【シリーズ小説】テーラー河喜多 あなたの思い出買い取ります エピソード1ー3 中田 洋介
「素敵な写真ですね。問題は、あなたの消したい過去の出来事と釣り合うかどうかですね。どんな過去の記憶を消したいのですか?」
「それは……」
男は不安げに、クロード・モネのほうをちらっと見た。クロード・モネは、背を反らして向こうを向いたままである。
男は名刺を取り出すと、六三郎に向けてテーブルの上に置いた。北栄建設 土地活用部門係長 中田洋平、と書いてある。
「実は、僕はハウスメーカーの土地活用部門というところで働いていまして。地主さんのところへ通い、土地の活用方法をご提案するのが仕事なのです。
大地主は信用した人間にしか土地を売りませんからね。人間関係がとても重要な仕事なのです。
得意先に足しげく通い、なんでもお手伝いしながら、信用を得ていくのです。年月のうんとかかる地道な仕事です。
それで、つい先日のことなんですが……」
中田洋平はクロード・モネをちらっと見たが、またしゃべりはじめた。
「ある地主さんのお宅の縁側で、その方と世間話をしておりました。たわいないおしゃべりも仕事のうちですからね。
そうしますと、急に夕立が降ってきました。地主さんは洗濯物が濡れてしまうと慌てていたので、取り込みを一緒にお手伝いしました。
すっかり服を取り込んで、雨が止むまでの間、洗濯物を畳みながらその方の娘さんの話を伺いました。年頃の娘さんにいいひとがいなくて困っていると。
そんなことまで話してくれるなんて、こころを開いてきてくれていると思いました。正直、うまくやったと思いました。
なのに……僕は最後の最後にミスをしてしまったんです」
中田は俯いて、鞄をぎゅっと抱きしめた。
「どんなミスをしてしまったんですか?」
六三郎が尋ねると、中田は
「それ、言わないとだめですか?」
と訊いてきた。六三郎はやれやれと思ったが
「おっしゃっていただかないと、こちらも消しようがありませんよ」
と言った。
「は、い。そうですよね。消しようがないですもんね」
中田は覚悟を決めたようであった。
「しばらくすると、雨が止みました。さっきまでの大雨が嘘のように晴れ渡りました。
僕は言いました。『すっかり晴れてきましたね』と。そう言ったつもりでした。そう言ったつもりだったのに。
僕はついうっかり、『すっかりはげてきましたね』と言ってしまったんです。
その方は髪が薄くなっていて、それを大層気にしている様子でした。僕自身も、その方の禿げが気になって、つい口を滑らせたといった感が否めません。その方は大変ご立腹になり、すっかり嫌われてしまったのです」
クロード・モネは笑いを堪えきれなくなって、奥の部屋に引っ込んだ。六三郎はげんなりしてその様子を見やる。クロード・モネは本当に子供だな、などと思っている。少年の見た目は仮の姿に過ぎないというのに。
「つまり、『すっかりはげてきましたね』と言ってしまった記憶を消したいのですね。あなたからも、その地主さんからも」
「そう、そうなんです!」
中田は語気を強めた。
六三郎は優しく微笑み、
「それならできますよ。中田さんが持ってきた思い出とも釣り合いますし。思い出のほうも、共有した人間の記憶からもすべて消えてしまいますが、それでも構いませんか?」
と尋ねた。
「構いません。娘はもう自転車に乗れるんですから、記憶がなくても問題ないです」
中田洋平の顔に、笑顔と自信が伺えた。
「それでは、商談成立です」
六三郎が握手を求めると、中田は力強く応じた。
「では、写真は預からせていただきます。さっそく悪い記憶を消しましょう。おい、クロード・モネ!」
六三郎が呼びつけると、クロード・モネは
「はい! ただいま!」
と言って、銀のお盆を持って現れた。お盆の上には太めのろうそくとマッチが乗っている。お盆をテーブルの上に乗せるときに
「商談成立して良かったですね」
と、中田に言ったが、相変わらずにやにやしているので、六三郎はクロード・モネに早く戻るように目で合図した。
六三郎はろうそくに火を付けながら
「覚悟はいいですね」
と尋ねる。
「は、はい」
と答え、中田は神妙な顔をした。
「消したい過去を思い浮かべながら、ろうそくの炎を吹き消してください。過去の嫌な記憶が消えますから」
「それだけですか?」
「それだけです」
中田と六三郎の間で、ろうそくの炎が揺れている。
中田が覚悟を決めてろうそくの炎を吹き消すと、ろうそくは一瞬で真っ黒になり、粉々になって崩れ落ちた。
目の前で起こったことに、中田は声も出ずに驚いている。
(エピソード1ー4につづく)
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