
僕が自然と五感を大切にする理由(中編)畏怖の感情
前回、僕が自然と五感を大切にする理由の一つ目を、何冊かの書籍の助けを借りながら整理してみた。
今回はその続きである。
僕が自然と五感を大切にする理由の二つ目は、意識がリセットされ拡張され、変容のきっかけとなり得るから、である。
18世紀のアイルランド生まれの哲学者エドマンド・バークは『崇高の美の観念の起源』のなかで、「自然界の偉大で崇高なものが生み出す情念は、もしもこれらの原因が最も強力に作用する場合には驚愕となる。驚愕とは或る程度の戦慄を混じえつつ魂の全ての動きが停止するような状態を言う」と記した。
米国の思想家で詩人のラルフ・ウォルドー・エマソンは『自然について』に「荒涼とした土地に立ち、頭を爽快な大気に洗わせ、無限の空間のなかにもたげる時、すべてのいやしい利己心は、なくなってしまう。私は透明の眼球となる。私は無であり、一切を見る」と綴った。
これは、大自然を前にした時の感動や驚き、畏怖の感情である「Awe(オウ)」についてや、その効果ととれる。
カトリーン・サンドバリとサラ・ハンマルクランツ著の『Awe Effect』ではこう書かれている。
Aweとは、果てしないものや理解を超えるものが生み出す壮大さに対する感情であり、私たちが新しい情報を通して、自分あるいはまわりの世界に対する(それまでの)理解を変える必要があるときに、私たちのなかでおこる「精神的な変化の過程」でもある、と結論づけました。
畏怖の経験による心の変化については、アニー・マーフィー・ポール著の『脳の外で考える』でも書かれている。
ケルトナー(カルフォルニア大学バークレー校 心理学教授 バッカー・ケルトナー)ら研究者によると、畏怖の経験によって、予測可能な一連の心理的変化が起きます。先入観や既成概念にそれほど固執しなくなります。そしてすでに持っている精神的な「スキーマ」(自分自身や世の中を理解するために使うテンプレート)の見直しやアップデートに積極的になります。
畏怖の経験は、人間の脳のリセットボタンと呼ばれています。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
畏怖の念を抱きやすい種に属するものは、生きるために必要なタスクを団結して完遂できた、とする説もあります。雄大な自然への畏怖で思考を拡張することで、人類は自らの生存を確実なものにした可能性があります。
このように、自然界の偉大で崇高なものと対峙した時の畏怖の感情により、意識がリセットされ拡張され、変容のきっかけとなり得る。
僕の体験で言うと、新婚旅行で訪れた南アフリカで目の当たりにしたどこまでも続く大地と太陽の平等で温かなエネルギー、上を向かずとも地平線まで満天にぎっしりと埋め尽くされた星々と宇宙のはてしなさ、仕事仲間とハワイのダイヤモンドヘッドでサーフィンをした時に感じた広大な海に優しく包み込まれる感覚、波のうねりを身体全体で味わいながら感じた地球の力強さ、そしてネイティブアメリカンの儀式スウェットロッジセレモニーを受けた時の、イニィピーと呼ばれる小さなドーム状の小屋の暗闇と灼熱の熱さの中、遠のく意識で全てを委ねた太鼓のはじけるリズムと祈り。




いずれもまさに、圧倒され、息を呑み、思考が止まり、理解の外へと意識が向かい、これまで自分の理解を中心に捉えていた(囚われていた)ものが溶け出してゆく体験だった。
そして、そのような畏怖の感情を持つ体験の後にトランジションを迎えていったり、あるいはトランジションタイミングにそのような体験とめぐりあったりした。
僕は、前編で書いたバイオフィリア的な心地よい自然とは別に、この、意識がリセットされ拡張され変容のきっかけとなり得る畏怖の感情を持てる自然や体験も大切にしている。
(と、無意識で導かれてきたことに、あとから振り返り意味を見出し、なんとか理由づけをしているだけなのかもしれないが)
これまでも、自身で創造する体験プログラムに自然の大いなる力や理解を超えた壮大なものを取り入れたり、パートナーとなる人たちが創り出すそのような体験の運営に携わってきた。
そしてこれからも、僕自身が日本の世界の、まだ体験していない圧倒的な自然や壮大な体験をし続けていくことで、自分自身の新たな意識の拡張と変容を促しながら、自分の創り出す学びと対話の体験プログラムを深めていきたい。
さて、今回は中編ということで「畏怖の感情」について書いたが、次回は後編ということで、僕がこれまた大事にしている「焚き火とサウナ」についてを書いていく。