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【短編小説】AI
20XX年4月某吉日。桜吹雪の舞い散るなか、AIの未来についての講演を聴く為150人ぐらいのひとがここ茨木さわやかふれあいホールに集結していた。
進行役が舞台上でマイクをとる。
「えー、本日司会進行を務めます烏田獏と申します。よろしくお願いいたします。これからの時代、AIつまり人工知能とはどうあるべきか、枕山東大学人工電子工学部認知行動人工知能研究学科常任客員教授の簾田光圀教授にお話を伺いたいと思います」
「簾田です。よろしく」
「さっそくですが簾田教授、AIつまり人工知能の現状とこれからの課題について、どのようにお考えでしょうか」
「はい。現段階においても既に、AIは優れた知能を持っています。人間の能力を超越した正確さ、迅速さ、蓄積された情報量の多さ、複雑な問題を瞬時に解決する能力。これらについて、もはや人類は何人もAIに敵うことはないでしょう。
一方で、AIにはこんな弱点もあります。有名な話なので、耳にされた方もあるかと思いますが、『AIロボットはお茶の入ったティーカップの置かれたテーブルのぎりぎり横を通り過ぎることができない問題』です。
状況を説明しましょう。テーブルとテーブルがあって、片方のテーブルにティーカップが乗っています。テーブルとテーブルの間はぎりぎり通れるくらいの狭さ。
人間だったら、『ぎりっぎりだけど、たぶんなんとか通れちゃうよなあ』と判断して通ってしまうようなところです。ところがAIロボットは通れない。
瞬時にありとあらゆる危険を想定し、ティーカップのお茶をこぼしてしまう可能性を察知、『通れない』と判断するわけです」
「なるほど。そこにこれからのAIに関する課題がある、と」
「その通りです。ここからみえてくる課題とは『これからのAIはもっといい加減になるべきである』ということに尽きると思います。
ティーカップに限らず、どんな行動にも必ずリスクが伴います。いいですか、必ずです。どんなに緻密に計算したとしても、行動する以上100%はありえません。
そう、これからのAIに必要なのは、『ま、たぶんなんとかなるだろう』といういい加減精神なのです。
ここで一人の学生を紹介します。向原卓くんです」
「さあ、ここからは学生さんにもご参加いただきます。向原さん、宜しくお願いします」
「向原卓です。よろしくお願いいたします」
「向原卓くん、まさに彼はAIのこれからの課題である『いい加減さ』を存分に持っている人物です。
スクリーンをご覧ください。向原くんの独り暮らしのワンルームを撮影したものです。どうです。まさにいい加減、いい加減な乱雑さでしょう。
向原くんはカーテンフックにカーテンを均一に吊るしたりなどしないのです。
これは大学での一枚。向原くんは一体なぜいつも、左右の靴がばらばらなのか。永遠の謎であります。
さらに向原くんは一か月に三分の一の確率でバイトに遅刻し、二週間に一回のペースでお客様にビールをぶちまけます。
ゼミの授業に至っては三か月に一回しか出席しないので、当然今年も留年でしょう。
どうですか。このような『いい加減さ』こそ、今後のAIの習得すべき課題であると言えるのではないでしょうか」
「……そうでしょうか」
「はい? 烏田さん?」
「あの、向原くんのようないい加減さ、AIに要りますか? だったらAIじゃなくて、もう向原くんで良くないですか?」
「ふふ。いいところに気が付かれた。そういうふうにも言えると思います」
「……ふふ。ここまでのお話は、枕山東大学人工電子工学部認知行動人工知能研究学科常任客員教授の簾田光圀教授に伺いました。
ゲストとして向原卓さんにもお越しいただきました。お二方とも、貴重なお時間ありがとうございました。
司会進行は私、烏田獏が務めさせていただきました。
ご来場の皆様、本日は誠にありがとうございました。桜の花びらで、足元大変滑りやすくなっております。どうかお気を付けてお帰りくださいませ」
≪おしまい≫
お読みくださって、ありがとうございます!