【(やや)短編小説】マリッジブルー・前編
五月の曇りなき空に、色とりどりの花が舞う。ここは瀬戸内のガーデンフレンチレストラン。「海の見える」が謳い文句のこの店からは、確かに、きらきらと日光の反射する穏やかな海が見える。
「みちるちゃん、貴文さん、おめでとう!」
「おめでとう!」
純白のウエディングドレスに身を包んだみちるは、両サイドで花をふりまいてくれている友人たちに、はにかみながら笑顔を向ける。
この日のために生きてきたのだ、とみちるは思う。そう、この日がたぶん頂点だ。あとはきっと、下る一方。隣にいる貴文の顔を盗み見る。声援に応えている横顔は、やっぱりかっこいいな。好みだな。
貴文さんはイケメンだし優しいし、車の運転丁寧だし、どこにでも遊びに連れて行ってくれるし、新しい世界を見せてくれる。仕事もしっかりしたところにお勤めだし、家事もできる。最高の恋人、そして今日からは、最高の旦那様。
なのに胸騒ぎが治まらない。さっき貴文さんに言ったら、マリッジブルーだと言われた。
「考えすぎだよ、みちるちゃん。花嫁さんは、多かれ少なかれ、そんな気持ちになるもんなんだって。
僕と結婚して、なんかマイナスなことある? ないでしょ? ほら、気のせいだ」
こういうとき、みちるはうまく言い返せない。貴文さんの言っていることは正しい。たぶん正しい。大体、結婚式直前になって、うだうだ言ってみても始まらない。けれどみちるの悪い予感は、いまに始まったことではなかった。貴文との結婚が決まった三か月前から、たびたび動悸や悪夢、呼吸困難に襲われていたのだ。
でもどうしても、貴文さんと結婚したかった。イケメンで、すらっと背が高くて、見栄えのする貴文さんと結婚したら、いままでみちるを馬鹿にしてきた友人たちも、一目置くはずなのだ。
こんな考え、貴文さんに失礼だし、嫌らしい、汚らしいと、みちるもわかっている。でもどうにもならないのだ。こころが、いうことをきいてくれないのだ。
ひとつ、みちるの信じていることがある。
人間は平等ではないのだ、ということ。しあわせな人生を送るひともいる。ふしあわせな人生を送るひともいる。生まれながらにして、裕福で家庭円満な家で、健康で美貌や才能に恵まれたひともいれば、うまれながらにして、貧しく家庭不和で、病気がちで不器量で、なんの才能もないひともいる。
誰のせいでもない、自分のせいだ。前世の自分の行いが、今生の運不運を決めるのだ。
生まれながらにしてもった運を、福運という。福運をたくさんもって生まれてくるひともいれば、福運がすぐに切れてしまうひともいる。みちるは、自分は後者だと思っている。
福運が尽きた日のことを、みちるははっきりと覚えている。みちる、八歳のときのことである。
隣の家の火災に巻き込まれ、みちるの家も火をもらった。母親はその火災で死んでしまった。みちるも顔から背中に掛けて、火傷を負い、いまも消えぬ跡が残っている。その火事以来、父親は飲んだくれ、挙句の果てに死んでしまった。
みちるは親戚に預けられ、中学卒業と同時に就職し、独り暮らしを始めた。お金がなかったわけではない。火災保険は充分に入ってきた。ただ、学業を続けることに魅力を感じなかっただけだ。
みちるは愛媛のお菓子工場で働き始めた。工場では、完全衛生服で働く。見えるのは、透明フィルム越しの目元だけだ。
来る日も来る日も、みちるはベルトコンベアーに乗せられてくるお菓子をチェックし続けた。形の崩れたもの、割れてしまったものを排除し続けた。
それを続けて十年が経つ頃、本社のひととしてやってきたのが、貴文だった。すっかりベテランスタッフになっていたみちるは、貴文に工場内を案内する役を任じられた。
「係長の綾瀬貴文です。本日はよろしくお願いいたします」
「中村みちるです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
貴文も完全衛生服なので、顔はわからない。でも目元は優し気な感じがした。声も優し気だった。貴文は感じも良かったから、かっこいいひとだといいな、とみちるは思った。
工場は郊外にあったから、働いているスタッフはみんな、専用の送迎バスに乗って帰る。みちるがバスに乗ろうとすると、一番後ろで手招いているひとがいた。見慣れないかっこいいひと。それが貴文だった。みちるは手招きに応じて、バスの後ろの席に座った。
「みちるさん、今日はどうもありがとうございました。綾瀬です」
と、貴文は名乗った。
「お疲れ様でした。でも、どうして私がわかったんですか? 目元だけしか見えてなかったでしょ」
貴文はふふっと笑って
「だってみちるさん、小さいでしょ。こんなに小さいひと、この工場にあなたしかいませんよ」
と言った。
小さくてよかった、とみちるは思った。小さかったから、見つけてもらえたんだ、このひとに。
(後編につづく)
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