
Photo by
non_file
43歳腎盂癌_6
令和6年9月26日
U泌尿器・腎クリニック_3回目
「見た目で尿が赤くないと、来るのやめちゃう人もいるんだよ。」
予約をしても10日くらい過ぎた頃には症状が改善していた。そんなことが多いからなのだろう。私の血尿も同様だった。痛みがあるわけでも生活に支障をきたしているわけでもないので、その選択をしてしまう気持ちもわからんでもない。
私の場合は腰から鼠径部の違和感が拭えなかったので、何かしらの病気が見つかるかもしれないと覚悟はしていた。その原因を突き止めたかった。一方で、なまじ元気なだけに実は他愛もない原因なのではと期待もしていた。
青天の霹靂
今後の検査や手術についての説明を聞くが、断片的にしか覚えていない。大概の人と同じように、平静を装って聞いていた。
真っ先に妻に電話を入れた。
父が病気を発症したのは、祖母の葬儀後すぐだった。祖母も介護の末に亡くなった。だからこそ健康に人一倍気を遣って生活してきたつもりだったが、まさか父の亡くなった年にこんな審判が下されるとは思ってもいなかった。
父と同様の心配をかけてしまうのが嫌だった。
父の11年。
その経験がなかったら、現実から目を背けていただろう。
まわりに若くして亡くなった人達がいる。もし今の自分と同じ年齢で病気が見つかっていたら、まだ元気にしていたかもしれない。
これを放っておいたら、彼らの年齢になる頃に亡くなる運命にあるのかもしれない。
もちろん今後の経過次第なのは重々承知だ。
しかし前向きに捉えなければ、とてもやってられないのだ。
