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【長編小説】六花と父ちゃんの生きる道 第十五話(最終話) 世界は動き続ける

〈これまでのおはなし〉
 小学六年生の六花は、突然の交通事故でお母さんを亡くしたばかり。六花はあれ以来学校に行っておらず、父ちゃんは会社に行っていない。行っていなかったのだ、いままでは。
 ひょんなことから、学校と会社に明日から行くことになった。不安がないわけではないけれど、六花は父ちゃんとともに歩き出そうとしていた。


 父ちゃんが米の予約タイマーをセットして、それからふたり並んで歯を磨いた。こんなことも初めてだ。

 お母さんの歯ブラシ、捨てられそうにない。六花と父ちゃんの歯ブラシが古くなって買い換えても、お母さんの歯ブラシは、変わらずそこにあるのだろう。

 死んじゃったら、歯ブラシ要らないんだ。不思議。死んじゃうって、不思議。

 父ちゃんにおやすみを言って、二階に上がる。スマホ充電して、目覚ましを六時半にかける。

 ベッドに横になって、しばらく寝返りを繰り返したけど、自分の髪に纏わりついた、お母さんの匂いが気になって眠れない。

 六花は耐えきれず、ベッドを抜け出した。

 灯りをつけずに屋根裏部屋に行き、暗いなかに座っていた。目が慣れてくると、星々がとても明るく明滅している。

 夜空だけの世界。静かな、穏やかな世界。

「この世界は、ストローの穴から空を眺めるようなもの。」
 言ってみて、ふふっと笑った。お母さんの表現が詩的に思えるから不思議だ。

 六花は自分の髪を少し手に取り、鼻に当てた。

 実は、六花はさっき、大泣きしたのだ。子供のように、聞き分けなく泣いたのだ。まあ、子供だけど。

 髪を洗おうとして、いつものシャンプーに手を伸ばしたとき、お母さんのシャンプーが目に入った。緑の四角いボトルで、白いラベルが貼ってあり、白い花の絵が描かれている。

「SIRAYURI……白百合、か!」
 このボトル、見たことある。さっきのボタニカルショップで、確か売ってた。なんで気が付かなかったんだろう。

 興味本位で髪につけたのがいけなかった。洗っているうちに、ものすごく哀しくなってきた。シャワーでトリートメントを流すとき、ぼろぼろぼろぼろ涙が零れた。

「なんで? なんで帰ってこないの! お母さんは、帰ってこないって言わなかった! 行ってきますもさよならも、なんにも言わないで、どうして……。」

 吠えるような泣き声が出て、ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん泣いたけど、シャワーのお湯で、口も鼻も塞がれて、呼吸が全然できなくなって、死ぬかと思った。死ぬかと、思った。

 そうか、死ぬってそういうことなんだ、きっと。六花は思った。

 お母さん、怖かったね。苦しかったね。つらかったね。よくがんばったね。偉いよ。そう思ったのだ。

 父ちゃんがあんな夢をみたのも、あながち外れてはいないのだ。だからちょっと、焦ってしまった。

 いま、六花は窓に切り取られた夜空を見上げてる。哀しみや、怒りや、寂しさや、後悔は、きっとまた寄り戻ってきたりするだろう。

 でもいま、六花のこころはとても穏やかなのだ。

 六花は夜空に向かって、ひとり、語り掛ける。

「お母さん、今度生まれたらなんになるの? この国じゃないかもしれないね。人間じゃないかもしれないね。動物でもないかもしれないし、そもそもこの星でもないのかも。どんな命に生まれても、祝福され、愛されていますように。宇宙を動かす力が、いつの日も、あなたの味方をしてくれますように。」

 六花はクッションからどいて下がると、正座して手をつき、頭を下げた。

「お母さん。これまで育ててくれて、精いっぱいの愛を注いでくれて、ほんとうにありがとうございました。」

 こころは満たされている。愛と感謝で満たされている。いつか風に揺らぐときがあっても、今夜のことをきっと思い出そう。

 やがて六花は星空を見上げてほほ笑むと、部屋をそっと出ていく。自分の部屋に寝に帰る。

 誰もいなくなった屋根裏部屋の窓でも、星々は変わらず明滅を繰り返す。

 しばらくすると、月の光が窓から差し込み始めた。

 誰もいない部屋を、月の光が窓の形に徐々に差し込み、机の上に驚くほど明るい光を落とす。誰も知らない間にも、世界は動き続けているのだ。

 お母さんの香りが、まだ小部屋にほんのり残っていた。


<おしまい>

お読みいただき、大変ありがとうございました!


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