【回想録 由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い 第50回】
🔷 「入院」の中の「由美子のいなくなった夏『面会日誌』 十九日間の記録」(3)を掲載します。🔷
『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』
(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)
2016年1月25日 発行
著者 藤巻 隆
発行所 ブイツーソリューション
✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第50回)✍
「入院」の中の「由美子のいなくなった夏『面会日誌』 十九日間の記録」(3)を掲載します。
入院
由美子のいなくなった夏『面会日誌』 十九日間の記録(3)
入院 八日目(七月二十八日 火曜日)
三十日にステントで食道を拡張することが決定。これで食事が喉を通るのだろうか? さらに、脳のCT撮影をする。病室を後にした主治医に声をかけ、訊ねた。
「超高濃度ビタミンC点滴療法がありますが、どうなのでしょうか?」
すると、主治医は間髪をおかず、「あ~。またその話か。よく訊かれるけど、私の知る限り、ただの一人もビタミンCで治ったという患者は聞いたことがない。しかも保険が効かない。コントラヴァーシャルだ」。
それ以上話すことはできなかった。コントラヴァーシャルの意味は、議論の余地が「ある」だが、その時、議論の余地が「ない」としか聞こえなかった。
腹水を抜いたドレーンは、一度は交換しているはずだが、いくらでも抜ける。
入院 九日目(七月二十九日 水曜日)
昨日の主治医の対応について考えた。いったいどれだけの患者を診てきたのだろうか?自分の経験が全て、というのは傲慢ではなかろうか?
十六時二十分、看護師が来室した時、「息苦しい」と訴える。
十七時、主治医がステントについて説明。
十八時、院長が回診。
由美子と病室で過ごす時間は「濃密な時間」––––––ありふれた言葉だが実感した。
入院 十日目(七月三十日 木曜日)
十六時三十分からステントの治療。一時間ほどして病室に戻る。
十七時五十五分、「胃のあたりが痛い」と由美子が訴える。食道にステントを挿入したことが関係しているのか、あるいは胃に転移しているためか?
十八時十七分、「意味がないかもね」と由美子が呟く。問い詰めることはしない。
入院 十一日目(七月三十一日 金曜日)
「痛み止め(の薬)」を午前六時と午前十一時に飲んだと由美子から聞く。この薬は強いため一日に四回しか服用できないことを看護師から聞いた。
十四時頃、ナースコール。着替えを希望した。ところが、中国系の見習い看護師(初心者マークをつけていた)は一時間後に来た。由美子は待てなかったので、他の看護師に頼み、着替えさせてもらった。由美子は「あの人はダメだ」と言っていた。
十六時、母と姉が見舞いに来た。由美子を励ましていた。そばで見ていて、とてもつらかった。二人には病状を話していなかったからだ。
母と姉が病室を後にした。十六時二十分、「お母さんにお祝いしてあげないとね」と由美子が呟く。母の誕生日は七月十五日で過ぎていたからだ。
十七時三十五分、看護師に氷を二つ持ってきてもらい、そのうちの一つを舐めた。ステントを装着してから初めてのことだ。
入院 十二日目(八月一日 土曜日)
十六時三十分、自宅の出来事を伝える。
「母が折りたたみベッドを別の部屋に移動したんだ」。
すると、由美子は「私が死ぬからかな?」と呟いた。
その呟きを耳にし、私はギクリとしたが、間髪をいれず、「そうではない。いつも母に片付けができていないと小言を言われているからだよ」と由美子に話した。
(PP.115-117)
➳ 編集後記
第50回は「入院」の中の「由美子のいなくなった夏『面会日誌』 十九日間の記録」(3)を書きました。
主治医に「超高濃度ビタミンC点滴療法」を訊ねた時、私は初めて訊ねたのに、「またその話か」と言われた時、私を小馬鹿にしたような態度に腹が立ちました。もっと他の対応ができないものかと思いました。
「あなたの家族が同様な状況になった場合でも、同じような行動を取りますか」と言い返したい気持ちを抑えました。たとえ同様な状況になっても、主治医は、「(金があるから)あらゆる治療法を試みられるよ」とでも答えただろうか、と思いました。
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