43.意地っ張りなあの人
新藤は重症だった。
腰椎分離すべり症。
それがどんな症状なのか分からなかったので、盛男さんが背骨をブロック塀に例えて説明してくれた。
背骨はブロックを積み上げたみたいに、一つ一つの骨が繋がってできている。
その中の腰にある骨の一つが腰椎。
腰椎の形は簡単にすると、空洞のあるコンクリートブロックのような形になっている。
空洞の周りの骨は細くて脆い。腰に負担を掛けすぎると、この空洞周りの一番細い骨の部分、両端の骨に罅が入る。
これが腰椎分離症。腰椎の疲労骨折とも言われるみたいだ。
骨折と聞くと、かなりの激痛かとも思ったけど、意外にもあまり気づかないらしい。
「腰痛がひどくなってきたら、この亀裂が広がってるサインらしい」
それを聞いて思い当たる節があった。ここ最近の新藤は、練習前後に腰のストレッチをよくしていた。口には出してなかったけど腰に違和感を持っていたんだと思う。でも新藤は誰にもその事を言わなかった。
亀裂が広がって骨が折れてしまうと、腰椎の骨は真っ二つに別れる。これで支えのなくなった片割れは滑るように飛び出していく。
これが腰椎分離すべり症。
この飛び出した骨が、腰椎の傍にある神経を圧迫する事で痛みに襲われる。この瞬間の痛みはとんでもないみたいで、強烈な腰痛や下半身の痺れで動く事もできない。転倒した時の新藤を思い出した。
腰椎分離症はスポーツをしている人の多くが発症しているらしい。特にまだ骨のできていない子供に多くて、気づかない人が多いほど、普通の骨折と違って痛みが軽い。軽い腰痛と片づけてしまう人も多い。それを放っておいて、痛みがひどくなっても我慢をし続けると、後にとんでもない事になる。
あまり言いたくないけど新藤がいい例だった。
一度、亀裂のできた腰椎はくっつきにくいそうだ。
腰椎は動くだけで負担がかかってくるからだ。骨を完璧に治すには長い時間をかけて絶対安静にしないといけない。
でも、ずっと動かずに寝たきりになんてできないし、痛みを感じなかったら絶対に動いてしまう。それでまた腰に負担が掛かるから骨の亀裂はひどくなる。だから完治が難しいみたいだ。
身体を労わりつつ、腰周りの筋肉で守るのが、今のところの最善の予防法だと盛男さんは言った。
「だから無理だけは絶対にしないで欲しい。少しの痛みでも俺に教えて欲しい」
それを最後に言って盛男さんはこの場を解散にした。トボトボと歩いていく姿にはいつもの漲った力はない。皆の肩も落ちている。試合の結果も惨敗で、新藤は重度の故障。これなら出なければ良かったのに、と思う自分がいた。
5000mは亮先輩が9位、大志先輩が13位、省吾が15位だった。
動揺したんだと思う。いつもの三人ならもっと良い走りができたはずだった。秋の国体の選出が難しいと考えた盛男さんは、大会が終わったその日に走り込み中心の駅伝練習に切り換えると宣言した。
島に戻っても、新藤の事がずっと気懸かりで何も手に付かなかった。
新藤は現地で入院しながら様子を見ている。家族も新藤の事を心配した。顔を合わせる度に新藤の事を訊いてきたけど、それはこっちだって知りたかった。詳しい事が全く知らなかった。
大会から三日後、駅伝部のグループに新藤からメッセージが送られてきた。
〈島に戻った!皆さんご心配をおかけしました!〉
ホッとした。でもこれで心配が晴れるわけない。盛男さんの話を聞くと、新藤の状態はかなり悪い。
〈大丈夫だから!すぐに復活するから!〉
疑った。新藤の事だから皆に心配かけまいと隠しているのかもしれない。皆からの激励のメッセージに、新藤は〈ありがとう!すぐに復帰してやる!〉と返してきた。
それっきり新藤からメッセージは届いていない。
皆が首を長くして新藤のメッセージを待った。でも、それから駅伝部のグループにメッセージは来なかった。さらに一週間が経って、僕は居ても経っても居られなくなって新藤に個別でメッセージを送った。
〈お見舞いに来てもいい?〉
すぐに返事がきた。
〈お見舞いするほどでもないよ!大丈夫!〉
それ以降は返事がこなかった。皆も新藤に個別でメッセージを送っていた。やり取りの内容は僕と同じようなものだった。返事は最初だけで、後はパッタリと途絶えている。
学校にも姿を現していない。椿に訊いても、椿はかぶりを振るだけ。椿も、と言うより皆に元気がない。ここまで練習に身が入っていない。皆がそうだった。上の空って感じ。盛男さんも気づいているはずだけど、特に口出しをするわけでもない。盛男さんもずっと上の空だ。皆が黙々と走り込みをして時間を消化しているだけのような日々が続いた。
10日が経った。練習後のミーティングで盛男さんは新藤の容態について触れた。
前日に盛男さんは新藤の家に様子を見に行っていた。盛男さんの声は小さくて暗かった。
「車椅子だった。今の状態だと通学は難しいから、学校はしばらく休むらしい。多分、登校するのは夏休みが明けてからになると思う・・・」
皆が口を開けていた。
「車椅子?新藤は歩く事もできないんですか?」
大志先輩はかなり動揺していた。
「まあ、落ち着けって。まだ間もないから身体が落ち着いてないんだ。回復したらすぐに歩けるようになる。リハビリ次第ではいきなり治る事もあるみたいだから」
盛男さんはそう言って大志先輩を宥めると、新藤のこれからの事を説明した。新藤は部を休んでリハビリに専念するみたいだ。
「何か自分達にできることはありませんか?少しでも新藤の力になりたいです」
大志先輩の言葉に盛男さんは呆れ口調で言う。
「俺も言ったんだけど・・・本当に、あいつは相当な意地っ張りなんだよな。大丈夫、大丈夫の一点張りなんだよ」
それは皆が分かっている事だった。
新藤は相当な意地っ張りだ。ずっと先頭を走って皆を引っ張ってきたからなのか、新藤は僕らに弱い姿を見せようとしない。いつも笑顔で、明るくて、よく笑って、皆に気を配って、走ったら圧倒的。最強の人間だ。
「でも、一緒に練習をしてきたお前らには心を開いてくれるかもしれない。メッセージとか些細な事でもあいつの励みになると思う。だからあいつの事を気に掛けてくれ。頼んだぞ」
盛男さんの言う通りだった。少しでも僕らにできる事はあるはず。こんな時こそ部員の皆を頼って欲しい。新藤の力になりたい。
解散して、帰りがけに大志先輩が駅伝部のグループにメッセージを送った。
〈新藤!話は盛男さんから聞いた!一人で頑張ろうとするな!皆がお前の力になりたいと思っているからな!何でもいいから困った事があったら俺らを頼れよ!〉
すぐに皆のスマホが同時に鳴った。
〈ありがとうございます!でも今は大丈夫。すぐに復帰するから待ってて!〉
それぞれのスマホに溜息が降りかかった。
「でたよ。意地っ張りだなあ」
賢人は呆れ口調だった。
つづき
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