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【小説】園子シリーズ『園田将一郎の憂鬱』(3/3)

 食事のあと、食器を軽く下洗いして食洗器にぶち込むと、将一郎と園子は予定通り、大掃除をすることにした。

 職場である大学が休みに入る二月まで、いまのアパートを借りっぱなしにするつもりである。

 本格的な引っ越しはそれからにしようと思っている。

 園子は将一郎に、背の高い棚の上を掃除して欲しいと頼んだ。園子ではどうにも手が届かないのだと言う。

「わかりました。脚立かなんかありますか?」

 園子に頼んで、脚立にのぼってみる。

「ああ、結構ほこりが溜まっていますね。雑巾で拭きましょう」

 将一郎が拭いていると、なんの脈絡もなく、園子は言った。

「ダニには目がないんだそうです」

 園子の脈絡のなさに、将一郎は慣らされている。

「ふうん。そういう細かいはなし、よく知ってますよね。生物学、好きなんですか?」

 園子はそれには答えずに

「自然界では、ダニはひたすら木の上のほうにのぼっていくそうです。

嗅覚だけを頼りに、枝の先に待ち構えて、木の下を通る動物の酪酸の匂いをキャッチしたら、枝から落ちてその動物にくっつき、血を吸うんだそうです」

 と言った。なんだか痒くなってきた。

 将一郎は
「それ、いまこの状態になってる僕に聞かせるはなしですか?!」

 と脚立の上から言う。

「すみません。退屈かと思ったものですから」

 と園子が言う。

 やばいぞ、と将一郎は思い始めていた。

 さっきの朝食のソースのはなしといい、いまといい、園子を自分色に染めるどころか、園子の独壇場ではないか?

 このまま将一郎の着る服や趣味や仕事にまで口を出されたら―――

「掃除が終わったら、将一郎さんの服を買いに行きましょう」

 来たな、と将一郎は身構える。

「なんでですか? 充分足りるだけ持ってきているし―――」

「少し数が少ないと思うんです。それに……将一郎さんの服装は、センスはともかく若すぎます。あなたももう四十五なのですから、もう少し大人な装いを―――」

「園子さん、園子さん!」

 将一郎は脚立から降りると、園子の両手を握った。そのまま、園子の背中まで抱きしめた。

「園子さん、もう全部自分で決めなくていいんです。僕のことは、僕が決めますから」

 将一郎の腕のなかで、園子は小さく、はい、と頷いた。

「掃除が終わったら、夕食の買い出しに出かけましょう。僕、メインで作りますから、園子さん手伝ってください」

 園子はなにか言いたそうにしたが、結局

「はい」

 と了承した。

「それから、ケーキも買いましょう。園子さん、なんのケーキが好きですか?」

 園子は頬を赤く染めて

「生クリームに苺の……」

 と口ごもる。

 将一郎はにっこり笑って

「良かった。意見が合いましたね。僕もそれが一番好きです」

 と言った。

 やがて、掃除を終えて、身支度をしたふたりが部屋を出てゆく。

 繋いだその手には、真新しいシルバーの指輪が光っていた。

〈おしまい〉

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