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【短編小説】カルチャーセンター
弁蔵のやつは、丘の上のカルチャーセンターとやらに行き出してから、妙に色気づいて癪に障る。
先日も俺の家にあがったときに、机の上にざるに入った柿をいくつか見つけて
「与一さん、この柿はすばらしい色をしているよ。絵に描いたらどんなにか美しかろうねえ」
などと云う。前はそんなことは云わなかった。柿と云ったら甘いか渋いか、そんなことしか云わなかった。やつはすこしばかり調子に乗っているのだ。
弁蔵と俺は小学校のときの同級だから、どっちも今年で八十二になる。俺は生まれたときからずっと独り身だが、弁蔵には細君がいた。娘と孫もいるが、東京のほうに行ってしまった。五、六年前に細君が亡くなり、弁蔵はなにかというと俺を訪ねてくるようになった。
弁当を買ってきたり、酒を買ってきたり、なんだかんだ理由をつけて、俺の家にやってくるようになった。そのうち俺相手に喋っているだけでは飽き足らなくなったのか、こんなことを云い出した。
「与一さんよ、丘の上にカルチャーセンターってやつがあるだろう? あそこに行ってみないかい?」
俺にはさっぱりわからなかった。
「なんだってわざわざカルチャーセンターなんぞに行かなくちゃなんねえんだ。わざわざ金を払ってまで、なにを習おうって云うのだ。ばかばかしい」
すると弁蔵のやつは
「なにを習うかはこれから考えるのさ。一緒に通おうよ。きっと楽しいし、友達もできるはずなんだから」
なんて云う。
俺は
「そらみろ。お前さんの動機は邪だ。お前さんはなにか習いたいものがあるわけでもない、やりたいことがあるわけでもない。ただただ仲良しこよしで友達でもできればいいと思っている。友達をつくるのに金を払うやつがあるか、ばかが」
と云ってやった。
やつは本当にばかなのか、それからも度々俺のところへやってきてはカルチャーセンターに通おうと誘った。
そのうちやりたいことがないではまずいと思ったのか、色鉛筆水彩を習おうだとか、体操を習おうだとか言ってくるようになった。俺はくだらない、ばかばかしいと云って、まるきり相手にしなかった。
しまいに弁蔵は
「俺はやっぱり丘の上のカルチャーセンターに通おうと思うよ。与一さんが何と云おうと、そういうふうにしようと思う」
と宣言しにきた。俺は勝手にしろよと云った切り、やっぱり相手にしなかった。
程なくしてカルチャーセンターに通い始めたのか、弁蔵は変わった。
まず、俺の家に訪ねてくる回数が減ったし、俺の家に訪ねてきたところで話す内容がまるきり変わった。
弁蔵は色鉛筆水彩を習い始めたらしくて、俺のみすぼらしい住まいやら、庭なんかを眺めては、「絵になるね、実に絵になるね」などと云ったりした。弁蔵には、鯵の開きすら絵画の素材に見えるらしかった。
スケッチブックを持って来ては、デッサンなどしたりした。俺は横から見ていたが、弁蔵にそんなに絵の才能があるとも思えなかった。
そして弁蔵の会話には、登場人物がやたらと増えた。みんなカルチャーセンターで知り合ったやつらだ。大体五十代から八十代ぐらいのひとが多く、弁蔵はそうは云わなかったが、おそらくは、はなしも合うし楽しいのだろうと思う。
そして孫の歳かと思われるような、色白のもっちりとした肌の可愛い女性が先生なのだそうだ。「ひな子先生」というその先生が、会話のなかにやたら出てきた。ひな子先生がこう云った、ひな子先生がああ云った、という具合にだ。
そしてやたらと俺に
「与一さんがカルチャーセンターに通ってたら、きっとひな子先生にぞっこんだったと思うなあ。きっとそうさ。ひな子先生は与一さんの好みのタイプだもの。ああ残念だ」
などと云って、そのくせ、もはやカルチャーセンターに来いなどとは云いやしないのだ。なんという気の利かない男だろう。
すこしばっかりひとを思いやって、「与一さんもカルチャーセンターにおいでよ」ぐらい云ったらよかろうに。俺はずいぶん悶々としたが、あれだけカルチャーセンターに行かないと云い続けただけに、いまさら行きたいとは云えんかった。
転機はその半年後の三月にやってきた。カルチャーセンターから帰ってきた弁蔵が云うのだ。
「与一さん、この四月からの色鉛筆水彩のクラスにひとが足りないらしい。ひな子先生が云うには、もちっとだけ生徒が増えるとありがたいらしい。どうかな、与一さん。ここはひとつ頼まれて、クラスに入ってもらえないかな」
俺は弁蔵の親切に感謝した。
「そこまで云うなら、入ってやらないわけにはいかないな。その、ひな子先生のためにも」
そんなわけで俺は、丘の上のカルチャーセンターに四月から通い始めるのだ。
≪了≫