【短編小説】夜半(よわ)の雨(2/2)
蒼子の病室の近くに医者たちの休憩室があって、よく耳をすませていると会話が聞こえてくることがある。
中川先生がそのなかに居れば、すぐにわかる。声が尋常じゃなく高くて硬いからだ。
中川先生はとにかくすごい。
「さすがですね」とか「知らなかった」とか「すごいですね」とか、女性が男性に気に入られたいときに使う「さしすせそ」というのがあるのだが、中川先生はその「さしすせそ」をいくら使っても、場から浮いてしまっているのである。
なじめないというのか、中川先生が気を遣えば遣うほど、空気が遠のいていくのである。
蒼子は、なんて不器用なひとなんだろうと思って、中川先生に好感を持った。中川先生は仕事も速くて正確だし、服装も髪型もメイクも完璧なのである。
「私のなにがいけないんだろう……なんでひとと仲良くなることが、私にはできないんだろう……」そんな悩みを持っているのではないかと勝手に想像して、蒼子は中川先生がおもしろくなってしまった。
そんなある日のことである。いつものように中川先生が来て、愛想も素っ気もなくてきぱきと傷口をチェックして帰って行った。
いつも通りだった。
いつも通りだったのに、蒼子はなにかひっかかっているのである。中川先生はいつも通りだった。でも、なにかがいつもと違ったのである。
「思い出せ、思い出せ! この違和感の正体を」
蒼子はしばし悩んだ。悩んだ末に、この間違い探しゲームの答えを見つけたのだ。
きょうの中川先生は、ネームプレートが「園田」だった……。
間違いない、確かだ。だがこの事実は、さらに蒼子を悩ませる。中川先生のネームプレートが「園田」だったとして、考えられる理由と言えば……
① 中川先生はなんらかの理由で、きょうは園田さんの白衣を着ていた。
② 中川先生は結婚して園田になった。
③ 中川先生は離婚して園田になった。
①番と②番だったらいいけど、③番だったら話題にするのはまずい。年齢的にも、結婚でも離婚でもありえそうだし。蒼子にはなんの関係もないのだけど、ネームプレートの理由が結婚であればいいなと思った。
で、リンパマッサージをしてくれる理学療法士の佐川さんに訊いてみた。おそるおそる。
「あのー、中川先生って、中川先生ですか?」
意味のわからない質問文だが、佐川さんは理解してくれた。
笑いながら
「中川先生はご結婚されて、十一月から園田先生になったみたいですよ」
と教えてくれた。
「結婚?! わあ、よかったあ、よかったあ」
マッサージの間、ずっと中川先生もとい園田先生の結婚を喜んでいたので、佐川さんは
「四ノ宮さん、まるで園田先生のお母さんみたいに喜びますね。年は園田先生のほうが上なのに」
と言って笑った。
蒼子の入院生活にも、やっと終わりが来ることになった。
手術痕の廃液がある程度少なくなったので、帰っていいことになったのだ。退院の日は十一月初めの日曜日に決まり、お迎えも頼んだ。
明日が退院という日の夜中、蒼子はふっと目が覚めた。窓辺に行ってそっとガラス戸を開けると、夜半の雨が降っていた。街の灯りが、街灯が、看板が、弱い雨に濡れそぼって滲んでいた。
ある瞬間のなにげない風景が、似たような風景の過去の記憶を連れてくることがある。
二度とそこに戻ることができないというだけで、ただそれだけの理由で、なにげない過去の記憶はことさらに甘く、切なく、しあわせなものだったと感じさせる。
蒼子にとって、雨に濡れた街の灯りが連れてきた記憶は、まだ小学校にあがったばかりくらいの頃のものだった。
そのときの蒼子は、知り合いのご夫婦の家からの帰り道で、車の後部座席に揺られていた。雨に濡れた夜の灯りを見ていた。
蒼子の大好きなおもしろいおばさんと、おっとりしたおじさんと、蒼子の父と母とまだ幼かった妹と、楽しく過ごした帰り道。
とっても楽しい一日だったから、帰り道は寂しくて、切なくて、でも楽しい余韻はまだ残っていて。そんな瞬間を思い出した。
あれからどんなに遠く来てしまったのだろう。いま思えばあの頃は、蒼子の人生は始まったばかりだったのだ。
あのおじさんも、蒼子の父も母も、もはやこの世に存在しない。
大好きだったおばさんは、重度のアルツハイマーで、もうなにもわからないのだと聞いた。妹はいまも生きているが、もう幼子なんかではない。
楽しく過ごしたあの家も、とっくの昔にどこにもない。
どこに行くのだろう。蒼子はどこまで行くだろう。
それでもきっとこの夜は、病院の窓からみた夜半の雨は、いつかとてもしあわせだった記憶として思い出される。そんな気がして、いつまでも眺めた。
〈了〉
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