映像技術の教科書 |EX1|1巻のあとがき
はじめに
こんにちは。
虎徹のタキです。
映像技術の教科書、第16回、と見せかけて、特別回です。
キリよく第15回まで書き進めましたので、随筆をひとつ差し込んでみようとおもいます。
【映像技術の教科書】と銘打ってはじめた手前、自分の経験や意見をあまり前面に出さず、フラットな読み物になるよう心がけてきました。
拙い文章を我慢強くお読みいただいた方々には感謝でいっぱいです。また購読いただいている方々の学びの姿勢には、頭が上がりません。
今後も引き続き、より一層、がんばります。
不思議なもので、特に決めて書いているわけではないのに毎回必ず7000字くらいの文字数になります。
15回の合計で10万字程度を執筆したことになります。
ちょうど単行本一冊分くらいのようです。
この記事は、ちょうど1巻のあとがきのようなものです。
本noteは、無料公開です。
メンバーシップ会員の中には、筆者の自分語りは不要、という方もいらっしゃると思いますので、そういう方は申し訳ありませんが読み飛ばしていただき、第16回をお待ちいただければと思います。
筆者のこと
映像技術の教科書は、株式会社虎徹が運営しています。
実際に執筆している私は、その代表のタキという者です。
私自身を知って欲しいとか目立ちたいとか、そういう気持ちは一切ありませんが、知識や技術についての書き物だけに
”どの口が言っているか”
を今更ながら、少しご説明してもいいかもと思うに至りました。
私タキは芸術工学という学問を大学で学び、2004年に新卒で東京の大手ポストプロダクションに入社しました。
大学時代に「リリィ・シュシュのすべて」という映画を観て、デジタルシネマのエンジニアになることを決めた私は、当時希少だったデジタルシネマカメラ・HDW-F900を保有しているという理由で、その会社に決めました。
その会社は映画の他に、CM・ライブコンサート・展示映像・ENG・高画質評価映像と幅広い撮影技術サービス事業を展開しており、かなりバリエーション豊かな撮影現場に参加する機会を得ました。
当時、デジタルシネマカメラ(F35やF23, HDW-F900)やシステムカメラ(HDC-1500, F950, HDW-750)を合計15台くらい保有しており、撮影技術を浴びるように学ぶことができました。
2000年代前半という時代は、デジタルシネマやHD24P(24コマで収録できるビデオカメラ)という言葉がすこし定着してきた頃合いで、まだまだCMや映画はフイルム撮影、ビデオはテレビをベースとした技術、という棲み分けがありました。
センサーも35mmフイルムに比べてちいさく、デジタルで映画やCMを撮るということ=諦め・残念・低予算、という他のスタッフの落胆をひしひしと感じながら撮影に参加したのを憶えています。
今思い返せば、フイルムからデジタルへの変革の激動の中で、制作環境や立ち位置を確立するのに必死な10年間だったように思います。時代の流れが背中を押して、勝ち取ったという感覚に近いです。
辛かった記憶は無数に思い出せますが、師匠や先輩方には感謝と畏怖しかありません。
入社後の数年はビデオエンジニア助手・カメラアシスタントとして従事し、次第にCMのビデオエンジニアとしての指名案件が増え、時代の流れとともにDIT(デジタルイメージングテクニシャン)に職域が変わっていきました。
2013年に別のポスプロへ転職し、DITとしての技術と立ち位置が確立されてからはカラリストとしても活動を始め、2019年に株式会社虎徹を設立。
DIT・カラリスト・法人代表の3つの顔と頭を使い分けて、楽しい日々を過ごしております。
撮影技術で一等賞を獲る。
これだけを掲げて、あっという間に20年が経ちました。
プレイヤーとしては、主にTVCM・ミュージックビデオ・映画に携わっています。
映像技術の教科書は、
・ビデオエンジニアとしての知識
・ポスプロ従事者としての知識
・DITとしての知識
・カラリストとしての知識
・映像業界での20年分の知見
を元に、執筆をしています。
弊社のスタッフは、これらをより具体的で実践的に、半ば強制的に浴びせられ続けています。
いつか今日のことを振り返って溜息をつき、次の誰かに継承してくれるでしょう。
カメラや映像業界の変遷
この20年で、撮影することがソフト的になってきたと思います。
20年前も、その更に20年前と比べて同じことが言われていたともおもいますが…。
フイルムからデジタルへ。
現像からデジタル処理へ。
印刷からデジタル媒体へ。
テレビからSNSへ。
例えば20年前。被写界深度が浅く、トーンに凝った映像はフイルムの得意とすることろでしたが、ムービーのフイルム撮影は高い特殊技能と機材と予算を必要としていました。
2008年以降、5D MarkⅡや7D、αシリーズといったデジタル一眼・ミラーレスムービーの登場で、その世界は一変しました。
若くて勢いのあるディレクターやカメラマンが堰を切ったように世に放たれ、次の時代のはじまりを明示していました。当時私は20代後半でしたが、かなり高揚感を感じていました。
(誤解のないように補足しますが、いまでもフイルム撮影は行われています。フイルムとデジタルは敵対関係にありません。)
その後もカメラメーカーやAdobe・Blackmagic Designなどの功績により、昨今ではプロとアマチュア、大規模制作と小規模制作がクロスオーバーし、遠目には境目が曖昧にみえるようになりました。
これは喜ばしいことであり、憂慮すべきことでもあると感じています。
「観る側の審美眼が〜」とか「プロの既得権が〜」とかいう意味ではなく、時に、参入の敷居が下がることが産業時代を衰退に向かわせる例があるからです。その原因の多くは当然共通であるべき基本的な認識が通用しなかったり、最低限の基礎知識や技術がきちんと継承されなかったりすることにあると考えています。
ハイエンドとローエンドの制作環境の差は、なかから見れば現在でも明確ですが、昔ほどアウトプットの差は明確ではありません。
かといって、=ハイエンド不要ということにはなりません。
下積みと呼ばれる過程を嫌ってハイエンドを目指す人が減っていくことは、日本の映像業界の未来のためにすこしでも回避したいとおもっています。お
映像技術の教科書
時代の変遷とともに、出自のさまざまな映像制作者や技術者が生まれてきました。しつこいようですが私自身は参入の敷居が下がることや、映像制作のスタイルが多様化することはよいことだと思っており、自分の技術者としての矜持とそのことは関係ありません。
基礎を学ぶ機会がなかった方の不安を解消できるよう、なにから学べばいいかわからない方が、とりあえずひととおりの知識を習得できるよう、
教壇に立つ以外の方法で、映像をつくる全ての方に対して映像技術の基礎を伝えていく方法を模索した結果、このような形式になりました。
有料にしたのは自分と読者の覚悟の証です。
本当は【映像の教科書】にしたかったのですが、かの有名なNHKテクネと同じ名前を用いるのはリスペクトに欠くと考えて、すこし無骨なネーミングになってしまいました。
ここでひとつ例え話をします。例え話ですが、本当の話です。うまく伝わるかわかりませんが…。
私はギターを弾くのが趣味です。
中学生のころからなので、ギター歴は30年になります。
自分の好きな曲やフレーズを弾くことはできるのですが、音楽理論を学んだことがなく、コードもあまり知りません。ギターという道具自体が好きだという部分もあります。
自分にとってギターは仕事ではないので、理論を知らないことで困ってはいませんが、モヤモヤすることはあります。
セオリーを知らないのでジャムセッションはできないし、ギターが弾けます!と人にいうことも躊躇います。
映像に関しても、そういう気持ちになる方がいるのではないか、とおもいます。カメラも買って、編集もグレーディングもできるけれど、映像のプロと言い切るには、理論を知らない。
それでも仕事になれば問題はないのですが、私が感じているモヤモヤに似たものを解消できるのであれば、それに越したことはないと思います。
その為の教則本です。
おわりに
突然の自分語り、すみませんでした。
ネガティブなご意見が多ければ、もうEX2は執筆しないつもりです。是非教えてください。
今回もご覧いただきありがとうございました。
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