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【短編小説】望月パセリとつきあうということ(2/4)
初めてのデートは、上野の国立西洋美術館に行った。待ち合わせの上野駅、改札を出たところで待っていると
「いま、どこにいますか?」
とラインが入った。
パセリが迷っているのかもしれないと思って顔を上げると、二メートルくらい先にパセリはいて、僕ににこにこと微笑みかけていた。
上野公園は秋の穏やかな陽光に包まれ、紅葉した木の葉が落ちては舞っていた。パセリは落ちてくる木の葉を踏みつけて歩く遊びに夢中になり、まるで子供のようだと思ったものだ。
美術館の十七世紀の西洋画展に入場する前に、トイレに寄った。手を洗っているとライン通知が鳴る。
「いま、どこにいますか?」
もちろんパセリからだ。
「どこにいますか、って、トイレだよ……」
そんなに待たせたはずはないがと思いながら、急いでトイレを出ると彼女はいない。
うろうろ探し回っていると、悠々としてパセリはトイレから出てきた。すぐに僕を見つけ、にこにこして小走りでやって来る。
そのとき僕は、これはひょっとしてちょっと困った娘なのではないかと思った。不安症とか? 情緒不安定とか? つきあったら面倒な娘なのではないかと思った。
それで展覧会を観ている間はお互いに携帯の電源を落としておこうと提案した。
パセリは
「わかった」
と言って、すぐに電源を落としてくれたが、それはそれで困ったことになった。
パセリと歩調を合わせようと思っていたのに、僕には彼女の動向がさっぱり読めないのだ。
パセリは気に入った絵の前では、じれったくなるくらいずっとその絵の前から動かないし、興味のない絵は平気で飛ばして行ってしまう。
展示されている絵を順番通りに観て回ることもない。平気で行ったり、戻ったりする。
彼女が「短くてしょっぱい恋愛」を繰り返している理由がなんとなくわかる気がした。パセリのことを追いかけまわして、僕はすっかり疲れてしまった。
「純くんは純くんの好きな絵を見ればいいのに」
美術館のあとで立ち寄った喫茶店で、パセリはなんでもなさそうに言った。
その段になって初めて、僕は絵をほとんど観ていなかったことに気づいた。
そんなふうに始まった恋愛は、すぐに終わると思ったわりには続いていて、交際二か月めに突入した。パセリのことを少しはわかってきたと思っては、やっぱりわからないと思いなおす、かなりじれったい日々だ。
もっとも、よほどのことがない限り、僕は性格上、自分から彼女に別れを告げるなんてできないし、パセリのほうから別れを告げてくるとも考えにくかった。
まる一か月の月日でわかったのは、パセリは僕に依存しているわけではないということだった。
予想に反して、パセリが僕に連絡をくれる頻度は少なかった。
こっちから連絡すれば返事をくれるが、向こうから連絡が来ることは少なく、それも圧倒的に写真が多かった。
どんぐりをコンクリートの上に並べてぐにゃぐにゃの線を描いた写真や、顔が隠れるほどの大きな落ち葉を顔の前に据えた写真や(つまり、パセリの顔は映っていない。落ち葉人間みたいなのが映っている)、美味しそうな炊き込みご飯を炊飯器のなかでほぐして湯気が立っている写真や、かりんと音がしそうな下弦の月や、どこの野良猫かわからないでっぷり太って目ヤニのついた猫の写真や、あとは、よくよく見てもなんなのかよくわからないような写真。
「いま、どこにいますか?」というラインは、必ず一緒にいるようなときに入った。その意味もだんだんわかってきた。
いま目の前にいる僕の「こころ」はどこにいるか、というような意味なんだろうと思った。ほんとのことはわからないけど。
僕にはパセリは「自分は自分でいいのだ」ということを体現して生きているように見えた。そして些細なこころの離れも、敏感に感じ取っているように見えた。
こんなふうに生きられたら、どんなにいいだろう。
憧憬のまなざしで、彼女を見、豊かな感受性に徐々に惹きつけられていった。
そんな矢先に、事件が起こった。
(つづく)
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