4.ようこそ駅伝部へ
最後の珍事で少し迷ったけど、僕と賢人は駅伝部に行く事にした。
学校が終わると、僕と賢人は家に帰って荷物を取ってから市の陸上競技場に向かった。少し休みたい気分もあったけど、早く練習に触れてみたいし、何より県内最強ランナーの走りを間近で見るのは楽しみだった。それに、あの新藤の動向が気懸かりだった。
競技場の駐車場で賢人と会ってから、僕達はグラウンドに入った。
「あれじゃない?」
賢人が指差した場所にはジャージ姿の高校生らしき人達がいた。
かなり多い。
その中に対面式で見た三人はいない。多分、あれは違う。あの一発芸で入部希望者があんなに殺到するわけない。
「あ、あれだ」
賢人が指差した所を見ると、そこに五人のグループが円を囲んでいた。そこへ向かうと、対面式で舞台に立っていた三人の先輩がいた。他に小柄な男の子と、そしてもう一人、知っている顔がいた。
新藤だった。
新藤は笑顔で先輩達と喋っていた。遂に新藤が入部すると確信した僕は、もう高々と飛び上がりたいほど胸が躍った。
近づく僕達の姿に最初に気づいたのは松島良豪だった。
「もしかして入部希望?」
二人で「そうです」と言うと、「七人揃ったあ!」と松嶋良豪は飛び上がって声を上げた。他の先輩達も嬉しそうだった。
「ささ、ここ入って」
円の間隔が広がって、僕と賢人はその間に入った。
「ようこそ駅伝部へ」
松島良豪はいきいきとしていた。
いい顔してるね、
真面目そうだね、
よく眠りそうだね、
早起きしそうだね、
ご飯を美味しそうに食べそうだね。
松島良豪は僕と賢人を交互に見てそんな事を言ってきた。明るい人なんだな、と思いつつも、対面式からの心配がまたちらついてくる。
「もう時間だから始めよっか。とりあえず、まずは自己紹介からします」
そう言ってキャプテンの松島良豪が簡単な自己紹介を始めていく。
「・・・コンパスコンパス」
自己紹介が終わったタイミングでそんな呟きが聞こえた。
呟いたのは先輩の内の一人だった。ニタニタしている。意地悪が好きそうな顔をしている。
その先輩は下地亮と名乗った。
「体育館ではコンパス先輩が失礼しました」
自己紹介の締めくくりに亮先輩はそう言って、激昂したキャプテンに追い駆けられた。そんな二人を放置してもう一人の先輩、砂川大志が自己紹介を始める。落ち着いた雰囲気で優しい声だった。
「ごめんね。二人はいつもあんな調子だから」と大志先輩は言うと、「おおい、自己紹介終わったよ」と取っ組み合う二人に声を投げた。
その声に二人は戻ってきた。何事もなかったように「じゃあ次は新入生ね」とキャプテンは口を開いて「じゃあ、新藤から」と指名した。
「新藤孝樹です。出身は西富中です。よろしくお願いします」
新藤がお辞儀をすると「期待してるよ、エース」とキャプテンが拍手しながら言った。その言葉に新藤は返事をするわけでもなく、会釈した感じで頷いた。
次に、隣の小学生に間違われそうなほど小柄な男の子が自己紹介をした。
奥永省吾。
どっかで見覚えがあるなと思ったら、島の陸上大会の3000mに出場していたと省吾は言った。
それで思い出した。確か最下位争いをしていて、あまりにも小さいから小学生が走っているんじゃないか、と疑った記憶がある。
次の賢人はありきたりな言葉を並べて終わったので、僕もありきたりな言葉を並べて自己紹介は終わった。
「先輩、あそこはどこの部ですか?」
賢人が指差したのは、最初に目に付いたジャージ姿の大勢の一団だった。
「ああ、あれは陸上部だよ。うちは陸上部と駅伝部で別れてるんだ」
大志先輩が言った。
今日は陸上競技場に集まったけど、普段はここで練習はしないらしい。陸上部がいつもこの陸上競技場を使っているみたいだ。
駅伝部と言っても、一年中、駅伝の大会があるわけじゃない。四月から十月は陸上競技の大会しかない。学校によっては、駅伝部も、短距離や投てきや跳躍と同じ『陸上部』としているみたいだけど、僕らの高校は駅伝部と陸上部で完全に別れていた。陸上競技大会の時だけ一緒になって大会に出るらしい。
「向こうはいつも賑やかなんだよな・・・」
亮先輩は遠くを見るような目をしていた。
そこに目を向けると、数人の男子と女子がジョグをしながら楽しそうに話していた。
「女子駅伝部があったらな・・・」
亮先輩の隣のキャプテンも遠くを見るような目をしている。
「あ、やっと来た」
大志先輩の向いている方を見た。そこには色黒のムキムキなオジサンがいた。ここに向かって歩いてくる。手を上げて満面の笑みを見せていた。
「おお、人が増えているなあ」
のんびりした太い声だった。
白いランニングキャップを被ってサングラスを掛けている。白いシャツに、下は黒いパンツで、中にスパッツを穿いている。速そうだった。シャツの袖が腕の筋肉でパツパツだった。
「あの人がコーチの武富盛男さん」
新入生全員が息を呑んだのが分かった。
「盛男さん、遅刻だよ!」
キャプテンがそう言うと、「始業式の日は忙しいんだよ」と盛男さんは悪びれた様子もなく円陣に加わった。
「じゃあ自己紹介からいくぞ」
盛男さんは帽子を脱いだ。
「名前は武富盛男。学校の用務員をしてます。三年前に赴任して、同時に駅伝部のコーチにも就任しました。小学生から長距離をやっていて、マスターズにも挑戦しようか考え中の45歳です」
筋張った逞しい腕に、僕は思わず釘付けになっていた。
サングラスをしているから分かりづらいけど、45歳にはとても見えなかった。髪はフサフサだし、頬は引き締まっているし、何よりムキムキな身体は精悍だった。体型がカッコいい。41歳の父より全然若く見える。
「えっと、まず言っておくが、俺はコーチになるけど、正直、全員を速くできるかと言ったら、自信は、ない」
この人は何を言ってるんだろう??
周りも静かだった。きっと僕と同じ事を思ってる。
「ただ、俺は皆より長く長距離に携わってきて、それなりに勉強もしてきたし、色んな選手も見てきました。それで痛感したのが、一人一人、全員が違うタイプの選手だということ。走るフォームとか、癖とか、あれが好きで、これが嫌いでとか、もう挙げたらキリがない。そんな人達の全員を、最も正しい練習方法で、最高の力に伸ばせるかと言ったら、俺には自信がありません」
これは何だ?責任放棄をする為の決意表明?
チラッと横を見ると、先輩達はニヤけていて、新入生はポカンとしている。
「何が言いたいのかと言うと・・・結局、自分を強くするには自分次第だという事。自分の身体は自分が一番分かる。走った時の感覚は、己にしか分からない。これを外から見ている人が、ちょっとした違いを見つけるのはまず無理だ。だから、ここの練習法をやってみて違和感を持ったら、自分で修正して練習に取り組んでほしい。こんな練習で速くなるわけない、と思ったら提案してもいい。生意気とかはない。この先輩達も遠慮しないで提案はしょっちゅうしてくる。もう思った事はどんどん言ってください。良いと皆が思ったものはすぐに練習に取り入れます。でも、取り入れるかどうかは、ある事によって変わってきます。俺は皆にこれだけは絶対にさせたくありません・・・それは何だと思う?」
突然、盛男さんが僕を向いた。
まさか質問されると思ってなかったので慌ててしまって、「辞めること?」と小さく口に出した。「それもされたくないな」と盛男さんは苦笑すると皆を見渡してから口を開いた。
「怪我をしない。これを一番に考えています。いくら速くなるからといって、その練習で怪我をしたら、これこそまさに本末転倒だ。いつでも元気に走れてこそ練習の意味がある。それを第一に考えて皆と成長していけたらな、と思っております。これからどうぞよろしくお願いします」
盛男さんが頭を下げた所で拍手が鳴った。なんか優しそうな人で良かった、と僕は少し安心した。体格からして鬼軍曹って感じかと思った。
「じゃあ新入生は自己紹介をしようか」
盛男さんが言うと「今さっき終わったよ」とキャプテンが間髪入れずに言ったけど、「じゃあもう一回」と盛男さんが開き直った様子で言ったので、僕達はさっきと全く同じ自己紹介を盛男さんに向かってやった。
全員の自己紹介が終わると、盛男さんは感慨深げに何度も頷いていた。
「駅伝部に来てくれてありがとうだ・・・」
しんみりとした口調で言うと、盛男さんは視線を遠くに持っていった。グラウンドを見渡しているようだ。
「よし、じゃあ今日は皆で競争をしてみるか。1万m一本勝負!」
盛男さんの言葉に僕はギョッとした。
僕は1万mの記録を計った事がなかった。
練習でなら走ったかもしれない。でもそれは練習であって、本気の勝負で走った事はない。中学の陸上でも3000mが一番長い距離で、駅伝でも一番長い距離が5㎞だった。何度か記録会で5㎞は走ったけど、正直ペース配分は分からない。いつもラスト1㎞はヘロヘロの状態で何とか走り切っていた。それが、倍になる。未知の体験だった。走り切れるだろうか・・・。
盛男さんはそんな僕を他所にどんどん話を進めていった。ロッカールームの場所を簡単に説明して、腕時計に目を落とすと「じゃあ16時にスタートね」と言った。あと30分。僕と賢人はすぐにロッカールームに移動した。
「いきなり1万はきついよなあ・・・」
賢人が着替えながら愚痴っぽく言った。やっぱり賢人も僕と同じように思ったみたいだった。「走った事ある?」と僕は賢人に訊いた。
「タートルマラソンで走った事あるけどグラウンドはない。お前は?」
タートルマラソンは地元のマラソン大会だ。
ハチマキを巻いた亀がマスコットキャラクターで、『遅いあなたが主役です』のスローガンを掲げている。
「一回もない。走り切れるかな・・・」
つい不安を零した。
「大丈夫だよ。自分のペースを守れば必ず走り切れる。大事なのは、自分が今どれだけ走れるのかを知る事だと思うよ」
賢人を見て頷いた。すぐに不安になる僕は、必ずと言っていいほど賢人に励まされている。もういい加減こんな気弱キャラは卒業したい。
「俺は・・・最初はついていってみるよ」
賢人の言葉に僕は「え?」と声を投げた。
「あの新藤孝樹と松島良豪と一緒に走るんだよ。あの二人のスピードを感じてみたい」
賢人の顔は凛々しかった。
その賢人を見て、僕の中で何かが生まれた。
靴ヒモの結び目をキュッときつくした。
「お前よりも長くついていくからな」
そんな事を賢人に言っていた。賢人が挑戦的な笑みを見せた。
「勝負な」
賢人に頷いて見せると、僕は先に更衣室を出た。
つづき
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