30年前の今日、1993年8月17日。JCSAT(伊藤忠商事、三井物産、ヒューズコミュニケーションズ系)とSAJAC(住友商事、日商岩井系)が合併し、JSATが誕生した。

30年前の今日、1993年8月17日。JCSAT(伊藤忠商事、三井物産、ヒューズコミュニケーションズ系)とSAJAC(住友商事、日商岩井系)が合併し、JSATが誕生した。自分は4商社とJCSATの合併事務局SCの一員として、文字通り昼夜を問わず働いた。

確か合併事務局は1993年2月か3月頃にスタートしたが、4商社とJCSATの各委員会メンバーとして集められて委員となった、のべ50人以上の総意は「8月17日には間に合いっこない」「スケジュールの見直しが最初の仕事」。

この意見を伊藤忠商事M部長が押し切った。
「間に合わせるんです!競争に勝つ為、デジタル衛星放送時代を創る為に!」

それからと言うもの、僕の残業は月200時間。毎日、5時間残業して22日で約110時間、土日に朝10時から夜22時まで働いて月に8日(か9日)ほど土日があって、約96時間。
ほぼ会社に住んでいる状況。労働基準法なんて一回も言われなかった。良かったのは平社員だったので、月給が約3倍になったことだ。

赤坂のキャピトル東急ホテルに数か月も会議のために部屋を借りて、午前2時から開始の会議もあった。
会議の中身は物凄いもので墓場まで持って行くようなキワドイ事も沢山あった。

4商社の本部長や部長クラスの「議論」はもう「議論」をはるかに超えて、もはや「怪獣大戦争」の様相を呈していたが、怪獣たちの「議論」が終わった直後にその怪獣たちの「議論」というか戦いの「軌跡」を議事録にまとめるのが自分の役割だった。夜中に「キャノワード」というワープロで打ち上げ、M部長の承認を得てから、4商社とJCSATに「ファクス」するのが日課だ。一旦、自宅に寝に帰る。
翌朝から当然、それぞれの会社から「ここをこう修正して」「こっちは、こう修正すべき」「A社の修正は不正確なので元に戻せ」「いっそ、一文を削除しろ」などというやり取りを踏まえて、全社の印鑑を貰って、一日の前半が終わる。夕方までかかる場合もある。
そして次の会議が夕刻か夜か深夜に始まる。
良く誰も入院したり、タヒんだりしなかったものだ。

そして、丁度その2年後の1995年8月17日、JCSAT-3の打ち上げ成功と共に多チャンネル時代が始まる。

パーフェクTV!の放送が1996年6月30日に開始し、その2年後にはJSkyBとの合併があるのだが、それはまた、別のお話。

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