見出し画像

チームのふり返りを「KPT」から「KMT」に変えてみてわかったこと

こんにちは。株式会社MIMIGURIで、リフレクションやナレッジマネジメントの実践&研究をしている瀧です。今回は、私が最近チームでやっている「KMT(Keep/Moyamoya/Try)」というふり返りのやり方、これに変えてみた背景を紹介します。(ちなみに「KMT」の読み方は「ケモティー」です。)


チームで行うふり返りといえば、よく使われるものにKPT(Keep、Problem、Try)がありますが、このやり方を少し変えてみた話です。

KPTは、簡単に言うと下記の3つの項目を出していくふり返り手法です。

  • Keep:よかったこと、今後も続けたいこと

  • Problem:よくなかったこと、改善すべき課題

  • Try:次にチャレンジすること(具体的なアクション)

詳しいKPTのやり方はここでは触れないので、知りたい方は検索するなどして調べてみてください。

私は、KPTをチームで行う週次のふり返りなどでよく使っていました。ですが、最近この振り返りのやり方を少し変えてみてなかなかいい感触をつかめてきたので、「KPT(ケプト)」に代わる「KMT(ケモティー)」というふり返りのやり方を紹介します。ふり返りのやり方をふり返りながら。

KMT(ケモティー)とは

最初に言ってしまうと、KMTとはKPTの「P(Problem)」を「M(Moyamoya)」に変えたものです。「Moyamoya」は、文字通りもやもやすることを開き合うもので、まだ何が根本的な課題か特定できないことでもいいので、なんだか「もやもや」する事柄を一人ひとりが開きあっていきます。

  • Keep:よかったこと、今後も続けたいこと

  • Moyamoya:今「もやもや」していること(何が問題なのか?今自分がどうすればいいのか?まではよくわかないことなど、なんとなく気になっていること)

  • Try:次にやってみたいこと

KMTを使うときは、Keep,Moyamoya,Tryの3項目を個人で書き出した上で、一人ひとり書いたことを共有し、共有した内容についてコメントしあったり、気になることがあれば質問しあったりして対話をしています。

「もやもや」という言葉には、「心にわだかまりがあってすっきりしないさま」という意味があり、もやもやする心情を正確に言葉で言い表すのは難しいものですが、自分が持ちうる語彙力の範囲で語ってみればよいものと捉えて実践しています。

「もやもや」の試行錯誤しながらさまざまなことを感じ取り吟味していく態度は、リフレクション論でよく参照されるドナルド・ショーンの「省察的実践」の考え方に通じる部分もありそうです。

省察的実践家とは困難も伴う現場の状況の中で試行錯誤しながら、さまざまなことを感じ取り、吟味し、判断していくことで学んでいく実践者。「これで本当にいいのか?」「もっとよくできないのか?」」」
(参考)省察的実践家とは

「省察的実践」については、以前CULTIBASEのイベントでも少し話したことがあるので、参考に貼っておきます。

ここからは、「Problem」を「Moyamoya」に変えた理由と変えてよかったこと、実践するときの注意点について紹介します。

ふり返り手法KPTに対する"もやもや"

KPTは、企業でもよく使われるふり返り手法で、私もアジャイル開発に触れるようになった10年ほど前からKPTを度々やっていたくらいで、かなり慣れ親しんでいるふり返り手法です。ただ、うまくいかない時もあり、このやり方にも課題があると感じていました。例えば、Problemで出てきた課題に対して、Tryを出してみるものの、「それってどうやるの?無理ゲーでは・・・」と感じてしまうようなものになってしまい、実際に課題を解消するのが困難になってしまうこともあります。このような経験が蓄積されて、KPTをやること、ふり返りが自体が嫌いになってしまう人も実際にいて、リフレクションにさまざまな可能性を感じて日々実践&研究している私としてはとても悲しいな…と思っていました。

私がKPTのやり方に対して課題感を持っていたのは、特に「Problem」です。
「Problem」は文字通り課題を出す項目ですが、KPTの「Problem」で出された内容が、必ずしもチームにとって今解決すべき本質的な課題とは限りません。根本的な課題は、別のところにあることも少なくないはずです。でも、「Problem」に出されたものは、深く吟味されることなく"チームにとって今解決すべき課題である"と早急に課題判定をしてしまいがちではないでしょうか。

このような"もやもや"を感じるようになってきてから、私はチームで行うふり返りをチームの一人ひとりの視点でどこが課題と見えているのか、景色共有をする活動という捉え方をして、チームづくりの観点からもお互いの行動の背景にある思考や価値観を知る機会にすることを大事にしたいと考えるようになりました。何を課題と捉えるかは、物事の捉え方によって異なってくるし、Problemで出された課題がチームにとって根本的に重要な課題の本質をついているか、吟味が必要です。

チームのふり返りをKPTからKMTに変えた背景

KPTからKMTに変えた背景と、変えてよかったことについて、実際の私の経験をもとに紹介します。

私は、MIMIGURIの研究開発本部の中で「ナレッジマネジメント」「知識創造」の領域を研究するチーム(ナレッジマネジメント研究室)に所属しています。チームといっても今は、私の他にもう一人リサーチャーの西村歩さんと2人チームで、MIMIGURI社内のナレッジマネジメントを実践しながらその研究をしています。

このチームでは、アジャイル開発の手法であるスクラムを取り入れ、週次でふり返りをしています。最初は、KPTでふり返りをしていたのですが、続けていくうちに、お互いの視点で「今週よかったから続けたいと思うこと」「課題と感じていること」を開き合うことの重要性を感じるようになってきました。チームとして目指している目標があり、そのためにタスクを決めて日々取り組んでいたものの、お互いの活動やアウトプットを見ているだけではわからないことが多くあると、ふり返りで出てくる内容を見て感じました。

例えば、「自分は、研究者としてこれでいいのか?」など、研究者としてのアイデンティティのゆらぎに関するもやもやが度々開かれていました。

このように、チームメンバーが「Problem」に出す内容で、特にその人の活動を見ている中ではわからない課題感のようなものが出てきたときは、ふり返りの場で少し深掘りして相手の心情を聞き、「今どのような景色感にいる状態だろう?」「もやもや状態から次の一歩を踏み出すために、自分にできることは何だろう?」「このもやもやを一緒に探索するなら、どんな問いを立てよう?」など、まずは二人称的に相手の立場でもやもやを受け止め、一緒に相手のもやもやと向き合うことを意識的に心がけるようになりました。

(これは、2人チームというのもあり、チームのふり返りと言いつつ1on1のような時間だからこそやりやすいという側面もあるかもしれません。)

もやもやを開いて、お互いの現状に対する景色共有をすることが一緒にチームとして目指す目標を持って活動する上で大事だなと改めて思ったのです。そんな経緯があり、「KPT」を「KMT」に変更してやることにしました。

チーム目標が決まっていて、そのためにやる活動の進行が一見順調だったとしても、一人ひとりがちょっとしたことでもなんとなくもやもやを抱えたまま進めていってしまうと、「本当にこれやる意味あるんだっけ?何のためにやっているんだっけ?」など、やることの意義がわからなくなり、モチベーションが低下したり、担当業務自体が進められなくなってしまうなど、組織にとっても個人にとっても大きな問題にぶつかってしまいかねません。

私のいるチームでは、「今こういうもやもやを抱えていて、中長期的に向き合っていこうとしている」という状態をチーム内で互いに分かちあいながら日々の活動に取り組み、またKMTでリフレクションし、もやもやの状態の変化を分かちあっています。

ふり返りをKMTに変えてよかったこと

このKMTによるふり返りに変えたことで、チームメンバー同士がお互いの仕事に取り組む上で大事にしたい価値観を分かちあった上で、チームの業務に一緒に取り組むことができるようになった実感があります。実際に、以前と比べてチームメンバーが物事をどのように捉える人物なのか、解像度が大きく上がった実感があります。それも、週次のふり返りの中でお互いの現状の景色交換をしあい、うまくいったと思うことも、もやもやしていることも分かちあうことが継続的にできていたことが大きかったと思います。

もやもやを開きあうときの注意点

うまく言葉にならなくても、自分の持ちうる語彙力で語ってみる

もやもやを開くこと上で私が大事にしているのは、うまく言語化できない状態でもいいので、今の自分の内面のわだかまりを今の自分が持ちうる言葉で語ってみることです。他者との対話を通じて、もやもやの正体を一緒に探っていくイメージです。

課題解決を急ぎすぎない、でもできそうなミニチャレンジは考えてみる

うまく言葉にできないので、すぐに課題の根本原因がわかり、課題解決のためにやるべきことがすぐに見えてくるとも限りません。でも、大事なのはすぐに解消方法がわからずとも、焦らずにそのもやもやと気長に付き合いながら、自分、そしてチームにできそうなちょっとしたミニチャレンジからやってみることだと思って私は取り組んでいます。ちょっとした仮説検証を回すつもりで、今の自分にできるミニチャレンジを考えてやってみることで、一歩ずつでも前へ進んでいる実感を得られます。

とはいえ、もやもやを他者へ開くのは、勇気がいる

もやもやを誰かに話すことは、チームの業務推進、チームづくり、個人の発達につながるよさがありそうということが見えてきました。とはいえ、自分のもやもやを他者へ開くのは、やや抵抗がある場合も少なくないと思います。チームでもやもやを開くのは抵抗がある場合は、一番身近で話しやすい人へもやもやを開いてみることから始めてみて、慣れてきたら範囲を徐々に広げていけばいいと思います。

もやもやを受け止める態度も重要

もやもやを開き合うことをより効果的に実践するには、開いたもやもやを受け止める側の態度もとても重要です。先に触れたように、もやもやした心情はうまく言葉にできていない状態で語られます。そのため、受け止める側は、「そのもやもやは、一体どういう心情なのか?」「なぜ、そのようなもやもやが生まれてしまっているのか?」など、一緒にもやもやの正体を探っていく探索的な態度が求められます。「それって、こういうことですよね。」など、早急に課題やその要因について結論を出してしまうと、本質的な課題解決にならない可能性もあるため、注意が必要です。

もやもやを受け止め合う関係性を組織の中でいかに構築していくか?については、個人的にも探究していきたいと思っている部分です。

ここまで読んだ人は、これって「ネガティブ・ケイパビリティ」の話だよね、と思われた人もいると思います。課題解決を急がないという意味で、考え方として通じる部分は大いにあると思います。実際に帚木蓬生さんの著書「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」の中にも下記のような記述があります。

〈問題〉を性急に措定せず、生半可な意味づけや知識でもって、未解決の問題にせっかちに帳尻を合わせず、宙ぶらりんの状態を持ちこたえるのがネガティブ・ケイパビリティ

帚木蓬生著「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」

問題が解決しない状態に"耐える"というと、何も考えず、何もせず、問題を放置していいとも捉えられかねないですが、今起きている状態がどういうことなのかを吟味し、試行錯誤し続ける、本質を探究していくことを楽しむ態度で臨みたい、私はそんな捉え方をしています。


最後に:「もやもや」を開き合うことに感じる可能性

私がMIMIGURIでナレッジマネジメントや知識創造領域の実践&研究に取り組んでいるなかで、組織内で「もやもや」を開き合うことに最近可能性を感じています。すぐに解決できない問題に向き合っていくことは、事業開発や組織開発などさまざまな組織活動を進めるときに求められる場面が多いのではないかと感じています。

組織内で、「もやもや」を開き合うことが起点となり、その「もやもや」が問いに変換されることで、メンバー間で共同で知の探究を進めていく関係性構築ができ、新たな知が生まれてくるという共同的な知の探索モデルを2023年の日本デザイン学会(第70回日本デザイン学会春季研究発表大会)でポスター発表し、研究を進めています。この話は、また別の機会に紹介したいと思います。

最近、知り合いのさまざまな企業の方々とお話をする中で、ナレッジマネジメントに関心を持っている人たちが増えてきている感覚があります。リフレクションやナレッジマネジメント、知識創造の実践や研究に関心のある方がいたら、ぜひ情報交換しましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?