デザイナーの可能性を模索し続けてきた、ほぼ11年をふり返る〜第4章〜
約11年間のデザイナー活動をふり返る連載も4回目まできました。ここまでは、ヤフーでデザインの現場を知り、試行錯誤しながらUXデザインを実践し、社内でUXの推進活動をしていた話をふり返ってきました。
第1章 デザインの現場を知る
第2章 UXデザインの広がりとともに
第3章 UXデザインの継続に向けて
第4章 デザイン研究へのチャレンジ
第5章 デザインの実践と研究を模索
今回は視点がガラッと変わります。おそらく普通にデザインの仕事をしていたのでは触れることがないであろう「デザイン研究」に出会ってからの話をふり返っていきます。
デザイン研究へのチャレンジ
私がデザイン研究に出会ったのは、社会人3年目の2011年でした。この頃にやっていた研究プロジェクトの話(詳しくは第1章を参照)を学会で発表してみないか?と須永先生に促され、2014年には日本デザイン学会でポスター発表したり、作品集に投稿したりと、論文を書くことにもチャレンジしました。(論文と言えるものだったのかは置いておき。。)
記念すべき人生最初の学会ポスター発表↓
日本デザイン学会の作品集に投稿したもの
way:自分で答えを見つけるおでかけ検索空間を提供するサービス
初めて論文を書いてみて、自分たちが実践した活動やそこで創り出したデザインを言語化することは大事だなと率直に感じました。やはり、デザインは言語化しないとなかなかそのデザイン活動、生み出したデザインの意味は、他者に伝わりません。それ以前に、自分自身がやってきたこと、創り出したものの意味をしっかり自分の言葉で言えなければ自分のものにできないと実感しました。
この頃は、ちょうどデザイン思考やUXデザインが業界的に流行ってきてヤフー社内でも推進活動を始めた時期でもあり、しっかりデザインの意味を言語化する必要性を私自身がひしひしと感じていた時期でもありました。その時期に普段の仕事とは違う頭を使う研究へのチャレンジは、徐々に私にとって次の目標の1つになっていきました。
新卒1、2年目のやりたいデザインがいまいちできないモヤモヤ期にも、学部時代にお世話になった先生から研究会のお誘いをいただいて参加することがありました。そこでは「やっぱりこういう考え方大事だよな~」と学部時代に学んできたことを思い出し、また明日から頑張る活力をもらっていました。そこから徐々にやりたかったデザインができるようになってくると、今度は「UXデザインのような体験を軸としたやり方がなぜ良いのか?」をもっと言えるようになるために研究的なアプローチを活用したいと思うようになりました。UXだけでなく、デザインはやってみなければ、うまくいくかわからない。どうなるかわからない。だからこそ、やってみて結果を理解した上で、またやってみる。これを繰り返していくもの。根拠をロジカルに示すのが難しいとしても、経験から言えることはしっかり語って伝えていく必要があると思い、デザイン研究にも取り組みたいと思うようになりました。
デザインの現場で役立つ研究を実践するため大学院へ
ヤフーでUXデザインの推進活動をしながらも、企業の中で役立つデザイン研究のあり方を模索していた2015年、多摩美から東京芸大に移っていた須永先生から久しぶりに連絡がありました。「次年度、須永研で院生を募集するので来ませんか?働きながらやれるとよいが、どうかな?」というお誘いでした。まだ論文がうまく書けない、デザインの意味の言語化が不十分と感じていたので、やってみたい!と思いました。でも、働きながら大学院に通うなんてことができるのか??博士課程なら会社の支援制度があるけれど、修士はそういう制度もないし..と思いつつ、ダメもとで上司に相談してみたら「いいんじゃないの?」と意外とあっさり言われました。当時の上司が寛容な方で本当に良かったと今更ながら思います。当時私はUXデザインの黒帯(詳しくは第2章参照)もやっていたので、そういう意味で学びへの投資も理解を得やすかったのかもしれませんが。
デザインの背景にある理論に触れた大学院1年目
無事に院試を終え、2016年の春に東京藝大デザイン科修士の大学院生になりました。1年目の須永研では、度々読書会をやりました。イヴァン・イリイチの「コンヴィヴィアリティのための道具」、ケネス・J・ガーゲンの「あなたへの社会構成主義」、ロイス・ホルツマンの「遊ぶヴィゴツキー」などが最初の頃に読んだ本でした。いずれも直接デザインの本ではないけれど、デザイン活動の背景にある考え方に通じるもので、こういう理論を参照しながらデザインの意味を言うことができることは、私にとって新鮮な学びになっていました。とはいえ仕事をしながら学んでいると、1つ1つの学びをふり返る時間はなかなか取れない日々で、学びを自分のものにできていない感覚のまま次のインプットがどんどん舞い込んでくるような状態でした。多忙のためか風邪をひくことも多く、体力的に無理ない働き方をしなければ..と思わされた1年目でした。
読書会のまとめを冊子にして見返しやすいようにしたりしていた↓
デザイン実践を題材とした研究テーマを模索
大学院1年目の後半は自分の修士研究のテーマを模索した期間でした。会社の仕事で実践したことを研究題材にしたかったので、仕事の中でやりやすい形も考慮しなければなりませんでした。最初はこれから新しく始まる案件で独自の手法を導入してみようと思い、社内のデザイナーに声をかけて相談しましたが、なかなか都合よく関われそうなプロジェクトは見つかりませんでした。ちょうどその頃、社内のUXの成功事例についてインタビュー記事を作って社内で公開しようという話がありました。成功事例といっても、ただ結果だけ共有されても真似しようがないし、成功事例の共有はどういう形でやったら意味があるんだろうか?と考えていました。そこで、取り上げた事例の担当デザイナーと話したときに1つ発見がありました。そのデザイナーは、事例についてインタビューを受けて、そのプロジェクトを思い返して語ったことで、自分自身がどの場面でどんな工夫をしたからうまくいったのかが分かり、最近担当している案件でそのやり方を取り入れたと話していました。私はその話を聞いて、デザイナーをはじめ、ものづくりに関わる人たちにとって大事なことはこれじゃないか!?と直感的に感じました。そこで、「チームでプロジェクトのふり返りをすることでチームが持つ実践知に気づき、それがチームづくりにも役立てられないか?」と仮説を立て、研究テーマに「デザインリフレクション」と名前をつけて研究に取り組みはじめました。
ひたすら実践を繰り返した大学院2年目
研究テーマが決まってからは、まず仮説ベースでふり返りの方法をつくり、社内のさまざまなチームでふり返りを実施しました。私がUXデザインの導入サポートで入っていたプロジェクトチームに提案して定期的にふり返りを実施したりしていました。ふり返りを実施する度に、やった結果を分析してやり方を見直すことを半年ほど繰り返していきました。そして、ふり返りのやり方を4、5回変えていった段階でようやく効果を実感できる結果が得られるようになってきたのが、大学院2年目の冬になろうとする頃でした。
約半年に渡ってふり返りの方法を試行錯誤していた↓
公開できない&論文書くまで至らず大学院3年目突入
東京藝大は修了するためには、卒業修了制作展で作品を展示しなければなりません。ですが、仕事で実際に動いているプロジェクトを題材に研究を進めていた私は思わぬ壁にぶち当たりました。題材にしていたチームが開発しているプロダクトが卒業修了制作展までに公開されないため展示に出せないのでは!?という疑惑です。いくつかのチームで実践していたので、公開できそうなプロジェクトの話を公開できる範囲でまとめるという選択肢がなかったわけではありませんでした。でも、もともと論文を書けるようになりたいと思って大学院に来たのに、2年目の秋の段階でまだ論文をまともに書いていなかったので、それなら一層のこと1年伸ばしてじっくり論文を書いた方が長期的にも自分のためになると思い、修了を1年先延ばしにすることにしました。(もちろん会社の上司の了承は得ました。ちょっと面倒だったけれど。)
修論のために参照した主な本たち↓
3年目は2年目に実践したことを改めて分析し直したり、関係する理論を参照しながら論文にまとめていく作業をひたすら進めました。とはいえ、仕事もわりと忙しかったので、3年目の後半は平日の夜や土日のプライベートの使える時間で、いかに修了制作と修論を終わらせるか、細かく計画を立てながら粛々と進めていました。
学内での修了制作審査会では、デザイン科の先生方に私の研究をどこまで理解していただけたかな…という感じで終わってしまいました。でも、卒業修了制作展の時は芸大らしからぬ研究発表の展示をたくさんの人たちが足を止めて見てくれて、情報交換もたくさんできました。様々なフィールドで「チームづくりのためのふり返り」は使える可能性があるんだということを実感できました。
ふり返り用のツールキットと研究成果(ポスターと修論)を東京藝大の卒業修了制作展示会(2019年)で展示↓
また、卒展ではもう1つ発見がありました。それは、展示を見に来てくれた会社のデザイナーが、「自分も何か研究をしてみたい!」という感想をもってくれたことです。その後実際に研究を始めたわけではないですが、私が展示した研究成果を見て、デザイナーが自分も研究をしたくなる効果があるとは驚きでした。同時に、デザイン研究の展示には、デザイナーに「自分の実践を省察する研究をしてみたい!」と思わせる力がある可能性を見いだせたことも印象的でした。
大学院の学びは仕事でも自然と活かされた
論文を書けるようになりたいと思って飛び込んだ大学院でしたが、大学院で学んだことは結局何だったのか?思い返してみると、「一つ一つの言葉の意味をしっかり考え、言葉を選ぶようになった」これが仕事にも直結する一番の学びでした。在学中でも仕事の中で自然と意識するようになっていました。過去に自分が書いた論文やブログ記事を見ると、それまでの自分がいかに言葉を安易に使っていたか、思い知らされました。。
大学と会社との言語・文化の違い
大学院での学びは、会社での仕事においても大事だと感じる学びが多かったけれど、大学で議論した話をそのまま会社で話したところで伝わらないと感じることが多々ありました。なので、会社で伝わる言葉に翻訳してから共有しようと思って結局時間が取れずに共有し損ねた話もたくさんあります。これはやり切れなかった後悔もあります。大学と会社はなぜここまで使う言語が違うんだろうか?なぜこんなに文化が違うんだろう..?など、もどかしい気持ちで大学院3年間過ごしてきました。
須永先生の言うことはとても大事だというのはわかります。でも、それをそのまま会社で実践するのは現実的には難しいことも少なくありません。だから、言われたことも全部鵜呑みにはできないと思って聞いていました。須永先生はやっぱり大学の先生で、今の企業の内情を細かく知ってるわけでないので、会社の中で実践する方法は内情がわかる私が考えて適用していかないといけない。
「新たな活動を生み出そうとするなら、そこにすでにある営みのなかに、その活動が埋め込まれるようにデザインすることが重要。」
これは、須永先生の著書「デザインの知恵」の中にも書かれている言葉です。私が大学院時代に自分のリフレクション研究を実践するにあたって大事にしていたのもここでした。須永先生が言う理想100%を企業で実践するのは難しい。なので、はじめは理想の50%でもいいから今の社内業務に適用できるやり方を考えて取り入れていこうと思って取り組んでいました。
また、私は会社以外で複数のデザイン系のコミュニティ、学会の研究会活動などに参加していましたが、コミュニティによって大事にしている考え方に少しずつ違いがあることもわかっていました。ただ、さまざまな価値観に触れることで自分が特定の考えに固執せず、多角的な視点でものごとを捉えるように日々気をつけていられるので、さまざまなコミュニティに関わっていてよかったと思っています。会社で仕事をするだけの毎日だとそれしかないから会社の中の価値観が当たり前になってしまいます。それは怖いと改めて感じた大学院時代でした。
ものづくりの現場で役立つ研究をやりきった
大学院を無事修了することができて、自分がやりたいと思っていた企業内のデザインの現場をフィールドとして、そこで役立つデザイン研究をするという目標を達成できたことが一番の達成感でした。社会人になってから大学の先生たちが多い研究会に参加する度に、デザイン研究はどうも企業のものづくりの現場から遠い感覚があったので、「研究=大学でやるもの」というイメージを変えたい!というひそかな野望を持っていました。そのための第一歩がようやく踏み出せたかな、という感覚でした。
とはいえ、まだ「研究ができる!論文がかける!」と自信をもっていえる段階までは全く至らず、とりあえずやってみたレベルだったので、大学院修了後この先どうやって研究を続けていこうかと模索していくことになりました。
第4章はここまで。
いよいよ次回でデザイナー11年間のふり返りも完結です。最後となる第5章は、今取り組んでいること、これから取り組んでいきたいことにも触れながら、ふり返りを締めたいと思います。
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