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25.決戦前日


 翌日、僕らは本島に飛び立った。空港は大勢の人達が来てくれて、出発式が催されるほど盛大な見送りをしてもらった。

 引率は盛男さんと友利先生の二人。

 空港でレンタカー会社の人に付いていくと車寄せにはマイクロバスがあった。テレビでよく見るガラスが黒くて中が見えないやつだった。これから撮影だぜ、とやっぱりキャプテンと亮先輩がはしゃいでいた。

 コースは空港から二時間の遠い所だった。宿舎に行く前にバスでコースを下見する事になった。スタートの競技場はかなり長閑な村にあった。

 想像していたのと違った。かなり田舎だった。

 緑と畑、そして忘れた頃にお家。そんな感じ。

 競技場は寂しい雰囲気だった。

 駐車場には車が数台。車の中で寝てるおじさん、スタンドに座ってお喋りしているおじいちゃん二人しかいなかった。小鳥のさえずりが眠気を誘ってくる。

 トラックは5コースしかなくて、客席のメインスタンドは低くて小さいし、他のスタンドは芝生だけの狭い客席で、トラックとスタンドの間も狭い。そのせいもあって、とても1周400mには見えなかった。

 学校のグラウンドに小さな客席が付いただけ。

 そんな感じのこじんまりな競技場だった。

 競技場の他には、テニスコート、屋外プール、体育館、芝生の広場に、ランニングコースと、色んな施設があるけど、全部が小さくてこじんまりとしている感じだった。応援する人がいるのか不安になってきた。

 助手席の盛男さんがこっちを向いた。

「ここからスタートだからな。孝樹はよく見とけよ」

 窓の外を見ていた全員が一斉に盛男さんを向いた。

「俺が一区ですか?」と新藤が自分を指さして言うと「そうだ。ちゃんと見とけよ」と盛男さんは言って前を向いた。そして運転席の友利先生と喋り始めた。

 一気に静かになった。あんなに楽しそうに話していたキャプテンと亮先輩までも黙っていた。

「うわ、緊張してきた」と省吾が言った。僕もだけど口には出さなかった。他の皆も口に出さなかった。それが緊張感をさらに掻き立たせる。

 陸上競技場を離れていくと民家がポツポツと見えてきた。

 昔ながらの瓦屋根の家もちらほら見かけた。

 コンビニはない。小さな売店はあった。

 大きな建物と言えば役場くらいだった。それでも二階建ての豪邸ぐらいの大きさだ。

 見た感じ、省吾の集落に似ていた。

 たまにカフェが見えたけど、畑と緑、たまにお家。

 ずっとそんな感じ。

「・・・ここが二区の中継所だな」

 盛男さんの声が聞こえた。視界にはかなり広い駐車場のあるコンビニがポツンとあった。周りは畑しかない。

 車内に顔を戻した。

 やっぱり長かった。一区は10㎞。眺めるだけでも疲れを感じた。こんな距離をレースで走るなんて絶対に無理だ。

 一息吐いた時だった。

 盛男さんと目が合った。盛男さんの目が光ったように見えた。

「哲哉、二区はお前だからな」

 微笑みを残して盛男さんは前を向いた。皆の視線を感じたけど、どんな顔をしていいか分からないから、とりあえず窓の外に顔を出した。

 心臓がゆっくりと騒いでいた。

 二区は3㎞。建物はなかった。海が近いはずだけど雑木林が邪魔で見えなかった。

 僕が走るコースは農地だった。畑が多い。あとは雑木林。

 静かだった。人がいない。すれ違う車もない寂しい所だった。唯一出会えたのは、路肩に寄せられた無人のトラクターぐらいだった。そんな静かな道を独りで黙々と走っていくのを想像すると不安しかない。

 途中、リゾートホテルが見えると、景色が急に開けた。

 目が覚めた気分になった。ホテルの向こう側はオーシャンビューだった。道路は広くなって、広々とした敷地に大きな真新しい建物が続いていく。

 道は上を向いていた。長かった。急峻じゃないけど長い上り坂だった。さっきと違って賑やかな通りだった。

 たくさんの人が見える。すぐに観光客だと分かった。皆が楽しそうに歩いている。観光バスも走っている。皆が向かう先には警備員がいた。忙しそうに立ち回る警備員が誘導する先に看板がある。

 そこは水族館だった。テレビにもよく取り上げられる有名な水族館だ。

 水族館に気づいた皆が騒ぎ出した。「行きたいなあ」と椿の声が聞こえて「俺、行った事ないんだよね」と新藤が言って「俺もない」と省吾が言うと「え?ないの?」と驚いた亮先輩が言って「かわいそう」と、本当に可哀想な人を見る目をしたキャプテンが言った。

「ねえ、盛男さん。優勝したら連れてってよ」

 新藤が盛男さんに向かって言った。皆の切実な眼差しが盛男さんに向けられた。

 盛男さんが振り向く。

「いいぞ。優勝したら好きなだけ遊ばせてやる」

 一斉に喝采の声が上がった。

「おおっ、ふとっぱらあ」
「かっこいいい」
「惚れそう」
「お、だったらデートするか?」
「嘘です」
「俺も嘘だ。誰が男と行くか」
「俺だって」
「何だその絡み」

 笑い声が上がる。皆、楽しそうだった。

 どうしてこんなにも騒げるんだろうと僕は思う。ちょっと静かにして欲しかった。言いたかったけど、ここは抑えた。

 今は、はしゃいでいる場合じゃない。今すべきなのは自分の走るコースをしっかりと目に焼き付ける事。まだ決まってもいないものにそんなにはしゃぐなんて、能天気もいいとこだ。

 僕はそんな事を思いながらコースをガン見した。

 上り坂はまだ続いている。上を向き続ける道路に比例して、僕の不安もどんどん上昇していく。水族館を過ぎても上り坂は続いた。一体この上り坂はいつまで続くんだろう。

「ここから三区だな」

 車内に残った耳が盛男さんの声を拾った。はしゃいでいた皆が急に静かになった。

 やっと思い出したみたいだ。そうだよ。まだ僕達は優勝してもいないし、走ってもいないし、コースを見てもいないし、メンバー発表すらも終わっていない。

「ジンベエザメもいいけどさ、でっかいホオジロザメも置いてほしいよね」

 新藤が呑気に言った。

「それいいね。餌付けとか迫力ありそう」

 椿が話に乗っかる。そこから二人の話は映画のジョーズになって、そこからゴーストシャークだとかメカシャークだとか、どんな設定だよと突っ込みたくなる映画の話になっている。気になるけど窓から顔を出して声を拾わないようにした。

 第二中継所は、水族館を過ぎた所の駐車場だった。上り坂はまだ続いている。

「良豪、ここからはアップダウンの激しいコースだからな」

 顔を車内に入れた。返事をしたキャプテンの声がかなり響いて聞こえた。

 心臓がざわざわしている。

 一区が新藤で、三区がキャプテン。

 僕は二人の大黒柱に挟まれた。つまり僕は、エースからもう一人のエースへの橋渡し役だ。

 三区は二番目に長い8.1075㎞。

 この三区間でコースの半分を走る。

 前半で新藤とキャプテンを配置したって事は、前半が大きな鍵となるのは間違いなかった。僕はとんでもない区間を任されてしまった。

 その後は外を眺めていたけど、景色は全然入ってこなかった。ただ頭を外に晒しているだけだった。心臓が揺さぶられているような感じだった。ずっと落ち着かなかった。そんな中で盛男さんのサプライズ的な発表は続いた。

 三区のキャプテンは、賑やかな港町にある折り返し地点で四区へタスキを渡す。

 四区からは復路。

 新藤と僕とキャプテンで繋ぐコースを、残りの四人で繋いでいく。

 まず、四区を任されたのは大志先輩。

 四区は三番目に長い距離で8.0875㎞。キャプテンが走ったコースの殆どそのまま逆走する。

 その次の五区は3㎞。この区間を任されたのは賢人だった。

 六区は5㎞。任されたのは省吾で、そして、アンカーの七区5㎞は亮先輩だった。

 全長42.195㎞。フルマラソンの距離を七人で繋いでいく。

 ゴールの陸上競技場に戻るともうぐったりだった。ただバスに乗ってコースを眺めていただけなのに、スプラッター映画を立て続けに二本も観た後みたいに疲れていた。

 その後、バスを降りて各自でコースを試走した。僕と賢人は往路と復路で同じコースを走るので、一緒にジョグしながらコースを下見した。

 見て思った通りだった。後半の長い上り坂はジョグでもかなりきつかった。隣の賢人が「逆の区間で良かった」と他人事に言ったからムッとしてしまった。

 他に風も気になった。水族館前の坂道は海沿いで、海風がよく吹いていた。上り坂の向かい風は一番やめてほしいパターンだ。それと気温も恐い。今は11月だけど、ここは11月でも30度を超える日がたまにある。今日は秋らしい気温だった。海風もあって寒いぐらいだった。今日みたいな気温で海が穏やかでありますように。

 コースには僕らの他にも試走をしている人達がいた。このコースを走っているという事は僕の敵という事だ。

 みんな速そうだった。坊主頭が多くて、逞しい身体をしている。それらしい人を見る度に僕の心臓は騒いだ。

 本島に着いてからあまりリラックスできていなかった。溜息がよく出てきた。ずっと緊張しっぱなしだった。それでコースを走って、さらに敵の姿まで見たので緊張はますます膨らんでいく。賢人と話していても上の空だった。明日が楽しみだな、と言う楽天な賢人が羨ましくてしょうがない。

 コースの試走が終わると、僕達は早めに宿舎に戻った。明日に備えて早めに就寝する為だ。早めの晩ご飯を済ませて入浴も早めに済ませた。

 就寝前にミーティングをした。

「明日は楽しく走ろうな。笑顔でのタスキの受け渡しを忘れるなよ」

 皆が返事をする。

「言いたい事はそれだけ。じゃあ、おやすみ」

 拍子抜けする僕らを他所に、二人の先生は立ち上がった。

「あまり夜更かしするなよ」

 そう言った盛男さんはトランプを置いて出て行った。

 まだ寝るには時間があったので僕らはトランプをする事にした。

 意外にも盛り上がった。時間が経つのが早かった。キャプテンの二十回目の負けが決定した所で「そろそろ寝ないと明日に響くよ」との大志先輩の一言でトランプは終わった。

 椿が部屋を出ると、布団を敷いて電気を消した。

 最初はお決まりのようにキャプテンと亮先輩がふざけ合っていたけど、しばらくすると静かになる。すぐそこで寝息が聞こえ始めてくると、次々と寝息は重なっていく。

 ピー、ピー、と変な寝息があっちで聞こえて、隣の省吾からは歯軋りが聞こえてきた。誰かが寝返りを打った。寝言も聞こえた。


 ・・・・・・・・ぜんっぜんっ、寝れなかった。目を閉じても一向に睡魔がやってこない。


 寝返りを打って目を閉じる。ピー、ピー、とリズム良く聞こえる寝息が気になってしょうがない。また誰かが寝返りを打った。

 仰向けになって目を開けた。この方が不思議と楽に感じた。これで眠気を待つ事にした。

 真っ暗だった。この黒い天井が外の光で照らされている頃には、僕らは沿道の声援を受けて走っている。その光景が頭に浮かぶと、心臓の鼓動が小刻みに身体を揺らした。

 いよいよだ・・・・。

 3㎞の距離は中学で何度も走った距離だ。あの頃よりはスピードもスタミナも格段に付いている。きっと、あっという間に終わる。僕に比べたら新藤はその三倍以上の距離を走ってくる。それを考えただけでも彼の使命がとてつもなく重いものに感じた。それなのに、当の本人からは気持ちよさそうな寝息が聞こえる。羨ましかった。その強い心臓が僕にもあったらといつも思う。そしたら今頃は一位で走っている夢を見ていたかもしれない。

 色んな光景が浮かんできた。


 後ろが見えないほどダントツで走ってくる新藤。

 笑顔を向けてタスキを差し出す新藤。

 勢いよく走る僕。

 振り返るとすぐ後ろに迫るたくさんの選手達。

 僕を追い抜いていく選手達。

 離れていく背中がどんどん小さくなって・・・・・・


 頭をブンブン振った。

 嫌なイメージしか湧いてこなかった。

 僕の区間はたった3㎞。短い距離だからすぐに終わる。でも、短い距離だからこそ、この区間にはスピードランナーが集まってくる。他校からは800mや1500mでインターハイに出場した選手もいた。

 調べなければいいのに、選手リストを見るとついスマホに手が伸びていた。

 とにかく不安でしょうがない。

 僕はスピードがある方じゃない。ちょうどチームの平均ぐらい。かと言ってスタミナはチームでビリ。二区の選手の中ではどのくらいかは分からないけど、上位の速さではない事は確かだ。それは記録でも分かっている。いくら中学の自分より格段に速くなったと言っても、それでやっと県内の高校一年レベル。

 僕が二区なのはこうだと思う。

 チームで一番遅い僕は前半に置いてさっさと消化させておきたい。なるべく痛手にならないように一番距離の短い区間に配置しておく。もし追いつかれたとしても、三区のキャプテンなら十分に挽回できる。

 自分でそんな考えが浮かぶのが悔しい所だけど、正直、僕はチームの完全なお荷物で、一番の不安要素だ。

 新藤は間違いなく先頭で来る。その次の僕がどれくらい追いつかれないかで勝負は決まると思う。新藤がダントツで来て、何とか僕を乗り切って、次のキャプテンで差をさらに広げて、後はその貯金を守り抜く。先行逃げ切り作戦だ。

 前半に大黒柱の二人を配置したって事は、前半でどれだけの貯金があるのかがポイントになる。

 その前半の三区間に、僕がいる。重要なポジションだった。僕の頑張り次第で流れが変わる事は間違いない。

 コースの試走をした後、盛男さんからもアドバイスをもらっていた。

「後半の上り坂までは力を温存しておけよ。我慢だからな。あと、絶対に後ろだけは気にするなよ。自分の走りに集中していけば絶対に大丈夫だからな。次は良豪だから、順位とかは気にしないで気楽に走っていいぞ」

 溜息が出た。

 言葉の端々で分かる。新藤の貯金を僕が食い潰すだろうと。

 もう一回溜息を出してから横を向いた。誰かの鼾が聞こえる。気持ちよさそうな鼾だった。

 また溜息が出た。胸の中に重い空気があるような感じがした。何度も何度も吐き出してもこれがずっとある。もどかしかった。もう嫌だった。


 何でこんな思いをしてまで走らないといけないんだろう。


 頭にパッとそんな気持ちが現れた。すると、今度はパッと正樹の顔が現れた。鋭い目つきをしたあの時の表情は今でも鮮明に瞼の裏に残っていた。あれから、ふとした時に正樹に言われた事をよく考えるようになった。

 正樹はこう言っていた。「そんな恥ずかしい姿を見せるんなら出ない方がマシ」と。

 確かに僕らは全国のチームに比べると遥かに劣っている。全国大会に出た所で僕らが勝てない事は分かっている。一位になるより、最下位になる可能性の方が高い。悔しい気持ちになるのは間違いない。それを正樹は恥ずかしいと言って、惨めだとも言った。

 皆がそう思ってない事は分かる。

 でも中には正樹みたいに思っている人もいる。

 確かに同志の僕でも県代表のチームが都大路で走ってるのを見ていつもこう思っている。

 あーあ、今年もダメかと。

 応援の気持ちはある。だけど、気づくと先頭争いに興味が引かれて、ついで感覚で順位だけ確認している。本音を言ってしまうと興味は無くなっている。

 もし、仮に僕らが県代表で都大路を走ったとしても、今までの県代表のチームのような印象は絶対に受けると思う。

 新藤やキャプテンがいても、全国の強者達に対抗できるのはこの二人ぐらいだ。亮先輩と大志先輩でも全国に比べたらまだまだで、僕ら一年生になると足下にも及ばない。

 もし、新藤が先頭でタスキを渡したとしても、次の誰かで間違いなく追いつかれるか追い抜かれる。その次のキャプテンが粘ったとしても、そこからはズルズルと後退していく。それを見ている人達はこう思う。

 あーあ、今年もダメだったなと。

 駅伝は奇跡とは無縁な競技だと思う。一人一人の地道に作り上げた走りが結果になる。

 一発逆転のサヨナラ満塁ホームランはないし、カウンターアタックもない。流れが良かったとしても、それで皆の走りが一分以上も速くなるわけがない。あったとしてもドーピングとか近道を疑われる。それでいて失速とかリタイアとかまさかの展開がある。不調で崩れ出しても選手交代はできないし、タイムアウトも取れない。

 それを考えるとリスクが高くて恐ろしいスポーツだとも思う。

 もし一人がリタイアしたらチームがリタイア。記録はなし。

 それを考えると区間を任される責任はめちゃくちゃ重い・・・・・。


 どうしよう。急激に逃げ出したくなった。

 走りたくない。明日を迎えたくない。

 どうして前日に現地入りするんだよと思う。

 もっと下見がしたかった。もっと入念にコースを見てたらこんなに不安になっていなかったはずで、今頃はぐっすり寝れてたはずだ。学校側はもうちょっとそこらへん気を配ってほしい。お陰で睡眠不足はもう決定的。体調は絶対に良くない。

 部員があと一人いたら交代できたのに・・・・。交代がいないのが辛い。逃げたい。でも逃げられない。何でもう一人いないんだ。

 目を開けた。

 視界がうっすらと明るかった。真っ黒だったはずの天井は木目調の模様を浮かべていた。隣の省吾が口を開けて寝ているのが見える。水色のカーテンが明るく照らされている。

 びっくりして起き上がった。

 辺りを見渡す。どのカーテンも日差しに照らされていた。


 いつの間にか朝になっていた・・・・。


 でも、それはおかしい。寝られなかった割に時間はあっという間に過ぎた気がした・・・・と、言う事は、今までは夢だった?

 もしそうだとしたら何て悪夢だよと思った。

 しばらく考えてもはっきりしなかった。


 でも、これだけは分かっている。


 起こした頭も瞼も途轍もなく重かった。身体は硬くて、関節がギシギシ軋んでいるような感じがした。


 間違いない。


 今日の僕は絶不調だ。


              つづき

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https://note.com/takigawasei/n/nae4528fadd88


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