執筆の裏事情(自己紹介にかえて)
小説を書き始めるようになったきっかけは、もう16年も前のはなしだ。ひとに言われたのだ。
「小説でも書いてみたらいいのに。」と。
彼は軽い気持ちで言ってみただけだったのかもしれない。SNSに載せた文章がおもしろいから、と。
けれど私にとっては、真っ暗な世界のなかに、一条の光が差したも同じだったのだ。当時の生活は、八方ふさがりで、逃げ道がまったくみつけられていなかったのだから。
寝る間も食事もめんどうなほどにのめり込んで、書き上げた最初の10作の長編小説は、一部のひとが面白がってくれただけで、とても世間に出せるような出来ではなかった。
強いストレスにさらされて生きていると、最初に目に影響が出る、と個人的には思っている。
当時の私は、紙に印字した文字を読むことができなかった。
テレビ画面を注視していることも、困難だった。
闇雲に文学賞に応募し続けるも、相手にされるわけもなく。やがて、「もう書くことを諦めさせてください。」と、仏に祈るまでになってゆくのだ。
やがて、実家を離れ、ストレスからかなり解放された。
金銭的な悩みからも、最低限、解放されることになった。
かつての私は、「卵を食べたいけど、買うお金がない。」というような困窮した状態だったから。
長編を、数年かけて2作書いた。あとは、ドラマや演劇作品をDVDで観まくった。
小説講座にも入ってみた。
お題を与えられて、次回までに書いて作品を提出するもので、文字数もかなり限られていた。
初回に「ぶり大根」というお題が出て、「ぶり大根」を題材にした掌編を2作提出したが、添削が帰ってくることはなかった。
先生が急死してしまったためだ。私は、それきり小説講座をやめた。
再びだらだらした生活をしていた私に、冷や水を浴びせるような事態が起こったのは、2020年の春のこと。
乳がんにかかっていることがわかったのだ。
6か月に渡る、通いでの抗がん剤治療ののち、秋には手術となった。
生きることにそんなに執着しているつもりはなかったのだけど、いざ、がんが切除されてしまうと、思っていた以上に嬉しかったのだろう。なんだかすごく元気になってしまった。
手術後にすぐに帰れるわけではないので、友達からお題をもらって、短編小説を書きなぐった。『仮装』、『お詫び』などの短編は、その頃のハイテンション状態で書き上げたものだ。
その後、「お題小説」をやりたいのだ、と別の友人に相談すると、あっという間にサークルを立ち上げてくれた。
そのサークルでは、なるべく短く、なるべく短時間で書き上げることが推奨されたので、お題が出てから1時間半くらいで書き上げなければならなかった。「鯉」や「春」、「窓」などの作品はそのときに生まれた。
あまりにスパルタだったためか、サークルはすぐにつぶれてしまった。
私は、エブリスタに入り、ある種のお題小説に取り組んだ。5000文字くらいから8000文字の作品はこのときにたくさん書いたが、いくらがんばっても賞を取ることができず、「優秀作品」に2作選ばれただけだった。
そのとき選ばれた作品が「命ある限り踊り続ける勇気と希望」と、「マリッジブルー」だ。
ステキブンゲイにも入ってみたけど、半年以上も読者がひとりもつかない状態で、辛酸を舐めた。
その他、文芸サークルにも入って、一応、管理人のひとりをやっている。結構な大所帯なので、ひとの数だけ考え方、感じ方があって、結構悩ましい状態ではある。
私は、自分のことを「長編物書き」だと思っている。最新作は3万文字程度、そのひとつ前は4万文字を超える。いま書いているものも、長くなりそうだ。
そして、noteに入ってみたはいいけれど、短編が歓迎される場所のようなので、正直悩ましい。そんなに短編ストックがあるわけではないのだ。
様子を見ながら、焦らず、よい付き合い方を探っていきたいと思っている。
読んでくださって、ありがとうございます。