【短編小説】悲しき恋のはなしなど(2/2)
琢磨は受験大学を、東京六大学に絞ろうと決めた。勉強頑張って、ユキのことを見返してやるんだ。
そう思うと、悲しみすらエネルギーに変わった。
猛勉強の甲斐あって、琢磨は東京六大学の法学部すべてに合格した。
琢磨の挑戦はそこで終わらなかった。否、むしろ始まりですらあった。
勉学はもちろんのこと、ぜひとも骨のある女子に出会いたいと思っていた。追いかけるに足る女子に。
そしてこっちのほうが、やってみると難易度が高かった。
琢磨は自らの容姿のせいで、いささかモテすぎた。どんな美人でも、琢磨が誘えばあっさり乗ってきた。
それが琢磨には物足りなかった。
「ごめん、そんなつもりなかった。」
そう言って、容易い女たちを振りまくった。
そうして、「プレイボーイ」の称号を冠するようになった頃、琢磨はやっと運命のひとに出会った。
そのひとは、学食の大きな窓の見渡せるテラス席に座って、本を読んでいた。それが法学部の教科書だということは、琢磨にはすぐわかった。
女性は飾り気のないショートカットに眼鏡を掛け、淡い色のブラウスに濃い色のスカートを履き(琢磨には、それが何色なのかわからないのだった)、スニーカーを履いていた。
お世辞にも、容姿に恵まれているとは言えない。
彼女から伝わってくるのは、不器用なまでの真面目さだけであった。
それでも琢磨の直観が、このひとだ、と言っていた。
「向かいの席、いいですか?」
琢磨は女性に声を掛けた。ほかに空いている席がいくらでもあるにも関わらず。
「ど、どうぞ」
女性は消え入りそうな声で言い、ふたたび本に目を落とす。
琢磨は席に腰掛けると、真面目そうに彼女とまったく同じ本を広げ、読んでいるふりをしながら、テーブルの下で、脚で女性の脚を挟んだ。
「ひっ!」
女性は小さく悲鳴をあげ、驚いた瞳で琢磨を見る。
「ねえ。何年生? 名前なんて言うの?」
女性はそれには答えずに、本を閉じて立ち上がった。
お辞儀をして去り行こうとする彼女の手首をつかんで
「名前だけ! 教えて! お願い!」
と言う。
女性は小さな声で
「中村つむぎ。」
と答えると、腕を振りほどいて去って行ってしまった。
その背中に
「つむぎちゃんね。いい名前だ!」
と呼びかけて、琢磨は満足した。
中村つむぎ。追いかけるに足る女性が見つかった。
広い人脈を駆使して探してみると、中村つむぎは琢磨と同じ一年生で隣のクラス、弁護士研究会というお勉強サークルに入っていることがわかった。
琢磨もすぐさま弁護士研究会に入会した。
と、ここまでは順調だったのだが、その先が苦戦した。
琢磨はつむぎの履修している授業に潜り込んで、隣の席に座る。つむぎは驚くのだが、出口はすでにふさがれている。
仕方なしに授業に集中したつむぎに、紙切れを差し出す。
『好きです。デートしてください。僕は白鷺琢磨といいます。』
紙を見て、つむぎは困ったような顔をして、その紙を突き返した。
琢磨はつむぎの授業が終わるところを待ち伏せしたりもした。
帰り道の彼女を後ろから追いかけ、そしらぬ顔で手をつなぐ。ユキ先輩が使った手だった。
つむぎは驚いて、手を振りほどいて駆けて行ってしまった。
中村つむぎが逃げれば逃げるほど、琢磨は夢中で追いかけた。
いまだったら、ストーカーなんて言われてしまうのかもしれないけれど、当時はそういう言葉はなかった。
少しずつ、少しずつ、引いてみたり押してみたりしながら、琢磨は確実につむぎの懐に入っていった。
それでもつむぎと会話ができるようになるまでに、三年の月日を要した。
それは突然だった。つむぎは階段を上がっているときに、琢磨がついてきているのに気付いたのか、踊り場で足を止め、振り返ってこう言ったのだ。
「お付き合いするなら、絶対に結婚するって約束してくれますか?」
琢磨は驚いたが
「もちろん! 付き合ってくれるの? ほんと?」
と喜んだ。
「それでは、白鷺さん、よろしくお願いします。」
つむぎは、結婚するまで身体の関係はなしだと言った。
琢磨は早く結婚したくてたまらなかった。
大学を卒業し、社会人になって二年目に、ふたりは結婚した。一緒に暮らし始めて一か月。
結婚前にお互いのことを知らな過ぎたということもあるけれど、琢磨は違和感を覚えていた。
俺の好きな女はこんな女だったか?
抱いてもつまらない、話をしていてもつまらない、見た目もいまいち。
疑問を抱きながらも、ふたりはやがて子供を作った。ふたり目が生まれる頃には、琢磨のこころのなかに諦めが生まれた。
やがて琢磨は美形の若手弁護士として、テレビにも出演するようになっていった。
事務所を大きくするとともに、事務スタッフを一新し、若くて美しい女性たちばかりを雇った。
そしてその女性たちを、持ち前の粘り強さで、文字通り、ひとりひとり押し倒していった。
それは堰を切った川の流れのようだった。琢磨には、もう自分自身を止められなかった。
一連の情事を週刊誌に暴かれ、つむぎと離婚するまでに、結婚してから七年の歳月が流れていた。
………………………
〈中村つむぎの証言〉
私はどういうわけか、幼い頃から自尊感情をあまり多く持ち合わせてはいませんでした。
勉強もスポーツもそれなりにできたし、なぜなのか、自分でもよくわかりません。
ただ、幼なごころに、こんな私を愛してくれるひとなんて、決して現れないだろうという確信があったのです。
だから、生涯ひとりでもいいように、弁護士の資格を取って、生計を立てていこうと考え、法学部に入りました。
そこで声を掛けてきたのが、白鷺琢磨だったのです。
こんなに魅力的なひとが、私のことを追いかけてくれるなんて、にわかには信じられませんでした。
私は彼の愛を、何百回も何千回も試しました。
抜かりなく結婚に持ち込めて、よかったと思いました。
でも結婚してみて、気づいたのです。
彼は、私が逃げるから、ただ追いかけていただけなのだということを。
追いかけることが目的化してしまっただけで、私のことを見てはいなかったのです。
いまさら振り向かせようとしても無理でした。
こんな結末になってしまったけど、彼のことを恨んではいません。彼は追いかけ続けるひとだから。
この先も、大きななにかを追いかけ続けるに決まっているから。
白鷺琢磨の今後の活躍に期待します。
短い間だったけど、結婚生活という夢のような体験ができて、ふたりの子供の母親になれて、しあわせでした。
ありがとうございました。
【おしまい】