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【短編小説】蜘蛛の糸
日暮れの早い秋の終わり、ビルディングや店のショーウィンドウが一斉に夕映え色に染まる時間に、横呉太一は『テーラー倉本』の扉を開いた。
ドアの上に付けられたベルが深みのある音で来客を伝える。まもなく店に店主が現れる。ボーラーハットを被り、グレーの三つ揃えのスーツを着た細身で背の高い男性だ。歳の頃は四十代の後半くらいか。
「いらっしゃいませ。ごゆっくりご覧ください」
店主は感じの良い挨拶をする。
太一は少し迷ったのち、
「あの、すこし、変わったものを探しているんだけど。この店にあるらしいって、ちょっと小耳に挟んだんでね。来てみたんですよ」
と言った。
横呉太一は今年で四十六になるが、まるきり年相応に見てもらえない。身長は155センチしかないし、どう見ても童顔なので、「若く見える」を通り越して、「子供に見え」てしまうらしいのだ。
ビールを買おうとして身分証明書を要求されることなどしょっちゅうだ。だから初めてのひとに会うときは、つい気張った喋り方をしてしまう。
「変わったもの、と言いますと」
店主が目の端を少し光らせた。太一は勇気を出して口にした。
「実は―――蜘蛛の糸で作った服があるって聞いたんですよ」
「ほう。蜘蛛の糸で作った服が。そんなものがあるんですね」
店主がしらばっくれるので
「あるんでしょ! 本当は!」
と太一は大きな声を出してしまった。
「ありますね、本当はね」
店主も同意した。
「しかしあなた、蜘蛛の糸で作った服の効果をご存知なんですか?」
「もちろん!」
太一は語気を強める。
それから急に小声で
「つまり、あれでしょ。蜘蛛の糸で作った服を着ると、透明人間になれるんでしょ。蜘蛛の糸で作った服を着た俺は、誰からも見られないんでしょ」
と店主に耳打ちした。店主は頷き、その通りだと言った。
「しかし驚きましたね。そこまでご存知だとは。そして確かにおっしゃる通り、この店には蜘蛛の糸で作られたハイネックのセーターがあります」
「ほら、やっぱりだ! この店には蜘蛛の糸で作られた、え? ハイネックのセーター? があるの?」
「ございます」
店主はにっこりと会釈した。
「えっと、それだと上半身しか隠せないじゃん。あとのところはどうすればいいの?」
太一は驚きのあまり、状況をよく飲み込めない。
店主はこほんと咳払いして
「えー。完全に透明になるには、①帽子、②フェイスマスク、③ハイネックのセーター、④手袋、⑤ズボン、⑥靴下、⑦靴、すべて蜘蛛の糸で作られた製品を手に入れられなければなりません」
と言う。
「え、で? ここには③のセーターしかないの? ほかのものはどこに行ったら買えるの?」
太一は狼狽した。
店主はとても響くいい声で
「透明人間になれる蜘蛛の糸製品は、七つに分かれてこの世界中のどこかに点在しています。あなたはこれから、それを探す旅に出るのです!」
と言ったが、横呉太一は床にしゃがみ込んだ。
「えー……。やだよ、めんどくさいもん。旅とか、ちょう疲れるもん。なんかそんなふうなはなし、どっかで聞いたことあるし……」
早くもこころ折れた太一に、店主は優しかった。
「本来ならば、世界を旅して七つの蜘蛛の糸製品を集めていただくのが最も望ましいのですが、お客様のように『めんどくさい』とおっしゃる方もいらっしゃいます。そういう方のために、通販もございます」
太一は目を輝かせて店主を見上げた。
「通販あるの?! 早く言ってよ~!」
「えー、七つの蜘蛛の糸製品から毎月ひとつずつ、ランダムにお届けする『蜘蛛の糸製品で透明人間の会』というのがございます。毎月なにが届くのか、どきどきわくわくしながらお待ちいただけるカタログショッピングです」
太一は頭を一瞬抱えたが
「うーん、まあ、そういうのもどっかで聞いたことあるけど、まあいっかあ! いくらなの?」
と立ち上がって訊いた。
店主は答える。
「一か月七千円プラス消費税です」
「はい! 申し込みます!」
横呉太一は手を挙げた。
≪了≫