3.松島良豪
「次は、新入生に我々の部活をお見せしま~す。はい、じゃあまずは野球部!」
部隊の壇上にユニフォーム姿の人達が続々と現れた。並んだ部員達が形式的な挨拶をして部員数や成績を発表すると、「それでは最後に一発芸を皆さんにお見せしたいと思います」と言って、並んでいた一人一人が一発芸を始めた。
会場は俄然と盛り上がりを見せていた。
僕らは体育館にいる。
今は対面式の演目のひとつ、部活紹介の真っ最中だ。
野球部が終わると、次にバスケ部、サッカー部などが同じように挨拶や活動を紹介していく。ふざけたダンスや一発芸ばかりだけど、中には、真面目に演奏をする吹奏楽部や軽音楽部もいる。
ほとんどが苦笑するものばっかりだけど、皆を楽しませようと一生懸命練習してきた姿が垣間見えて、この場がすごく温かく感じた。どの部活も楽しそうに見えた。
次に壇上に登場したのは三人の男子だった。
生地の薄いユニフォームを着た人を真ん中にして、ジャージ姿の二人が後ろについている。
一気にテンションが上がった。真ん中の人は知っている。あの真ん中の人は僕の憧れの一人だ。
松島良豪。
島で陸上をかじってる人なら誰でも分かる有名人だ。
小学生の頃から松島良豪は速かった。
いつも長距離種目に出場して必ず1位になっていた。県大会でも1位になって、よく新聞に載っていた。去年の全国高校駅伝の県予選では、二年生ながら見事一区で区間賞を獲って、翌朝の朝刊に大きく載っていた。
今、県の長距離最速の男が、この松島良豪だ。
「りょーおごっ!りょーおごっ!」
前を陣取る人達からコールがしている。ガラの悪そうな人達だった。楽しそうにはしゃいでいる。その人達に向かって松島良豪は投げキッスをしている。
壇上に置かれたマイクを松島良豪が拾った。
すると、顔が急に真剣な表情になった。まるでスイッチが入ったみたいだった。さすが県を代表するランナーだ。すぐに切り替えができる。会場も期待しているようで急に静かになった。
そんな張り詰めた緊張感の中、松島良豪が口を開いた。
「みンなサんこ、ンニちわ、ぼ、ボくたチは駅伝部っス」
おっそろしいほどの棒読みだった。
直立不動で顔は真剣なまま。瞬きもしてない。
どうしたんだろう?さっきはひょうきんな感じだったから冗談でやってるんだろうか?
会場はしんとしたままだった。
「ぼ、ぼクたチエきでんブはみテノトオり、ブイんはサんにんしカイませんデす」
ここで気づいた。
あの只ならぬ表情はただ緊張して硬くなっただけだと。
会場の人達も気づき始めたようで、クスクスと静かな失笑が広がり始めていた。
「りょうごう!リラックス、リラックス!」
「なんかやれ!りょうごう!」
そんな声に松島良豪は応える余裕はない。直立不動で瞬きしないまま話し続ける。
「きョねんはけンないでヨんいデシた。で、で、デも僕ラはこの結果ガ残ねンデしかありませんッしヤ。ことしはさらナルひやくヲもくひょオに、さンにんだけデもひびレんしュウに、はげんでマす」
ひさーん。
嘲笑が交じったそんな小さな声が聞こえた。胸が沈んでいく。
「あの人さ、区間賞を獲った松島良豪だよな?」
後ろからの賢人の声に僕は頷いて見せた。
「ぼ、ボ、僕、ボくらの目標は、コトしは都大路ではシることガ、ぼ、ぼくたちの、ユメであリます」
静かな体育館にボソボソとした声が小さく響く。
「みやこおおじ?何それ?」と、どこかからそんな声が聞こえた。
都大路は全国高校駅伝の舞台となる京都の伝統あるコースだ。
野球だと『甲子園』と言うように、駅伝でも『都大路』と言う駅伝児なら誰もが憧れる神聖なコースがある。
「ことしはちカラのあるしンニュウせえがいると聞いテいます。ぜひトもえきデんぶにた、タくサンのしとがくるをきタイしテマす」
最初は可笑しかったそのガチガチな声も、慣れてくると、校長先生の挨拶のような退屈で野暮ったくなるような感じだった。周りを見渡しても欠伸をする人がたくさんいるし、ひそひそとお喋りをする人もいた。
「それでは、これにてボくタちエキでんぶのショうかいヲオわりたイおもいマス。みなさまドうもあリガとうござイまシタ」
三人がお辞儀をすると、「はああ!?」と最前列から一斉に野蛮な声が響き渡った。
「お前マジか!」
「それでいいのか!」
野次が次々に飛んだ。松島良豪はがなり立てる人達に向かって手を合わせて謝っていた。ブーイングに苦笑しながらも舞台袖に向かう。
「そんなんだからまだ彼女が出来ねえんだよ!」
その声がした時だった。
突然、松島良豪がピタッと立ち止まった。ジャージの二人は既に捌けていて、壇上には松島良豪だけが残った。
会場のざわめきも止まった。
振り返った松島良豪が、下を睨みつけるようにして言った。
「やってやるよ」
その声に会場のボルテージは上がった。指笛まで鳴り響いた。
スイッチが入っていた。急にうるさくなった。なぜか喧嘩腰だった。松島良豪はユニフォームを乱暴に脱いで床に叩きつけた。
息を呑んだ。
凄い身体だった。
細長い腕にはくっきりと筋が浮いていて、腹筋は六つの石板を並べたみたいだった。目に付くところには薄い鉄板を仕込んだように確かな筋肉があった。あれは走る為に削がれた最高な身体だった。あの身体になるには一体どれだけ走り込まないといけないんだろう。
「ほっそ!」
「ながっ!」
会場の人は僕の印象とは違ったみたいだった。
確かに細い。それで手足が長いもんだからアメンボみたいだ。おまけに彫りの深い顔で体毛は濃いから、どこかの原住民にも見えた。女子からは悲鳴も上がっている。それでも松島良豪は動じていない。気をつけして前を一点に見つめている。そのただならぬ気配に、ざわめきはどんどん鎮まっていった。
そして会場に静寂が降りると、松島良豪は動き始めた。
背筋を伸ばしたまま、片足を斜めに伸ばして、その足で床を蹴る。
ピンッと伸びた身体が回転を始める。何度も床を蹴りながら松島良豪は回転した。
回転した松島良豪から声がする。
「コンパス!コンパス!」
裏声の高い声だった。
その声が充分に静寂な会場の中を響き渡ると、遅れて一部の塊からドッと笑いが起きた。
最前列の輩達だった。
「マジでやりやがった!」
手を叩いて喜んでいる。回転を止めた松島良豪は、何故か誇らしげな顔だった。相変わらず盛り上がっているのは最前列の人達だけだ。
「りょうごう!よくやった!」
「これで駅伝部は安泰だよ!」
そんな称賛の声に送られて松島良豪は舞台を捌けた。ユニフォームを肩に掛けていて、何故かまだ誇らしげだった。
松島良豪の姿がなくなると、途端に会場はざわめいた。クスクスと控えめな笑い声がしている。
「これで希望者はいなくなったな」
最前列の方からそんな声が聞こえた。
「・・・哲哉、お前どうする?」
後ろを向くと、賢人は不安でいっぱいの顔をしていた。
つづき
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