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【短編小説】クロール

 幼い頃、クロールはサメに襲われたときに逃げるために覚えるのだと教わった。平泳ぎは遭難したときにできるだけ長く泳ぎ続けるため、背泳ぎは体力温存しながら永らえるため。日本海側の荒れた海で、父と母から教わった。

 けれど私はきっともう、サメに襲われることも海で遭難することも、この先ないまま一生を終えるのだろうと思っている。私は75歳で、内陸の地で暮らしているからだ。

 ただ私は、まるで茶道をやるかのように、毎日欠かさずクロールを泳ぐ。内陸の地の温水プールで。茶道に型が決まっていて、そこにさして意味などないように、私のクロール道にも型があり、そこに意味などなにもない。

 ただ美しく、型通りに、なんの無駄もなく身体を動かすことは、己の精神を沈め、私を強くしてくれる。できるだけ身体が透き通るように、心身ともに余計なものがそぎ落とされるように、きょうも私はクロールを泳ぐ。

 飛び込み台から飛び込むときは、態勢をできるだけ低くして、ほんのすこしだけ、柔らかい弧を描く線のように飛び込む。水音を大きく立てることも、騒々しい水しぶきを上げることも、クロール道に反している。

 できるだけ水底深く沈み込むように、そして飛び込んだときの勢いだけで、自然に浮かびあがるまで前に進む。できるだけ、できるだけ、前に進む。水のなかでは音がほとんどない。ひとり。ひとりきり。私は私自身と向き合う。

 水中から浮かび上がってきたら、そこでやっとかき始める。腕を無駄なく動かし、水をかいたら水中へ再び、滑り込ませるように。足のキックは太ももから動かし、無駄に水を蹴り上げない。水しぶきはやはりいらない。身体の芯が一本縦に通っているように、左右のバランスが整っているように、それが一番大事なことだ。

 頭のなかは、無にはならない。むしろ日ごろの喧噪のなかでは考えられないようなことを、ただひたすらに考える。仕事のことや未来のことを考えることもあれば、昔のことを思い出すこともある。

 かつての私にはひとりの夫とひとりの娘がいたが、どちらももはやこの世のひとではない。そんなことも考える。かみ砕き、思い出にひたり、そして前に進む。クロール道は私には欠かせない。これがあるから、忙しすぎる毎日もなんとかこなしてゆけるのだ。

 一キロ泳いでプールを出ると、私の秘書が待っていた。
「お客様がいらしてます。長瀬水季さんとおっしゃる方です」
 秘書は告げた。

「そう。すぐに行く」
 秘書はバスローブを二枚持って立っていた。白いバスローブと黒いバスローブと。私はシャワーで身体についた塩素を流し、髪を手早く洗う。

「白と黒、どっちがいいと思う」
 私が秘書に尋ねると、彼女はしばし躊躇したのち
「し、白でしょうか……」
 と自信なさげに言う。

「そう、じゃあ黒にする」
 秘書から黒のバスローブを受け取り、応接室へと歩きながら着る。

「お待ちください。その恰好でお会いになるんですか?」
 秘書は慌てて追いかけてくる。私は歩くのがすごく速い。

「いいじゃないの。私の客だし、私の会社なんだから」

 さっぱりした。日頃の慌ただしさをリセットするために、やはりクロール道は欠かせない。


≪了≫

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