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【シリーズ小説】テーラー河喜多 あなたの思い出買い取ります エピソード2ー1 鏑木 毬子
【30秒でわかる、テーラー河喜多】
テーラー河喜多にようこそお越しくださいました。
当店の仕組みをご説明させていただきます。
テーラー河喜多は、老人の六三郎と、どんな人間の姿にもなれる猫、クロード・モネの営むお店です。
テーラーとは名ばかり、この店には
嫌な記憶を消してほしい客が集まります。
六三郎の灯すろうそくを吹き消せば、ろうそくは真っ黒になって崩れ落ち
当人からも、記憶を共有した人間からも嫌な記憶が消え失せます。
お代は、消してほしい記憶と釣り合うだけの素敵な思い出です。
六三郎とクロード・モネは、この思い出をスクリーンに投影して
消えゆく思い出を楽しむのが常です。
詳しくは、テーラー河喜多 あなたの思い出買い取ります エピソード1を
お読みになればわかります。
これだけ知っていれば大丈夫。
テーラー河喜多へようこそ!
【エピソード2 鏑木 毬子】
陽が陰って、木枯らしが吹き荒れる冬の夕刻、ふいにつむじ風みたいに女が入ってきた。
赤いコートに長い髪を柔らかく結った女。若くは見えるが、五十代初めくらいか。
女は躊躇なくテーブルの前の椅子に座る。
向かい合う形で、石油ストーブに手をかざしながらクロード・モネの持ってくるお茶を待っていた六三郎は大変に驚いた。
お盆に乗せてお茶をふたつ運んできたクロード・モネはさらに驚いた。
クロード・モネはパイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウを模して、ごつい身体、赤いバンダナにドレッドヘア、浅黒い肌に髭を生やしていたのだが
「どうぞ、お茶を」
と言って、女の前にひとつ、六三郎の前にひとつ、ティーカップを置いた。
ほんとうは自分が飲むつもりでロイヤルミルクティーを入れたのに、気の毒なやつめ、と六三郎は思っている。
女はウェッジウッドの紺色の縁のティーカップを見つめていたが、恐る恐る一口飲んだ。
「あったかい」
女が呟く。
これはどうあっても普通の客じゃない。記憶がらみの客であろう。クロード・モネは裏口の脇に待機している。
「その、なにか……ご入用ですかな?」
六三郎が尋ねると、女は早口で
「私の名前は鏑木毬子。品川の占い師に聞いてきました」
と言った。
品川の占い師と聞いただけで、誰だかわかる。六三郎は、ほうっとため息をついた。
「私は河喜多六三郎といいます。あそこの海賊みたいなやつは、クロード・モネ。私の助手です。それで、毬子さんは品川の占い師になんと言われてきたのですか?」
毬子は俯いて、カップを眺めながら
「先生は言いました。あなたみたいなやつはだめだから、と。ここに来るよりほかに手がないのだと」
憤慨しているようであった。毬子の語り口から、事態が深刻であることが見て取れた。
「起こってしまったことは変わらない。何百回、何千回占おうと、結果は同じ。あなたは救われない。忘れてしまうしかないのだと」
毬子は一貫して早口であった。
「忘れてしまえば、救われると思いますか?」
六三郎は尋ねる。
「ええ……。私が忘れて、あのひとが私のことを忘れてくれれば」
「恋人ですか?」
「はい。ずっとずっと昔の。四半世紀近く前に、別れたひとです」
(エピソード2ー2につづく)
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