【読む焚火 その10】毛布を手渡すこと、受け取ること。
駅前焚火が終わって2週間ほど経って。
その後も「どうだったの?」と体験を聞かれたり、
様々な人と対話をしたりしてきました。
その中で、今一番感じていることを出したくなりました。
それはこんなことで。
例えば駅前にただ火があっただけだったら、
通りすがりの彼/彼女はその場に座っただろうか?
火に魅入られていただろうか、と思うのです。
火に集まったのは、動物的な感覚だったのかもしれない。
そしてその人はもしかしたら孤独を感じていたのかもしれない。
それは確かにそんな気がする。
だけど、自分の感覚では、それと本当に座ること、は
別だったような気がして。
誰かが「こちらにおいで」と手招いた時に、
そして「これを掛けな」と毛布を手渡した時に初めて、
彼/彼女はそこに座り、そして驚く事に
その毛布を初めて出会った隣人と、スっと分けあうことが出来た。
自分が今思い出すのは、何度も何度も見かけたそのシーン。
受け取ることで、人の心には火が灯る。
そして人は、自分の中に火が灯ると、
それを分け与えようとする。
それが赤の他人であっても。
スっと。邪魔をせず。微笑と一緒に。
こんな時に初めて人は、他人という孤独と出会い、
初めて対話の言葉を、一緒に紡ぎ出すのかもしれないと思う。
そして、人はいつでも、結局この事を願っているのではないかな、とか思ったりもする。
2日目にツイートしてくれた男の子が出会った出来事は、
きっとそれなのだ。
「仙台駅前で焚き火眺めてたら3時間あっという間に過ぎてった……最初に話しかけてくれたお姉さん、話し相手になってくれたお兄さん…生まれて初めて一期一会を経験した気がする…世界一贅沢な3時間だった…!!!」
自分はもう少し、この事を追いかけたいと思っています。