二次創作ついて、考えてみた。
突然ですが質問です。
二次創作作品(以下「二次創作」)とは一体何なんでしょうか?
Wikiによると「厳密な定義は存在しない」とされています。
絵や文章などで、おそらくは誰もが触れたことのある二次創作。
これにについて、独自の解釈と意見を挟みながら考えていきたいと思います。
なお、本稿において特段の説明がない限り二次創作小説についての話になっています。
二次とは何か?
『二次創作』
この言葉の意味を考える時、大きくは二つ『二次』『創作』に分けられることは見れば分かると思います。
まず『二次』という言葉です。
その字の如く、二次というからには一次創作物、いわゆる原作が存在します。この設定やキャラクターを借りて創作を行うから二次創作というわけですね。
この項目で間違いなく触れておかねばならないのは、二次創作自体が相当グレーな行為であるということです。
著作権は商標権等と違い、創作された時点で発生します。これは世に出ている全ての作品が著作権法で守られているということであり(厳密には公表されていなくても著作権は発生しています)、ある判例ではキャラクターについても著作権が認められています。
一方、最近話題になった『ウマ娘 プリティーダービーの二次創作のガイドライン』のように、禁止事項を守れば許可するとも取れるガイドラインもあったりします。
また他方では非営利目的であれば公開可能としながらも、
このように認めている場合もあります。
ここまで基準が明確になっているのは珍しい例ですね。
では実際違反したらどうなるか?
こういう話になるわけですが、著作権保有者側からすると下記のような事情もあるようです。
ファン活動にもあたることから、指摘しにくい。
二次創作から一次創作物への興味(商機)に繋がることもある。
このような背景もあり、積極的に取り締まられてはいない、というのが私の認識です。
実際、私は『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』を二次創作の絵から興味を持ち、原作全巻購入は勿論のことアニメBDも全巻揃えるといった原作ファンになりました。
勿論だからと言って全てを許可すべきだとは思いません。
ただ、二次創作を創って楽しむ者としては、著作者の温情によって許されている(と思われる)グレーゾーンな趣味である、という自覚を持っておくのが肝要であると言えるでしょう。
創作とは何か?
続いて『創作』ですが、これについて書き出すとあまりにも長くなるので、言葉の意味についてだけ考えていきます。
まず『創作』には二つの意味があります。
新しく作り出すこと。
作品を作ること。
二次創作に限って考える時、当然ながら最初の定義は否定されます。
これだけだと言葉の意味を調べただけになってしまうので、もう少し踏み込んで考えてみましょう。
何故、二次創作は生まれるのか?
大好きな作品に出会った時、こんなことを考えたことはないでしょうか。
「ああ、完結してしまった⋯⋯。この後の登場人物たちはどうしているのあろう? きっとこんな感じだろうな」
「もしこの時にこのキャラが違う行動を取っていれば、こんなことにもなっていたんじゃないか?」
もうお気づきかと思いますが前者が『アフター物』で後者が『IF物』ですね。他にも原作設定を改変したり、超常現象を使ったり、登場人物の性別を変えたり⋯⋯つまりは妄想の産物なわけです。
そしてある時、その妄想は臨海点を突破します。
この物語を形にしたいという、創作意欲です。
つまり二次創作は原作(あるいはキャラ)への愛情表現、妄想によるクリエイティビティの発露である。だから書くのだというのが私の見解です。
それではアンチ物はどうなるんだという話ですが、基本的には同じです。
個人的には原作愛、キャラ愛あってこその二次創作だと思っていますが、アンチ物はこれが原作嫌いやキャラ嫌いに置き換わり、創作意欲へと昇華したものだと言えるでしょう。
勿論これ以外にも「人気ジャンルを書いてフォロワーを増やしたい」とか「有名になるきっかけにしたい」なんて思いもあったりするのかも知れませんが、そういったケースを挙げ出すとキリがないのでやめておきます。
何故、二次創作作品を公開するのか?
前項で『二次創作は原作(あるいはキャラ)への愛情表現、妄想によるクリエイティビティの発露である』と書きました。
ではどうしてそれを公開するのでしょうか?
それこそチラシの裏に書くように好きに書いて、仕舞っておいたっていいはずです。実際私は約二百作品、百万字を超える二次創作作品を公開しないままにしています。
この『公開』という行為にあたっては、やはり個々の事情が色濃く出るものだと思いますので、私の理由を並べていきます。
いい話ができたと思う。だから読んで欲しい!
何とも自信過剰なやつだと思われるかも知れませんが、どんなに短い話であろうが何か光るものを見いだせないと書き出そうと思いませんし、公開しようとも思いません。
そして良いものが出来たと思ったら人に読んでもらって反応を得たい。人間は社会的な動物である以上、こう言った形で自己承認欲求が現れるのも必定というものではないでしょうか。
このキャラ(またはカップリング)のさぁ、こういうところがいいよね。尊い⋯⋯。
言ってみればその作品においての価値観の共有がしたい、ということです。特に私はリアルにオタク友だちが少なく、投稿サイトでのコメントのやり取りも大きな楽しみの一つになっています。
きっと、喜んでもらえる。
一番目と同じく、ちょっと尊大なまでの考え方ですね。しかし苦労して書いた作品ほど、喜んで貰えることが多いのも事実です。
これは他者貢献に繋がるとも言えるでしょう。この言葉は自己犠牲的に他者へ貢献するという意味ではありません。自分の価値を実感する為に他者へと貢献し、幸せを実感する手段なのです。つまり自分が幸せを感じるために公開している、とも言えます。
伝えたいことがある。
多くの名作には様々なメッセージが込められ、描かれています。物語の本質とも言うべきそのメッセージに触れた時、感動を覚えたことはないでしょうか?
もっと多くの人に伝えたい、しかし多くの人が見失っている大切なこと。それを作品にのせて発信したいというのは、長編を書く原動力になっていることが多々あります。
以上が私が二次創作を書き、公開する理由です。
二次創作は自慰行為か?
多くの人の目に触れる二次創作は、時に手厳しい意見に晒されます。
「作者のオナニーじゃん」
「チラシの裏にでも書いてろ」
かつて『2ちゃんねる』全盛の時代は掲示板に投稿する形を取られるものも多く、何度目にしたか分からない言葉たちです。
そう言った事情もあってか「二次創作なんて公開オナニーみたいなもんだろ」と開き直る人もいます。
本当にそうでしょうか?
私なら恥ずかしくて人前でオナニーなんてできません。
だからそう言われないよう、読み手が納得できるように物語を構築し、すらすらと読めるように文章に気を使うのです。
上手く書(描)けなければならないという話ではありません。人に読んでもらうということは、その人の時間をもらうということです。その時間をストレスなく(あるいは意図的にストレスフルに)読んでもらいたいというのは、当然ではないでしょうか。
ただし、自分の内なる欲求を満たすための行為ではある為、オナニーとは似て非なるものという性質があるのは否定できません。
結局、二次創作って何だ?
まとめになります。
先に言っておきますが、完全に個人的な見解です。
私にとっての二次創作とは、例えるならば『遊び場の提供』です。
特に長編を書く時は、その意味合いが強くなります。
作者は『こういう妄想、楽しくない?』と遊び道具(作品)を提供します。
それに触れた読者が『面白いじゃん!』とその場に留まり楽しむのか、『つまんね』と思って立ち去るのかは自由です。
何故そう考えるかと言うと、時々「読ませて頂いてありがとうございます」と感想を貰うことがあるからです。
これをもう少しフランクに考えた時、こんな風景が思い描かれました。
「君の遊び場でいい時間が過ごせたよ。ありがとう」
「こっちこそ、遊びにきてくれてありがとう! 作ったかいがあったよ」
だから私にとって二次創作を公開することは、ゲストとホストがはっきりと分かれた『遊び場の提供』なのです。
最後に
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
自分の二次創作に対しての考えを整理する為に筆を取ったわけですが、各々が二次創作について考えるきっかけになってくれればとも思っています。
それでは引き続き、実りある二次創作ライフを楽しんでいきましょう。