シャニマス感想・考察『浅倉透はなぜ思い出して欲しいのか?/彼女と、その運命の話』
この記事は「アイドルマスターシャイニーカラーズ」つまり
シャニマスの感想、考察、妄想、ポエム記事です。
今回はノクチルの浅倉透についてになります。
記事自体は4月末に書き始めたのですが気付いたら浅倉さんの誕生日が来てしまったし、pSSRの実装告知も出たので慌てて仕上げました。時の流れよ…
実装前の印象について語る記事を書いたので、実装後の感想もやっていきます。実装前の記事は以下。
ここから先は、ノクチルのプロデュース共通コミュおよびRサポートコミュの内容に言及する可能性があります。
それらのネタバレを避けたい方は読まないことをオススメします。
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感想
これプロデューサーが幼馴染なんじゃないの、とか予想してましたがそこはまあ当たりましたね。直球で来た~。
公式によればノクチルは幼馴染ユニットというのが特色ですが、彼女らにとって、幼馴染というものは日常や緩やかな停滞の象徴だと感じました。そこに浅倉透とプロデューサーの再会という事件が挟まることで、停滞していた日々が動き出し、色づいていく。あくまでも始点は浅倉透とプロデューサーの再会であるということがまず特殊ですね。
また、アイドルにスカウトされることが日常を変化させる、という点では他ユニットのアイドルと同様ですが、ノクチルのメンバーはいずれもアイドルに格段の興味やあこがれを持っておらず、日常の変化も特に望んでいない状態からスタートしています。他人を喜ばせたいとか、なりたい自分があるとか、そういった気持ちもあまり感じられません。ここがノクチルというユニットの特異な部分であり、象徴的な部分だと思います。
浅倉透はつかみどころのない人物のように見え、しばしば「オーラがある」などと描写されます。そうした彼女の性質が引き起こす諸問題が、彼女の共通コミュのテーマになっています。
一方で、彼女のモチベーションは「自分の気持ちをわかってくれたあの人」との再会に運命を感じている、という点に集約されています。彼女のつかみどころのなさや「オーラがある」感じというのは、他者からなかなか理解を得られないことや、他者との隔意を意味していると言えます。それゆえに自分をわかってくれる人の存在は希少であり、その出来事が強く心に残っていたのでしょう。
端的な言い方をすると、彼女は「あの人」との再会に運命を感じたためにアイドルになる選択をしたわけで、なかなかのロマンチストといえます。しかし、同時に「未来へ過度な期待をしない」「ふつーでいい」と考えているようでもあります。少なくとも能動的な前進は彼女や、他のノクチルのメンバーにはありません。これらは両立するのだということを描いているのも浅倉透のコミュの面白さだなあと思います。
そういうバランスの考え方をする人が現実には多くいますが、創作された物語……しかも、トップアイドルを目指すという大きな夢を抱くコンテンツでそれを描くのはかなり挑戦的だと思いました。
全体的な感想としてはそんなところでしょうか。pSSRの登場が近づいているようですが、これから彼女の物語がどのように語られていくのかが楽しみですね。
以下はポエムと妄言になりますので時間に余裕がある方だけ読んでいただければと思います。
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ふつうであること、透明であること
「未来へ過度な期待をしない」「そこそこの人生でいい」というのはノクチルの4人に通底しているテーマだと思う。
これは緩やかな諦念だけれど、別に人生に期待していないわけではない。
未来にちょっとした期待を持つことはするし、何かラッキーなことがあれば素直に喜ぶ。思いがけないことがあれば、そこに運命を感じてみたり、期待を持ってみたりする。
灰色の人生というほど停滞した、暗いものではない。ただ、人生に劇的なものがないだけだ。大それた夢は抱かないし、なんとなく楽しく生きられてればそれでオッケー。「トップアイドルになりたい」なんてまず思わないけれど、友達と楽しくやって、フツーに勉強して、フツーに働いて……そういうフツーの人生を歩むことをなんとなく悟っている。志向性のない、ゆったりとした人生。それでいいと思う。
こうしてなんとなく生きる僕たちは、日常の中へ薄らいで消えてゆく。
つまり、透明になる。
さとり世代なんて言葉があるが、ノクチルの根底にはその言葉があるのだと思う。これは完全に想像だけれど、シャニマスの企画者(あるいはライター)は若者のリアルな感覚を描こうとした結果、未来へ過度な期待を抱かないという点に到達したのだろう。
個人的な体験として、自分もこうした感覚には馴染みがあるのでノクチルの面々には共感する部分が少なからずある。
(ただ、もちろん彼女らのように立派な生き様はできないし、雛菜の超人性には恐怖すら覚えた)
風が吹いた、とりあえず、掴んでみた
浅倉透がプロデューサーとの再会で得たものは人生における転機、劇的な何かだ。
幼い頃にただ一度だけ、一緒にジャングルジムを登った、名も知らぬ年上の学生がいた。その人は、ジャングルジムで遊びたいと思っている自分の気持を言い当ててみせた。
その人と、数年の時を経て偶然再会した。
しかも、向こうは「アイドルにならないか」などと声をかけてきた。
これだけでドラマチックな話だと思う。ちょっとした運命を感じる。
共通コミュの「あっ、て思った」とはそういうことだろう。
浅倉透がなぜジャングルジムの出来事に執着しているのかは、作中で明確に語られていない。
しかし、僕はこれだけでも十分、執着するに足りると思う。
なにもないわけではないけれど、概ね平坦な日常、
その中に突然吹いた大きな風──それがプロデューサーとの再会だ。
浅倉透はこの風を掴まずにはいられなかったのではないか?
いきなりポエムのようになってきたが、これらは決して私の妄想というわけでもなく根拠がある。
運命って信じるか?
朝コミュの中に以下のようなものがある。
プロデューサーが「運命って信じるか?」と問い、それを「冗談」として済ませるとノーマルコミュニケーションになる、というものだ。
この「ヘンな冗談だね」というセリフでは珍しく不機嫌そうな顔を見せる。彼女の態度は基本的におおらかで、特に怒りや不満を表する場面には乏しい。しかし、このコミュではかなり明確に不満を表す。彼女は運命を信じている、ということだろう。
またこのコミュの他の選択肢は以下のような会話になる。
このコミュでは、透が信じるものがどういったものかがわかる。
運命とは主観的なものであり、それは他人の意見で決めるものではない、ということだ。運命とは思い込むものともいえる。
透は自我を強固に持っていて、彼女のマイペースさはそういったところから表出しているのかもしれない。
それが「運命の出会い」じゃなくても
特別な運命を感じてアイドルになることを選んだ彼女だが、共通コミュではまず、アイドルとしての活動そのものに特別感を感じていないことが描写される。
加えて、オーディションでありのままの自分が通用せず、プロデューサーとのコミュニケーションもうまくいかず、「あれ、と思う」ことが増えていく。
伝わると思い込んでいたけれど、伝わらない。
相手のことをわかっていると思いこんでいたけれど、わからない。
運命と思い込んでいたけれど、違うのかもしれない。
すべて「思い込んでた」と気付く。
コミュの中ではプロデューサーが「空回りしてるよな」と言うが、実際は彼女も空回りしていたのかもしれない。
しかし、浅倉透をわかろうとする人、目標へ向かって一緒に頑張ってくれる人は、今ここにいる。
つまり、すべてが自分の思い込みだったとしても、一緒にジャングルジムを登ってくれる人がいる現実は揺らがないということに彼女は気づく。
そして、自分や相手の気持ちは「一緒に登る」なかで通じ合っていくのだということを知る。嬉しいことも、悔しいことも、分かち合っていける。
この気づきこそが、彼女の大きな前進として描かれている。
なお、樋口円香は共感性が高い人物として描かれており、この点で対称的である。(このあたりの話は樋口の感想考察記事でいずれ・・・)
ここは推測の域を出ないが、浅倉透は一つの目標に向かって何かを頑張るということをこれまで経験していなかったのではないだろうか。人生の中で、日常を共に過ごす幼馴染はいる。しかしそれはただぼんやり停滞した関係性で、なんとなく続いているものだったし、志向性を持っているわけではなかった。(ここは樋口円香も通じるものがある)
一緒に同じものを見て進んでくれる人の存在や、同じゴールを見ているからこそ起こる感情の通じ合い……そういったものを、アイドルとしての活動の中で初めて感じたのではないだろうか?
漫然と過ごすのではなく、努力して"登っていく"ことが人生を歩む楽しさや嬉しさを生みだすこともある。そこで一緒に登ってくれる他人がいれば、その人と感情を共有していくことができる。分かり合うことができる。それが「悔しい」といったマイナスの感情であっても、それを共有できることが嬉しい。WING敗退コミュでの彼女の言葉は解釈が難しく感じたが、少なくとも自分はそう捉えている。
「思い出してよ」と言う理由
こうして彼女は"透明"ではなくなったし、プロデューサーと気持ちを通じ合わせることができた。それによる嬉しさも知った。長い長い道程を楽しむコツを知った彼女の人生は、より実りのあるものになるだろう。
WINGを敗退しても優勝してもそこは変わらない。だから彼女は敗退コミュでも嬉しそうな表情を見せるし、WINGで優勝したことそのものにはあまりこだわりがなさそうな態度を見せる。彼女が最初に望んだものはもう概ね手に入っているからだ。
しかし、彼女にはまだ成していないことが一つある。
ある気持ちをプロデューサーへ伝えきれていないことだ。
それは、彼女がプロデューサーと再会し、思い出した時に感じた、あの気持ちだ。
あの瞬間の、あの気持ちを浅倉透と共有できる人は、
この世界にプロデューサーただ1人だけなのだ。
だから、浅倉透はプロデューサーに思い出してほしい。いつか、プロデューサー自身が思い出して、自分と気持ちを共有してほしい。
そもそも、あの時の気持ちについて、彼女の中でうまく言語化できてはいないし、未だにどう伝えればいいのかわからないでいる。
WING優勝コミュでは、彼女のそうした思いが描かれるが、結局その場で思い出すことができたのか、伝わったのかは描かれないまま終わる。
それでも、長い人生の中で、きっといつか「思い出す」ときが来ると、彼女は信じている。
その気持ちもまた「思い込み」かもしれないが、それは彼女が信じる新しい運命と言って良いだろう。