「まもなく先頭がきます。選手はここから離れずにいてください」

 拡声器の声が響いた。周りの動きがより忙しくなった。パチパチ、と脚を叩く音が大きくなった。僕はすぐにコースに出られるように歩道に出ると、ガードレールから身を乗り出してコースを眺めた。


 ・・・・・静かだった。


 向かってくる車も、走っていく車もない。歩道に立つ人達は静かな景色の向こうをそわそわしながら見ている。

 ここへ向かって走ってくる子供がいた。

 その子が興奮した顔で声を上げる。

「きたよ!きたきた!」

 中継所の視線は一斉にそこへ向いた。

 道路の向こうで小さく見えたのは二台の白バイだった。

 ゆっくりと少しずつ大きくなった。

 両脇の黄色い旗が風ではためいている。

 その後ろで人影が見えた。


 一人だった。


 白色で両脇に紺色の縦線が入ったユニフォームだった。下は紺色のパンツ。

 自分の姿を確認する。


 白色。
 両脇が紺色の縦線。
 紺色のパンツ。


 一緒だ。


「19番!」

 拡声器の声が響く。


 ちょうど視界にあったお腹のゼッケンは『19』だった。

 呼ばれたのは僕達の番号だ。


 新藤が来る。


「哲哉!頑張れよ!」

 省吾の声だった。父の声も省吾の家族の声も続いた。

 頬を叩いてから道路に出た。

 振り返ると新藤がいた。

 タスキを持った手を大きく振って新藤はぐんぐん大きくなってきた。

 新藤の前髪は上がって後ろになびいていた。紺色のハチマキが露わになっている。前髪が振り払われないようにしがみついているように見えた。

 風が吹いているように見えるけどそうじゃない。

 新藤の風だ。

 新藤の周りだけ強風が吹き荒れていた。相変わらず綺麗なフォームだ。

 新藤は歯を見せていた。笑っている。タスキを高く掲げるとその手を前に差し出してきた。

 僕はそれを掴むと、身体を反転させて足を思いっきり蹴った。

「哲哉!走れ!」

 新藤の声が響いて、次に背中を強い衝撃が走った。背中を叩いたのは新藤の手だった。新藤から受け取ったタスキを肩に掛けると、僕は新藤の勢いをそのままにさらに足を強く蹴り上げた──────。


 風を感じた。


 歓声で渦巻くコースを走り抜けていく。

 皆が僕を見て歓声と拍手を送ってきてくれている。みんな僕しか見ていなかった。注目と歓声と応援を一人占めしている。

 それは、とても気持ちが良かった。

 自分の力ではない何かに背中を押してもらってるように感じた。

 両脇には先導の白バイが二台。エスコートされながら僕はコースを走る。

 今の僕はトップだ。

 僕が県のトップ。

 胸が躍っていた。今の自分がとても誇らしかった。新藤の気持ちが分かったような気がした。一位って最高だ。

 そんなトップの気分に浸っていると、やがて辺りに人影はなくなって、後ろで聞こえていた歓声も聞こえなくなった。白バイが二つに別れる道路を右に折れていく。

 後ろを見た。かなり遠くで観客の姿が見えた。けど、それは小さな点だった。走っている選手は見えない。

 白バイを追って道路を右に折れる。緩やかなカーブを蛇行しながら走る。歩道に人の姿はない。農作業中の人が少しはいるかと思ったけど、人っ子一人も見当たらない。静かな農地を走り続けていく。

 『1㎞』の立て看板を見て思う。

 本当に大会は続いているのかと。

 静かだった。聞こえるのは小鳥のさえずりだけだった。いつまで経っても人影がない。見えたと言えば、下見の時からずっとあるトラクターぐらいだ。後ろを向いても誰もいない。畑に雑木林だけの、寂しい景色が前でも後ろでもずっと続いていた。

 何かのトラブルで大会が中止になったんじゃ・・・。

 そんな考えが頭を掠めたけど、前の白バイを見て、そして『中間点』の立て看板を見て、今は大会中だと気を引き締める。

 直線になった。先には上り坂が見える。

 ここからが勝負だ。この上り坂を越えると水族館前の長い上り坂がある。両腕を伸ばして縮んだ肩を解放する。

 後ろを見た。

 まだ後続は見えない。そこから先は雑木林の陰に隠れている。その雑木林から選手が出てくる気配はなかった。一体、新藤はどれだけ離したんだろう。

 腕時計を見る。

 まずまずだった。想定したタイムより少し遅いけど、まあ許容範囲内だ。

 坂道に入った。

 突然、重力が変わった。身体が重くて前に進まない。脚は全然開かなかった。

 前傾姿勢になってピッチを上げる。呼吸も一気にきつくなった。リズムを意識してピッチを刻んだけど、思ったより脚は動いてくれない。胸の中が熱くなっていくのが分かる。その熱が喉にまで来た。

「頑張れー」

 声が聞こえた。顔を上げると、もう坂の頂上近くだった。その先の家の前で声援を送っている人達がいる。

 坂を上り切った所で後ろを見た──────。


 トクン。


 心音が強く鳴った。

 道路に走る人影が見えた。

 蟻ぐらいの大きさだった。三人いた。坂道に差し掛かりそうだった。

 前を向いてギアを上げた。下り坂もあって勢いよく前に進んだ。後続は上り坂。これで差は広がる。

 道路は左にカーブしている。その先には日光を浴びて光り輝く大きなリゾートホテルが構えていた。

 『残り1㎞』の看板が見えた。

 カーブに入る前に後ろを見た。

 微妙に蛇行しているから先まで見えなかったけど、人影はない。大丈夫。まだ距離はかなり空いている。

 カーブに入った。大きく曲がりながらリゾートホテルを右手に過ぎると、上を向き続ける長い上り坂が立ちはだかる。

 いよいよここまで来た。

 後はこいつを上るだけ。その先には僕を待つキャプテンがいる。

 坂道に入る。

 ズシッと身体が重くなった。辺り一面の重力がいっぺんにやってきて、ガシッ、としがみついてくる。

 全身の筋肉が硬くなった。目線は勝手に足下にいく。脚の動きはひどく鈍い。ストライドを狭めてピッチに意識を向ける。

 さっきの坂より明らかに動きが悪かった。まだ坂道の序盤なのに、この疲労度はおかしかった。こんなはずじゃない。ここまで抑えて走ってきた。体力は残ってるはずだ。もっと速く走れる。なのに、脚は動いてくれない──────。

 突然だった。

 横から強い力が圧し掛かってきた。あまりの強さに転びそうになった。よろめいたけど、なんとか踏ん張った。

 突風だった。ホテルの外に立てられた旗が激しくはためいている。

 風に押されながらも坂道を進んだ。歩きそうだった。止まりそうだった。身体が途轍もなく重い。

 顔を上げた。上り坂の直線はまだ続く。

 おかしい。

 長すぎる。

 道路が逆走してるんじゃないかと思った。それぐらい進んでいなかった。唾を飲み込もうとすると喉に激痛が走った。口の中が乾涸びている。息が熱い。喉が焼けているように熱かった。ペットボトルを持った父の姿が急に浮かんだ──────。

 膝がガクンと落ちた。踏ん張ってなんとか持ちこたえる。足腰に力が入ってこない。腕にも力が入ってこなかった。自分の身体じゃないみたいだった。

「もう少しだよ」
「ラスト!頑張れ」

 もう少し?・・・あ、そうだ。そういえば『残り1㎞』の看板を見た。それから結構走ってきたはずだ。あ、いま水族館の横を走っている。そうだ。この水族館を過ぎたら、もう中継所はすぐそこだ。早く終わらそう。動け、僕の脚。なんだよ、この鈍さは。動け。頼むから動いてくれ。

 沿道の歓声は大きかった。僕が過ぎても後ろの歓声は止まない。むしろ歓声は大きくなって盛り上がった。

「抜ける抜ける!ラスト!」
「前はもうへばってるぞ!」
「いける!一位になれるぞ!」

 抜ける?
 前?
 一位?

 後ろは大盛り上がりだった。

 さっきからこの人達は何を騒いでるんだ?

 後ろを見た瞬間だった──────。

 背筋が硬直した。


 うそだ。


 選手がすぐそこにいた。

 蟻だったはずなのに、人の形がはっきりと分かるまで大きくなっていた。ユニフォームのデザインまで分かる。苦しそうな表情も分かる。しかもたくさんいた。たくさんの選手が僕に迫ってくる──────。

 前を向いて必死に腕を振った。

 たった3㎞。

 見えなかった。ずっと後ろにいた。蟻の大きさだった。追いつかれるわけがないと思っていた。

 それなのにどうしてあそこにいるんだ。何であんな近くにいる。何で選手がいるんだよ。何であんなにたくさんいるんだよ。そんなのないよお。

 ぼんやりとする視界の先に中継所が見えた。

 もう少しだ。沿道からも「もう少しだよ」と声が聞こえる。「頑張って」の後、続けざまに「大丈夫かよ」と言う声もした。過ぎていく人達からの声は焦っていた。

「え?ふらついてるよ」
「倒れそう倒れそう」
「うわ、やばいって」

 その声は遥か遠くからの木霊のように聞こえた。

 道路に並んでいる人達が見えた。

 皆が大きな口を開けて手を振りながら叫んでいる。ユニフォーム姿だった。

 あそこにキャプテンがいる。あそこがゴールだ。やっとここまで来れた。

 肩のタスキを掴んだ。

 やっと終わる。長かった。あともう少し。

 あとはキャプテンにこのタスキを渡すだけ。

 ただ、そのキャプテンがどこなのか分からなかった。並ぶ人達がぼんやりと浮かんで薄れていく・・・・・。

 すると突然、音がピタリと止んだ。

 何が起こったのかよく分からなかった。夢の中にいるような感じだった。すると、ボーっと暗闇が上から落ちてきた。ゾクッと背筋に寒気が走った。何かが僕を中から叩いたような気がした。

 ハッとして前を見た。その瞬間、何も聞こえなかった空間に音が戻ってきた。力強い衝撃音が聞こえた。その音は断続的にどんどん僕の横を通っていった。歓声がする。大きな歓声だ。すぐ近くで色んな声がする。

「やばいよ!危ないって!」

 一部の歓声からそんな声がした。不穏な声が聞こえてくる。何があったんだろう。

 目の前には壁があった。

 どうして壁が?これだと前に走れない。壁はもの凄く熱かった。

 この壁から離れたかった。離れようとすると、足が空を切る。

 なんだよこれ。一体、どうなってるんだ?

 足には地面がない。目の前には身体を押してくる熱い壁がある。暗くて、息苦しい。あまりにも苦しくて僕は上を向いた。

 すると、視界に光が降りた。

 そこはおかしな光景だった。

 たくさんのシューズが降ってきた。よく見ると脚も付いている。たくさんのシューズが大雨のように次々と振ってきた。そしてそのシューズの大群が消えていくと、次に声が聞こえてきた。

「哲哉!しっかりしろ!哲哉!」

 その声はずっと僕の名前を呼んでいた。泣き叫んでいる。

 あ、この声は賢人だ。

 あれ?でも何で賢人の声がするんだろう・・・そうだ。賢人は僕がゴールする中継所から走るんだった。

 僕はその声のする方を向いた。灰色の壁しかない景色が、ずるっ、と動くと視界が一気に広がった。やっと奥行きのある景色になった。でも濃い灰色の壁はまだすぐ傍にあった。その壁にくっついた自分の腕があった。その腕が真っ赤に塗れている。この赤いのは何だろう。手には黄色い布があった。傍の壁にくたっとした感じで凭れていた。

 急に視界が晴れた。


 タスキだ。


 僕がタスキをまだ持っている。

 まだ走り終わっていない。灰色の壁に、垂直にくっつく二本の足が見える。

 それで気づいた。

 この壁は地面だという事に。

 前を見た。

 立っている人はキャプテンだった。

 一人だった。

 僕を待っている。倒れている僕を待っている。早く渡さないと。

 伸びた腕を引き戻して力を籠めた。

 腕が震えていた。身体が途轍もなく重い。

 やっと身体が浮いた。全身が尋常じゃないくらい震えている。

 フッと力が抜けて地面に全身を打ちつけた。

 視界がぐらっとぶれた。でも不思議と痛みは感じない。今度は手足を突っ張って立ち上がろうとした。力を入れれば入れるほど身体は震えた。耐えられなかった。また地面に身体を打ちつけた。

 キャプテンが見える。キャプテンの口が動いている。何て言っているか分からなかった。周りの悲鳴でよく聞こえない。「危ないからやめさせろよ!」と声が聞こえた。

 すぐ横で賢人の声がする。何を言ってるかは分からない。叫んでいるのは分かった。

「・・・もうこれ以上は危険だ」

 そんな声が上から落ちてくると、次々と誰かの手が僕の身体を掴んできた。

 身体が浮いた。

 視界が激しくぶれていた。その中で賢人が見えた。賢人はすぐそこにいた。口に手を押さえている。目は涙で濡れていた。

 賢人が見えなくなる。力が出てこないのに何故か僕は動いていた。

 前のキャプテンに近づいている。大きくなってくるキャプテンの顔は涙でグシャグシャだった。

 スーッと辺りに白い空気が降ってくる。キャプテンがその白い空気にゆっくりと包まれていく。まずい。早くタスキを渡さないと。

 僕はキャプテンに向かって手を伸ばした。タスキがだらんと垂れている。もうキャプテンは目の前だ。それなのにキャプテンは手を伸ばしてくれない。

 何してるんだよ。早く受け取ってよ。

 そう言いたいけど声が出ない。

 キャプテンの口が動いている。声は聞こえない。でも口の動きで分かった。


 ばかやろう。


 そう言っていた。

 急に白い空気が動き始めた。白い空気はどんどん濃くなった。

 そして、キャプテンは白い空気の中に消えていった。


             つづき

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https://note.com/takigawasei/n/ncfc9009b1088


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